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2023年5月3日水曜日

岸田政権 異次元の大軍拡 ①それでも「専守防衛」と言いはる岸田政権の新たな「時代の大うそ」

憲法記念日だ。
久しぶりに投稿しようと思い立った。
(そういえばシリーズ「日本国憲法の誕生」も途中で中断したままだ😓)
赤旗 2023.5.3付 レイアウトは変えた

「時代の大うそ」というのは歴史的に有名な言い回しだ。
1950年にGHQの指示で作られた警察予備隊(自衛隊の前身)を指導した米軍事顧問団初代幕僚長フランク・コワルスキーが、その創設を「時代の大うそ」と呼んだ。

2021年9月8日水曜日

日本国憲法の誕生 ㉓マッカーサー vs 極東委員会

日本国憲法を確定するための最後のステージに入った、と前回書いたが、私は日本国憲法が誕生するまでのステージは次の4つだと考えている。

第1ステージ 戦後すぐに日本人自身が憲法草案をつくった時期(約半年)

民間では、高野岩三郎や鈴木安蔵らの憲法研究会が作った「憲法草案要綱」が有名だ。
その他、民間だけでも10数種類の憲法案ができたらしい。
近衛文麿や佐々木惣一など、半官半民のような人たちも保身のために憲法草案を作った。
日本政府は正式に憲法問題調査委員会をつくり(GHQの要請があったからだが)、松本烝治を委員長として憲法改正案大綱をつくった。
日本共産党や日本自由党などの政党も新憲法の骨子や改正要綱をつくっている。

2021年7月3日土曜日

日本国憲法の誕生 ㉒日本国憲法を日本国民の自由な意思で産み出すための普通選挙<1>

1946年3月6日、各新聞を通じて政府から憲法改正草案要綱が発表されたわけだが、もちろんこれで日本国憲法が誕生したわけではない。

憲法改正草案要綱の憲法前文冒頭は次のようになっている。

日本国民ハ、国会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル代表者ヲ通ジテ行動シ、我等自身及子孫ノ為ニ諸国民トノ平和的協力ノ成果及此ノ国全土ニ及ブ自由ノ福祉ヲ確保シ、且政府ノ行為ニ依リ再ビ戦争ノ惨禍ノ発生スルガ如キコトナカラシメンコトヲ決意ス。乃チ茲ニ国民至高意思ヲ宣言シ、国政ヲ以テ其ノ権威ハ之ヲ国民ニ承ケ、其ノ権力ハ国民ノ代表者之ヲ行使シ、其ノ利益ハ国民之ヲ享有スベキ崇高ナル信託ナリトスル基本的原理ニ則リ此ノ憲法ヲ制定確立シ、・・・
この要綱の憲法前文冒頭は、最終的に同年11月3日に公布された時は次のようになった。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する

2003年7月に衆議院憲法調査会事務局が発行した「日本国憲法前文に関する基礎的資料」という大部の資料がある(本文のみで101ページ)。

2020年5月10日日曜日

日本国憲法の誕生 ㉑あの鈴木安蔵が憲法改正草案要綱を批判

朝日新聞 1946.3.7付
⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会」と「⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛」からわかるように、在野の憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」が、3月7日に新聞発表された政府の「憲法改正草案要綱」にもっとも親和性がある。

しかし、その憲法研究会の中心メンバーであった鈴木安蔵は発表された政府の「憲法改正草案要綱」にかなり批判的であった。

新聞発表2日後の9日には「読売報知新聞」に3回にわたって長文の批判的見解を発表している。
この読売報知新聞の記事をなんとしても読みたかったのだが、私の調査能力の及ぶところではなかった。

2020年5月6日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑳憲法改正草案要綱 ついに国民の前に現る

入江俊郎
翌日(3月6日)のマスコミ発表のために、憲法改正草案の要綱を徹夜で作ったのは入江俊郎法制局次長たち。
入江俊郎といえば、後年最高裁裁判官としてあの有名な砂川裁判の最高裁判決を書いた人だ。
ちょっと幻滅。

その要綱だが、鈴木昭典の「日本国憲法を生んだ密室の九日間」には、「いちおう条文の形になっている草案から要綱にする作業が残っていた」とあるから、要綱という言葉からしても、私はてっきり草案(全文)を要約したようなものだと思い込んでいた。

ところが今回その要綱全文を国立国会図書館HPで調べてみて、それは要約ではなく、文体がやや簡素化されているだけで、ほぼ草案そのものだということを知った。
Windowsアクセサリーソフトのメモ帳で比較したら、要綱は182行、4月17日に正式に発表される口語訳草稿は194行で12行少ないだけだ。

2020年5月3日日曜日

日本国憲法の誕生 ⑲3月4日から憲法改正草案要綱発表までのすさまじい3日間

All About から
1946年3月4日午前10時に始まり、翌5日の午後4時頃終わった30時間の「日米案翻訳戦争」について前回書いた(1年以上も前だが)。

佐藤達夫がGHQ民政局で悪戦苦闘している3月5日、日本政府は朝から閣議が開かれ、そこに民政局で確定した憲法条項草案が次々と送られてくる。
その草案を閣議で審議するのだが、いろいろ問題や不満があってもそれをすぐにGHQ側に差し戻す力は日本政府にはなかった。
おまけに、GHQはこの日のうちに草案を発表したいといってくる。
いくら何でもそれは無理なので、なんとか明日に延ばせないかと申し入れ、6日発表が決定する。

2019年7月18日木曜日

参院選―若者は自ら「殺し殺される国」になる道を選択するのか

中国新聞 2019.7.18付
投票日が3日後に迫った参院選だが、これについては自分の余裕のなさから1度だけ投稿しておこうということでの前回の投稿だったのだが、今朝の中国新聞を見て気が変わった。

赤旗以外の商業新聞は読まないことにしている私だが(赤旗は商業新聞ではないけれど)、実は中国新聞もとっていて、ごくまれに見る。
今朝の中国新聞1面の大見出しは「22の1人区 自民優位 野党優勢は2選挙区」だった。
32ある1人区の選挙区においては、野党はすべて共闘を実現し、市民と共同してすべて勝利する予定だった。
話がちがうんではないか。

3年前の参院選では32の内11で野党共闘が勝利したのだ。
その時よりも後退する情勢だとは!

2019年4月10日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑱「日本化への苦闘」もしくは「日米案翻訳戦争」

1946年 終戦後の空腹を訴える子どもたち
GHQ案に大きな反発を覚えた松本蒸治は、「憲法改正案説明補充」という大部の再説明書を書いて2月18日に民政局へ提出し、GHQの再考を促したが、「これについて再考の余地はない」と一蹴される。

日本政府案の提出期限である20日にはとてもまにあわないので、とりあえず22日までの延期を申し入れる。
その22日、松本はホイットニーと会談し、いくつもの条件を出す。
たとえば、

●GHQ案は、人民の発議になっているが、大日本帝国憲法は、第73条で、天皇の発議以外には憲法を改正できないとしている。
●戦争放棄の条項は、前文に入れられないか?
●我が国の国情から二院制が必要だ。

ホイットニーは二院制だけを認め、ほかはほとんど拒否。

2018年2月16日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑰GHQ案を受け取ってうろたえる日本政府

角川文庫
2月13日にGHQ案を受け取った日本側は、大きなショックの中で右往左往する。
20日までに返答せよというGHQの要請を受けて、19日にやっと閣議が開かれ、ほとんどの閣僚はここで初めて事実経過を知らされる。

ところで、1996年にNHKが憲法公布50周年を記念して「憲法はまだか」というテレビドラマを作った。
脚本はジェームス三木で、放送文化基金賞優秀賞を受賞している。

私はどういうわけかこのドラマを見ていない。
後にジェームス三木が同名の小説を発表してそれを読んでこのドラマのことも知った。

この小説の終わりの方でジェームス三木は次のように述べている。

2018年1月14日日曜日

日本国憲法の誕生 ⑯GHQ案を手交されて驚愕する日本政府

他にも民政局の憲法草案づくりにはとても興味深いものがあるが、次の段階に移る。

安倍は「たった8日間で」と蔑み、鈴木昭典は「密室の9日間」と題し、わずか1週間という表現も散見されるが、事実は下記のように進んだ。

1946年2月1日毎日新聞が日本政府の憲法改正案をスクープ。
2月3日ホイットニーがマッカーサー三原則を民政局幹部に提示し、憲法草案づくりを指示。
2月4日民政局員が集められ、組織の発表と草案づくりのスタート。
2月11日前文と全92条のGHQ案ができあがる。
2月12日ホイットニーが加わって、運営委員会による最終検討と修正。

白洲次郎
どこを起点とし、どこを終点とするかによって期間は変わる。
鈴木は2月4日から2月12日までの9日間をとったわけだが、私は2月3日を起点とすべきだと思っている。
つまり「密室の10日間」というわけだが、はっきりいってどうでもいいような気がする。

上記時系列には書いていないが、毎日新聞に憲法改正案をスクープされた日本政府はびっくりし、それは政府案ではないと弁解した。
それではすぐにでも政府案を出しなさいとGHQに言われ、日本政府は2月8日に政府案(スクープされたものと大差のない代物)を提出している。

GHQの方は、政府案が期待できるものではないとわかっていたので、2月8日を待たずに草案づくりを始めたわけだが…。

そして2月13日、民政局の4人(ホイットニー、ケーディス、ハッシー、ラウエル)は、できあがったばかりのGHQ草案をもって、外務大臣官邸に向かった。

2017年12月29日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑮民政局の活動<4> ベアテ・シロタと女性の人権


ベアテ・シロタ
日本国憲法草案作成のための民政局組織では、「人権に関する小委員会」として、ピーター・K・ロウスト、ハリー・エマーソン・ワイルズ、ベアテ・シロタの3人がメンバーになっている。
そもそもベアテ・シロタがこの組織に入っていること自体が異色だ。

女性の民政局員としては、運営委員会に所属したルース・エラマンが目を引くが、彼女の役割は草案づくりの頭脳というより、有能な秘書であった。
有能な秘書という言葉では誤解を生じるぐらい有能であった。
彼女がいてこそ当時の民政局の活動は歴史に残ったといってもいいぐらい有能であった。

2017年11月4日土曜日

日本国憲法の誕生 ⑭民政局の活動<3> 天皇条項

マッカーサーノート(三原則)の第1項は天皇に関することだった。

マッカーサーノート第1項
天皇は、国の最高位の地位にある。
皇位は世襲される。
天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする。

昭和天皇ヒロヒト
「最高位」は、「ヘッド」の訳であり、従来は「元首」と訳していた。

マッカーサーノートが民政局長のホイットニーから民政局主要メンバーのケーディスら3人に提示されたのが1946年2月3日だったが、それに先立つ同年1月1日、いわゆる天皇の「人間宣言」が行われている。

この詔書の人間宣言にあたる部分は最後の数行であり、以下の通りである。
「新日本建設に関する詔書」(いわゆる「人間宣言」)より抜粋
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

2017年10月18日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑬民政局の活動<2> 戦争放棄

総選挙たけなわである。
一昨日の赤旗に次のような記事が載った。
赤旗2017.10.15付
あの前川喜平が次のように述べている。

憲法9条は人類の知恵の積み重ねのなかで生まれたもので、人類史のなかで燦然と輝いています。人類の憲法と言える9条をいかに大事にしていくかが問われています。

2017年9月22日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑫民政局の活動<1> 憲法前文とハッシー

ケーディスの回想によると、ハッシーは前文をやらせてほしいと自分から申し出たことになっている(鈴木昭典「密室の九日間」)。

草案作成のための組織図を見ると、1人で担当した分野はリゾーの「財政に関する小委員会」とハッシーの「前文」のみだ。

2013年9月3日の「未来ビジョン」(リンクはユーチューブ)という放送で、安倍晋三が、

「日本は戦争に負けましたから、敗戦国は詫び状文を書けと。しかも自分で書いたんじゃないんですよ。これはアメリカの25人のうちの1人がですね、たった1人の人物がこれを書いたんですよ」

と息巻いている「1人」とはハッシーのことだ。

2017年9月17日日曜日

日本国憲法の誕生 ⑪民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<5> 民政局の優秀なメンバーとその組織

2007年のNHKスペシャルから
マッカーサーは1946年2月1日に毎日新聞にスクープされた政府案(松本乙案)を見て、極東委員会の介入が始まる前に、日本国憲法草案を秘密裡にGHQがつくってしまおうと決意する。

マッカーサーの意を受けたホイットニー民政局長は、2月3日、ケーディス、ハッシー、ラウエルを部屋に呼び、憲法草案を民政局がつくるよう指示。
そして、マッカーサー・ノートとよばれる三原則を呈示する。

2017年9月8日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑩民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<4> 開戦直後から始まったアメリカの戦後対日政策

鈴木昭典
今回はほとんど鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(以下「密室の九日間」)第三章の要約であったり引用である。

国務省・極東班

信じられないようなことだが、ルーズベルトは対日戦が始まると同時に戦後の対日政策立案を国務省に指示している。
1942年8月には、国務省内に極東班という組織が作られた。
目的は日本の戦後処理についていかなる方針で臨むかの研究である。

極東班は9人の極東・日本の専門家で構成されたが、主なメンバー以下の通り。

2017年8月30日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛

鈴木安蔵
鈴木安蔵は、京都大学在学中にマルクス主義にひかれ、1926年(大正15年)京都学連事件で検挙(治安維持法違反第1号)、豊玉刑務所に2年服役している。

服役中に憲法研究に傾倒し、出獄してからも吉野作造に励まされたりして、憲法研究に拍車がかかった。
1933年(昭和8年)、「憲法の歴史的研究」を発表したが、発禁処分となり、学会からは異端児扱いされる。

吉野作造のアドバイスもあり、憲法研究の過程で自由民権運動に大きな関心を持つ。
ETV特集では「国家は人民の自由を守るためにこそある。そのために憲法が必要だと植木は著書で明快に論じていた」とナレーションが入って、鈴木は植木枝盛に強くひかれたとある。

2017年8月25日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会

1945年の暮れから翌年にかけて、政党を含む民間の憲法草案がいくつも世に発表された。
そのどれもが政府の松本蒸治案に比べればすぐれているわけだが、なかでも、憲法研究会のものが抜きんでていたようだ。

ちょうど10年前の2007年、つまり日本国憲法施行60周年の年、NHKは2本のすぐれた憲法特集番組を製作した。
ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」とNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」だ。
2007.2.10放送 ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」
NHKスペシャルの方は時間的にも時代状況的にもやや広い見地から憲法誕生までをまとめたものであるのに対し、ETV特集は「憲法研究会」に焦点をあてて製作している。
この2本の番組を見てさえいれば、安易に「押し付け憲法」論に与することはないだろう。
果たして安倍はこれを見たかどうか。

2017年8月8日火曜日

日本国憲法の誕生 ⑦民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<1> 民間憲法草案

角川ソフィア文庫
極東委員会の発足が2月16日に迫るなかで、マッカーサーが日本政府を見限り、GHQ民政局に憲法草案を作成するよう命じたのが2月3日。
その草案ができあがったのが2月10日という説があって、これが安倍も言っている「たった8日間で…」の根拠なのだが、じっさいには2月11日まで作業は持ち越している。

つまり、9日間で草案はできたのだが、どちらにしても「たった9日間で…」ということで、ひじょうな短期間であることにはちがいない。
*鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(角川ソフィア文庫)では、2月4日から2月12日の9日間としている。

民政局のメンバーが安倍の言うように「全く素人の人たち」ではないにしても、いや、むしろまれに見る優秀なメンバーだったとしても一国の憲法の草案を作り上げるには無理があるのではないか。

もちろん民政局は不眠不休に近い形でこの9日間を草案づくりに没頭した。
それにしても、と誰しも思うが、その背景にはそれを可能にしたいくつかの要因があった。

2017年8月5日土曜日

日本国憲法の誕生 ⑥GHQは憲法草案作りをなぜ急いだか

マッカーサー
マッカーサーが日本政府を見限ってGHQ民政局に憲法改正案作成を命じたのが2月3日。
「玉音放送」(8.15)からもミズーリ号艦上での降伏文書調印(9.2)からも半年もたっていない。
もう少し日本政府を説得して、せめてあと半年ぐらい待てなかったのだろうか。
ポツダム宣言履行のためには、マッカーサーだけでなく、アメリカ本国も日本の憲法改正は日本国民の自由意思によって発議し決定されるべきだと考えていたのに。

そこには、一般的にはあまり知られていない極東委員会の存在があった。