鈴木安蔵 |
服役中に憲法研究に傾倒し、出獄してからも吉野作造に励まされたりして、憲法研究に拍車がかかった。
1933年(昭和8年)、「憲法の歴史的研究」を発表したが、発禁処分となり、学会からは異端児扱いされる。
吉野作造のアドバイスもあり、憲法研究の過程で自由民権運動に大きな関心を持つ。
ETV特集では「国家は人民の自由を守るためにこそある。そのために憲法が必要だと植木は著書で明快に論じていた」とナレーションが入って、鈴木は植木枝盛に強くひかれたとある。
ところが、この植木の言葉がどの著書にのっているのかがわからない。
いろいろ調べてみて、植木の「民権自由論」に「国は人民の自主自由とならびに公の憲法という二つのものをもて護らねば大丈夫にならず、安全には参り難し」とあって、このことをNHKがアレンジして言っているのかなと思った。
ともあれ、鈴木は植木枝盛の研究をするため、彼の出身地である高知へ取材に行ったりする。
そういった研究活動の中で、植木枝盛の憲法草案(東洋大日本国国憲按)が発見される。
植木枝盛とは
植木枝盛 |
植木は1857年(安政4年)に土佐藩士の嫡男として生まれる。
1875年(明治8年)、19歳で上京し、福澤諭吉に師事したり、キリスト教に興味を抱いたりする。
1877年(明治10年)、板垣退助に従って帰郷し、書生となる。
自由民権運動の担い手として執筆、演説など精力的に活動する中で、1881年(明治14年)、私擬憲法(明治憲法以前の民間憲法私案)のなかではもっとも民主的、急進的な内容とされる「東洋大日本国国憲按」を起草。
1886年(明治19年)、高知県会議員に当選し、政界入り。
1890年(明治23年)の帝国議会開設にあたり、高知県から第1回衆議院議員選挙に立候補して当選。
1892年(明治25年)、胃潰瘍の悪化により36歳という若さで死去。
早すぎる死からか、忘れられた存在となるが、戦前では鈴木安蔵が、戦後には家永三郎が光を当て、再び広く知られるようになる。
東洋大日本国国憲按(植木枝盛の憲法私案)
ETV特集から 国会図書館所蔵 |
国会図書館にある「植木枝盛文書 日本憲法」と表題のある原本も映され、その文章も映像に映る。
しかし、「東洋大日本国国憲按」全221条(大部! 現憲法は全103条)のどこを探してもその言葉は見つからない。
これもいろいろ調べたところ、同じ頃(1881年)に立志社(板垣退助らを中心に高知県で結成された政治結社)の私擬憲法というものがあり、その中に「日本国ノ最上権ハ日本全民ニ連属ス」という条文があるらしいことがわかった。
立志社の私擬憲法と枝盛の関係はいまいちわからないが、ETV特集ではまちがいなく「植木枝盛文書 日本憲法」と表題のある文書の中に「日本国ノ最上権ハ日本全民ニ属ス」という文章がある。
じゃあ、この枝盛の「日本憲法」と「東洋大日本国国憲按」はどうちがうのか?
このあたりの正確なところは私の手に負えないのでパスする。
さて、「東洋大日本国国憲按」であるが、本当にたくさんの条文がある。
現憲法の2倍以上!
その中で際立っているものが基本的人権を叙述した「第4編 日本国民および日本人民の自由の権利」全35条と天皇についての「第5編 皇帝および皇族、摂政」全39条だ。
そもそも天皇を皇帝と表現していることから戸惑ってしまうのだが、時代の制約というのか、第5編全般にわたって自由民権の植木枝盛というイメージからは違和感を禁じ得ない。
まあ、このあたりも私の力量のおよばざるところと割り切り、国憲按のいいところだけを見ていくことにする。
国憲按の最初の方からホーッと思わせる条文が出てくる。
なお、ここで引用している植木枝盛の大日本国国憲按は、すべて山本泰弘氏の現代語訳を使わせてもらった。
<第1編 国家の大原則および権利 第2章 国家の権限>から
第5条 | 日本の国家は、日本人ひとりひとりの自由の権利を損なう規則を作って実施することはできない。 |
第6条 | 日本の国家は、日本国民ひとりひとりの私的なことに干渉する行いをすることはできない。 |
第4編はとてもすばらしいものなので、全条項を引用する。
植木枝盛「東洋大日本国国憲按」
第4編 日本国民および日本人民の自由の権利(全35条)
第40条 | 日本の政治社会にある者を、日本国人民とする。 |
第41条 | 日本の人民は、自らの意思や承諾によって離脱する場合でなければ、日本人であることを損なわれない。 |
第42条 | 日本の人民は法律上平等とする。 |
第43条 | 日本の人民は、法律によってでなければ、自由の権利を損なわれない。 |
第44条 | 日本の人民は、満足な生命を得、満足な手足や身体や容姿を得、健康を保ち、名誉を保ち、世の中の物を使用する権利を持つ。 |
第45条 | 日本の人民はどのような罪を犯したとしても生命を奪われることはない。 |
第46条 | 日本の人民は、法律によるものでなければどのような刑罰も与えられてはならない。また、法律によらずに罪を責められたり、逮捕されたり、拘留されたり、監禁されたり、取り調べられたりすることはない。 |
第47条 | 日本人民は、ある一つの罪のために繰り返して身体に刑罰を加えられることはない。 |
第48条 | 日本人民は、拷問を加えられることはない。 |
第49条 | 日本人民には、思想の自由がある。 |
第50条 | 日本人民は、どのような宗教を信じるのも自由である。 |
第51条 | 日本人民には、言葉を話す自由権がある。 |
第52条 | 日本人民には、議論を行う自由権がある。 |
第53条 | 日本人民には、言葉を筆記し出版して公開する権利がある。 |
第54条 | 日本人民には、自由に集会を行う権利がある。 |
第55条 | 日本人民には、自由に団体を組む権利がある。 |
第56条 | 日本人民には、自由に歩行する権利がある。 |
第57条 | 日本人民には、住居を害されない権利がある。 |
第58条 | 日本人民は、どこに居住するのも自由とする。また、どこに旅行するのも自由とする。 |
第59条 | 日本人民は、どのようなことを教え、どのようなことを学ぶのも自由とする。 |
第60条 | 日本人民は、どのような産業を営むのも自由とする。 |
第61条 | 日本人民は、法律に定められた手続きによらずに屋内を探索され見調べられることはない。 |
第62条 | 日本人民は、通信の秘密を損なわれてはいけない。 |
第63条 | 日本人民は、日本国を去ることや日本国籍を脱することを自由とする。 |
第64条 | 日本人民は、すべて法の許さない物事に抵抗することができる。 |
第65条 | 日本人民には、財産を自由に扱う権利がある。 |
第66条 | 日本人民は、どのような罪を犯したとしても私有のものを没収されることはない。 |
第67条 | 日本人民は、所有するものを正当な補償がないのに公共のものとされることはない。 |
第68条 | 日本人民は、それぞれ自身の名で政府に書状を出すことができる。各自は自身のために請願をする権利がある。公立の会社においては、会社の名で書状を出すことかできる。 |
第69条 | 日本人民には、行政官に任用される権利がある。 |
第70条 | 政府がこの憲法に背くときは、日本人民は政府に従わなくてよい。 |
第71条 | 政府や役人が抑圧的な行為をするときは、日本人民はそれらを排除することができる。政府が威力をもって勝手気ままに横暴で残虐な行為をあくまでもなすときは、日本人民は武器をもって政府に対抗することができる。 |
第72条 | 政府がわがままにこの憲法に背き、勝手に人民の自由の権利を害し、日本国の趣旨を裏切るときは、日本国民はその政府を打倒して新たな政府を設けることができる。 |
第73条 | 日本人民は、兵士の宿泊を拒絶することができる。 |
第74条 | 日本人民は、法廷に呼ばれ証言を求められる際、どのような理由により訴えが起こされたかを聞くことができる。法廷で自分を訴えた当人と対決することができる。自分を助ける証人や弁護者を得る権利がある。 |
現日本国憲法では「第三章 国民の権利及び義務」に全31条あるが、かなりの条文で植木の国憲按と重なっている。
さらに、第70条、71条、72条はどうだろう!
武力による革命まで人民の権利として憲法に明記している。
晩年、鈴木安蔵はインタビューに答えて次にように語っている(ETV特集同番組から)。
「植木枝盛によって代表されるような憲法草案をみると、我々が大学で受けたような憲法講義では触れてないような、ひじょうに血となり肉となるというか、あの当時藩閥政府に対して、民主国家、自由な国家を作ろうとたたかった祖先たちの気迫がこもっている。
これだけのものが明治13年、14年ぐらいにできている。
それ以後の明治憲法体制で若干の抵抗はありましたが、その祖先たちが作ったそのレベルまでとうとういかないんだ。
我々こそ国家の○○の○にね、祖先以来の伝統を生かして本当の民主国家を作らなければならない、ということがわかったので、意欲に燃えたのです」 *○○の部分は聞き取り不能
憲法研究会の憲法草案は、明治期の自由民権運動の中でつちかわれた思想をもとにしていることがわかる。
また、植木の東洋大日本国国憲按の人民の自由権利などは、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言の影響を色濃く受けている。
このようにして、人類が長年にわたってつちかってきた人権思想などが、憲法研究会の憲法草案を作り上げ、それがGHQ民政局の憲法草案づくりに大きく寄与した。
さらに、第70条、71条、72条はどうだろう!
武力による革命まで人民の権利として憲法に明記している。
晩年、鈴木安蔵はインタビューに答えて次にように語っている(ETV特集同番組から)。
晩年のインタビューに答える鈴木安蔵(ETV特集から) |
これだけのものが明治13年、14年ぐらいにできている。
それ以後の明治憲法体制で若干の抵抗はありましたが、その祖先たちが作ったそのレベルまでとうとういかないんだ。
我々こそ国家の○○の○にね、祖先以来の伝統を生かして本当の民主国家を作らなければならない、ということがわかったので、意欲に燃えたのです」 *○○の部分は聞き取り不能
憲法研究会の憲法草案は、明治期の自由民権運動の中でつちかわれた思想をもとにしていることがわかる。
また、植木の東洋大日本国国憲按の人民の自由権利などは、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言の影響を色濃く受けている。
このようにして、人類が長年にわたってつちかってきた人権思想などが、憲法研究会の憲法草案を作り上げ、それがGHQ民政局の憲法草案づくりに大きく寄与した。
◆ ベニシジミ(シジミチョウ科ベニシジミ属)◆
ベニシジミ 2017.5.9撮影 犬吠埼 |
はじめ蛾かと思って調べていたらベニシジミという蝶だった。「前翅の表は黒褐色の縁取りがあり、赤橙色の地に黒い斑点がある。後翅の表は黒褐色だが、翅の縁に赤橙色の帯模様がある」とWikipediaにあるからまちがいない。おそらくありふれたチョウなのだろうが、詳しくないものにとっては、何でも珍しく思える。
現代語訳引用のご報告ありがとうございました。
返信削除適正に引用されていることを確認しました。
なお、こちらもご覧いただければ幸いです。
自由民権現代研究会 http://minken.party/
山本泰弘