2017年8月3日木曜日

日本国憲法の誕生 ⑤日本政府の改憲草案 その2 松本蒸治

幣原喜重郎
前回の近衛文麿と佐々木惣一の憲法案は、政府案とはいえなかったし、できあがったものも価値のないものであった。
近衛の悲惨な最期をどう考えるかはここでは触れない。

近衛が内大臣府御用掛として憲法改正の作業を始めた日は10月11日で、この日は新しく就任した幣原喜重郎首相がマッカーサーに会見し、そこで「民主化の5大改革」を指令された日でもある。
このとき、マッカーサーは次のような見解を述べている。

「ポツダム宣言を履行するにあたり、日本国民が何世紀もの長きにわたって隷属してきた社会の秩序伝統を矯正する必要があろう。日本憲法の自由主義化の問題も当然この中に含まれるであろう」


憲法問題調査委員会(松本蒸治委員長)の発足

松本蒸治
このマッカーサーの指令を受けて、10月13日、幣原首相は松本蒸治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を設置し、憲法改正へ動き始める。

つまり、天皇直属の内大臣側で近衛が、政府側で松本がほぼ同時に憲法改正の作業を開始したことになる。

松本蒸治は商法学者であり、法学博士でもあるが、憲法学者というわけではない。
明治の末期には東京帝大の教授、大正に入っては満鉄の副総裁。政界では山本内閣の法制局長官、斎藤内閣の商工大臣を務めている。
そのほかいくつもの会社の顧問弁護士を経験したりとけっこうな活躍をしていて、かなりの自信家である。

ところが、松本は明治憲法を改正しようなどという気はなかった。
あくまで調査研究が主眼だというわけだ。

この委員会の顧問になった美濃部達吉(元東大教授)も憲法改正不要論だったし、委員になった宮沢俊義(東大教授)も同じ考えだった。

このような委員会が何度会議を開こうが、改憲草案などできるはずもなかったが、世論の改憲に向けての動向におされて、12月に入ってようやく松本4原則なるものを打ち出す。
その第1は、「天皇が統治権を総覧せられるという大原則にはなんら変更を加えないこと」とある。
あまりのひどい現状認識に唖然とする。
これが当時の日本政府の知的水準である。

年が明けると松本は鎌倉の別荘にこもって草案の執筆を開始し、1月4日に「憲法改正私案」を完成させる。
これは最小限の改正であって、小改正案とか「松本甲案」とかいわれる。

これに対して、委員の宮沢俊義、入江俊郎、佐藤達夫らは小委員会を開き、松本案のような小改正ではGHQが許さないだろうと考え、大幅な改正案を作り、これが大改正案(「松本乙案」)とよばれている。
実質は宮沢案といっていいだろう。

憲法調査委員会は、松本案が完成し、1月29日の第15回会合をもって任務を終了する。

「毎日」のスクープ

2月1日、毎日新聞が第1面で「憲法改正・調査会の私案」という見出しで、憲法問題調査委員会の「私案全文」をスクープ記事として報じる。

このスクープされた私案は「松本乙案(宮沢案)」で、次のようなものだった。

第1条 日本国は君主国とす
第2条 天皇は君主にして此の憲法の条規により統治権を行ふ
第3条 皇位は皇室典範の定むる所に依り万世一系の皇男子孫之を継承す

毎日新聞 1946.2.1
以下、このスクープ記事の全文は国立国会図書館のホームページに載っている。
「毎日」自身が「あまりに保守的、現状維持的なものにすぎないことを失望しない者は少ないと思ふ」「新国家構成の経世的理想に欠けている」と厳しく批判している。

乙案にしてこの評価であるから、小改正案である甲案の方は推して知るべし。

GHQも当然このスクープを見落とすはずがなく、すぐに政府に照会。
政府がそれは内閣の案ではないと釈明すると、それではすぐに内閣の正式なものを出せということになる。

2月8日、政府は松本甲案に少し手を加えたものをGHQに提出。
一応前日に天皇に上奏し、天皇の発案という体裁を整えている。

その松本甲案たるや、先ほども述べたが、毎日スクープの乙案よりひどい代物だが、政府は(というより松本は)「今回の憲法改正案の根本精神は憲法をより民主的とし完全に上述せる『ポツダム宣言』第十項の目的を達し得るものとせんとするに在り」と自信たっぷりに書いてある。

この松本甲案を詳しく述べるつもりはないが、明治憲法の第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」や第2条など改正の要なしとする条文は飛ばし、いきなり第3条「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラズ」として、「神聖」を「至尊」と改正したといったぐあいに、明治憲法の改正する部分だけを逐条的に書いている。

第2章の「臣民権利義務」では、国民は今まで通り「臣民」のままだ。
全文が知りたい方はやはり国立国会図書館のホームページをどうぞ。

毎日のスクープ記事と政府から提出されたこの松本甲案を見たGHQは、「最も保守的な民間草案よりも、さらにずっとおくれたもの」と厳しく批判し、日本政府からの自主的な憲法改正草案に期待することはこれ以上ムダと判断。
つまり、日本政府を見限る。
ここからGHQによる日本国憲法草案づくりが始まることになる。
(正確には、毎日スクープの2日後の2月3日にマッカーサーは民政局に憲法改正案作成を命じている)

ところで、ここでまた思うのだが、松本蒸治は憲法学者ではないとしても、顧問の美濃部達吉や委員の宮沢俊義などは日本の名だたる憲法学者だ。
他にも顧問の野村淳治も憲法学者だし、宮沢以外の委員も錚々たるメンバーがそろっている。

この憲法の専門家集団が3カ月近くかけてできたのがこのような代物だということを安倍晋三は知っているのだろうか。
知っているにちがいない。
明治憲法を取り戻したい安倍としては、松本案こそすばらしい憲法改正案だった。

日本国憲法の誕生 ①安倍晋三の憲法観 その1
日本国憲法の誕生 ②安倍晋三の憲法観 その2
日本国憲法の誕生 ③ポツダム宣言受諾
日本国憲法の誕生 ④日本政府の改憲草案 その1 近衛文麿と佐々木惣一
▶日本国憲法の誕生 ⑤日本政府の改憲草案 その2 松本蒸治<本稿>
日本国憲法の誕生 ⑥GHQは憲法草案作りをなぜ急いだか
日本国憲法の誕生 ⑦民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<1> 民間憲法草案


◆ ハマエンドウ(マメ科レンリソウ属)◆
ハマエンドウ 2017.5.8撮影 洲埼海岸(房総半島最西端)
カラスノエンドウやフジ、エンドウマメの花と同じく紫色をした典型的なマメ科の色と形だ。花が複数個総状になって咲いているところが特徴的。

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