2017年7月28日金曜日

日本国憲法の誕生 ④日本政府の改憲草稿 その1 近衛文麿と佐々木惣一

この期に及んでも驚くべき旧態依然の支配層

東久邇宮内閣 1945.8.17~10.9
ポツダム宣言を受諾して無条件降伏(?)したはずの日本ではあるが、その支配層の絶対主義的天皇制に洗脳されきった頭は驚くばかりの頑迷固陋さだった。

そもそも8月15日の天皇による「玉音放送」からにして、「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」と勝手なことを言っている。
同日付の内閣告諭も「今や国民の斉しく向かふべき所は国体の護持」「大御心に帰一し奉り、必ず国威を回復し父祖の遺託に応えむことを期す」だ。

まるっきりポツダム宣言の意味を解していない。
侵略戦争や暗黒政治への反省はみじんもない。

山崎巌内相は9月3日、ロイター通信に「特高は今なお健在であり、政府形態の変革とくに、天皇制廃止を主張するものはすべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される」と語り、岩田宙造法相も同日、中国の記者に「政治犯の釈放ごときは考えていない」と公言している。
1945.9.27 天皇とマッカーサー

8月30日に日本に占領軍の最高司令官として着任したマッカーサーは、自らの米大統領選への野望や、自分の戦争体験からくる理想の平和国家づくりへの情熱などに突き動かされていた(と思う)。
そのマッカーサーもこの日本政府のあまりにひどい現状認識に驚いただろう。

ポツダム宣言12項「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」にしたがって、占領軍の軍政ではなく日本政府による間接統治を選択した連合国もさぞ驚いたことだろう。

たまりかねたマッカーサーは10月4日、いわゆる「人権指令」を発した。

 ①天皇・皇室・政府に関する自由討議を保障する
 ②治安維持法など弾圧法規を撤廃する
 ③政治犯はただちに釈放する
 ④特高警察を廃止し関係者を罷免する

この指令を受けた東久邇内閣は、腰を抜かさんばかりに驚き、内閣を投げ出す。
日本政府の自主性にまかせていたら何も進まないということをGHQは学んだ。

そして10月11日には「民主化の5大改革」の指令。

 ①女性参政権の付与
 ②労働組合結成の奨励
 ③学校教育の自由主義化
 ④秘密警察や秘密審問司法制度の廃止
 ⑤経済制度の民主化

当然憲法改正も口を出すしかない。
何しろ、日本政府の中枢は、明治憲法の何が悪いか、という頑迷さである。
頑迷というよりアホに近い。

東久邇内閣の後を継いだ幣原喜重郎内閣だが、彼らも憲法改正などはなから念頭にない。

近衛文麿と佐々木惣一
近衛文麿

そんな日本側が憲法改正に手をつけることになったのは近衛文麿の動きだ。
東久邇内閣のときに副首相だった近衛がマッカーサーと会談したとき(10月4日)、何を勘違い(?)したか、彼は自分がマッカーサーから憲法改正に取り組むよう指示されたと思い込んだ。

近衛は戦前に3回も首相を務め、1回目のときは日中戦争(盧溝橋事件)を起こしている。
第2次・3次では自ら設立した大政翼賛会の総裁になり、八紘一宇、大東亜共栄圏を掲げて日独伊三国同盟を結び、先頭に立って戦争を推進した。
つまり、戦争犯罪人としての処罰を覚悟していただろう。

マッカーサーに取り入り、新生日本のために力を尽くせば戦争犯罪の免罪になにがしかの効果を期待していたのかもしれない。

近衛は天皇から内大臣府御用掛の命をとりつけ、佐々木惣一(京大教授・憲法学者)を顧問として改憲の作業を始める。

しかしながら、近衛のような人物に憲法改正を任していいのかという内外の批判に、マッカーサーからも近衛に指示をしたものではないとつきはなされる。

それでも近衛は作業を続け、11月24日、「帝国憲法改正要綱」を天皇に提出。
直後の12月6日、戦犯に指定され、その10日後に服毒自殺をとげた。

9項目になる近衛の「改正ノ要点」は、明治憲法の基本的統治構造を残しつつ、アメリカ国務省からのアドバイスが反映されたものになっているが、現実の憲法改正論議に影響を与えることはなかった。

いっぽう、近衛と共同で作業していた佐々木惣一は、近衛との意見の相違が明らかになった段階で、近衛の「要綱」とは別に、完全に条文化した憲法案をつくった。
全100条からなる改正案だが、最初の4条をみると、

 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

となっており、明治の大日本帝国憲法と一字一句変わらない。
人権条項も全体として明治憲法の基本的枠組みから出るものではなかった。

この佐々木「憲法案」も11月24日、天皇に進講(報告)されている。

私がここで思うのは、安倍が「憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物」発言。
佐々木惣一は、日本を代表する憲法学者であり、人数は少なかったが40数日をかけてつくった憲法案だ。
それがほとんど明治憲法と変わらないという事実を安倍はどのように表現するのだろう。

安倍のことだから、これこそ日本の美しい憲法だと胸を張るのかしれない。

◆ ハマヒルガオ(ヒルガオ科ヒルガオ属)◆
ハマヒルガオ 2017.5.8撮影 洲埼海岸(房総半島最西端)
アサガオなどの同属の他種がつる性で上に伸びようとするのに、このハマヒルガオは匍匐性で地面を這うように横に広がろうとする。典型的な海浜植物。中央やや左にミヤコグサの豆の実が見える。

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