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だから彼らにとっては改憲も「日本を取り戻す」の一つになる。
このことが皮肉にも彼らのアキレス腱になっている。
つまり、アメリカ様いいなりの彼らが憲法だけアメリカに押しつけられたという愚かさだ。
以後、このシリーズは、この「押しつけ論」を論破するつもりで書いていきたい。
と私がえらそうなことを言わなくても、すでに多くの先達が論破しつくしているのだが。
日本国憲法の誕生を論じるには、明治の自由民権運動までさかのぼらなければならないのだが(国際的には1789年のフランス革命?)、このシリーズでは時系列はあまり気にしない。
ポツダム宣言から始めよう。
――ここから転載(Wikipedia編集者による現代語訳)
日本の降伏のための定義および規約
1945年7月26日、ポツダムにおける宣言
- 我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。
- 3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。
- 世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。
- 日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
- 我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
- 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
- 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
- カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
- 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
- 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
- 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
- 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
- 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。
ポツダム宣言といえば、2015年5月20日の党首討論(リンクはユーチューブ)で、共産党の志位委員長に、ポツダム宣言は先の戦争がまちがった戦争だと言っているが、首相はこのポツダム宣言を認めないのかと問われ、安倍がその部分のポツダム宣言はつまびらかに読んでいないと答えて大きな話題になった。(記事のリンク)
これには、後日(2015年6月2日)「安倍首相はポツダム宣言を当然読んでいる」という閣議決定がされるという漫画みたいなオチもついている。
話はそれてしまったが、ポツダム宣言に関しては言いたいことがたくさんある。
もう一つだけ触れておく。
このポツダム宣言が出されたのは1945年7月26日。
日本政府は無視をした。
ついで拒否をした。
国体、つまり天皇制の維持ができるのかどうか不明だったからだ。
ポツダム宣言第3項には、降伏しなければ「日本と日本軍が完全に壊滅する」とはっきり書いてある。
その間、日本がやっていたことは、日ソ中立条約を無視して日本参戦の準備を進めていたソ連に和平の仲介を依頼する工作だった。
そうして、アメリカの日本への都市絨毯爆撃は続き、広島・長崎に原爆が落とされ、多くの若い特攻兵が命を散らしていった。
ソ連参戦による満州での悲劇も起こった。
国体護持はすべてのことに優先する。
最終的に8月14日にポツダム宣言を受諾したのも、国体は護持されるという勝手な大本営の判断があってのことだ。
この国体護持、天皇制維持、天皇あっての日本という思想は戦後も絶えることなく、今の安倍政権にまでしっかり受け継がれている。
1945.9.2 ミズリー号艦上の降伏調印式 |
本題にもどる。
このポツダム宣言を日本は受け入れて無条件降伏したわけだが、この最後通牒といえるポツダム宣言はとても変わっている。
ふつうだったら、1~3項だけ示し、無条件降伏せよと迫ればいいのだ。
それに対して日本が「天皇制を保障してくれれば降伏しても良い」などと条件をつけて交渉する。
最終的に、米英中からそんな条件はのめないと突っぱねられて、やむを得ず無条件降伏する。
これがわかりやすいパターンなのだが、このポツダム宣言は降伏を促す側が条件をいろいろつけている。
その条件が5項以下だ。
この条件がまた日本にとって、というより日本人民にとってすばらしいことばかり。
ひとつひとつ解説したくなってしまうが、またまた本題から離れてしまうからしない。
さらにこのポツダム宣言の特異さは、形のうえで早く降伏せよと迫っている米ソが実は日本の降伏を遅らせたかったということだ。
日本がさっさと降伏してしまうと、アメリカは原爆の実地実験(それもウラン原爆とプルトニウム原爆という2種類)ができなくなるし、ソ連は日本に参戦できなくなるからだ。
ということを書き出すとますます本題から離れてしまう。
1945.8.30 マッカーサー 厚木基地 |
9項があるのに、なぜソ連は60万もの日本人をシベリア抑留したのか。
それは日本政府がソ連に頼んだからだ!。
と、また横道にそれている。
今度こそ本題にもどる。
GHQは自らがポツダム宣言で示した条件を履行するため、できるだけ早く新しい憲法を作らなければならなかった。
宣言の赤字の部分だが、特に10項の「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」などはすでに新憲法の骨格が示されている。
こうして、マッカーサーは、日本に乗り込むやさっそく動き始める。
◆ ミヤコグサ(マメ科ミヤコグサ属)◆
ミヤコグサ 2017.5.8撮影 洲埼海岸(房総半島最西端) |
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