その31分ちょっとの動画から1分弱を抽出したものが下の動画だ。(ユーチューブで見る)
この部分をテキスト化すれば次のようになる。
――ここから転載(上記ユーチューブから)
<自民党としてはどの分野の政策に最も力を入れていきたいかと>いう問いに対し
あの日本国憲法の前文にはですね。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存と安全を保持しようと決意した」と書いてあるんですね。
つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。
そして「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」
自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。
国際社会がそう思っているから助けてもらおうと。
いじましいんですね。
みっともない憲法ですよ、はっきり言って。
それは日本人が作ったんじゃないですからね。
そんな憲法持っている以上ですね、外務省も自分たちが発言するということは憲法上義務付けられてないんだから、それは国際社会に任せるんですからね、精神がそうなってしまっているんですね。
そっから変えていくことが大切だと私は思ってます。
転載ここまで――
この安倍の知能(読解力)の低さはどうだ。
この格調高い日本国憲法の前文を「いじましい」「みっともない」と読んでしまう。
はー?????? ってなもんで、茫然自失というか言葉を失う。
どこまでひねくれているんだろうかと思う。
この男が日本の総理大臣で、この動画が世界中で見られているかと思うと恥ずかしいの極致だ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存と安全を保持しようと決意した」というのは、直前に終結した日本の侵略戦争を深く反省したということではないか。
我が国の生存と安全を保持するために、「満蒙は日本の生命線」「大東亜共栄圏」「アジア解放の聖戦」などのスローガンのもと、アジアを悲惨な戦争に巻き込み、二千万を超えるアジア諸国民の犠牲を出した日本の甚大なる責任を自覚し、これからは決してそのようなことはいたしません。
これからは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、戦争以外の方法でがんばりますという(国際平和主義、国際協調主義)国際公約ではないか。
それが安倍にかかると「自分たちの安全を世界に任せますよ」となり、「いじましい」となる。
どういう頭のつくりをしているのだろう。
「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」は、誰が読んだってこの文章の通りしか読めない。
つまり、2度の悲惨な世界大戦をくぐり抜けて、もう戦争はいやだ、戦争の原因となる専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと国際社会は決意した。
そのために国際連合もつくった。
そのような国際社会の中で、日本も立派に役割を果たし、さらにはリーダーシップをとって名誉ある地位を占めたい。
こういうことだろう。
これが安倍にかかると「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。国際社会がそう思っているから助けてもらおうと」となる。
どこをどう読んだらそんな意味になるのか。
あげくの果てに「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」とくる。
はっきり言ってみっともないのはあなたです。
安倍はこの論法で自信を持ってあちこちでしゃべっている。(たとえばここ)
安倍のまわりにいる誰一人としてこのようなみっともない安倍の発言をやめさせようとしないのはなぜだろうか。
「あたらしい憲法のはなし」
日本国憲法が施行された1947年、文部省はこの憲法解説のために中学校1年生用「あたらしい憲法のはなし」という教科書を発行した。
「逆コース」のなかで2年ぐらいしか使用されなかったようだが、そのなかの「国際平和主義」という章では次のように解説している。
――ここから転載(「あたらしい憲法のはなし」文部省 から)
国際平和主義
国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。
しかし、おおぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。
じぶんの国のことばかりを考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしてゆくことはできません。
世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。
だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。
こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。
この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことばかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。
そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやってゆくということ、力強いことばで書いてあります。
またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。
転載ここまで――
安倍は中学1年生からやり直した方がいいのではないか。
今手元に「日本国憲法前文に関する基礎的資料」というものがある(リンクはPDF)。
2003年7月に衆議院憲法調査会事務局が「最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会」のための参考資料として作成したものだ。
すべて印刷したのだが、A4用紙で101ページ、104枚の大部になる(片面印刷)。
憲法前文の解説、起草課程、憲法調査会で表明された意見等々なかなか興味深い内容だ。
衆議院憲法調査会事務局の解釈
この事務局の憲法前文解釈がとてもおもしろい。
ここでは安倍の見解と対比する目的で、前文の2番目のパラグラフの解釈を紹介する。
まず、該当する前文の部分は次のようになっている。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
事務局の解釈は次の通り。
――ここから転載(「日本国憲法前文に関する基礎的資料」から)
第2段冒頭の一文が意味するものは?
この一句は九条の戦争放棄(その下における日本の安全保障の方式)の基本的立場を示した部分である。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはいかなる理想を指すかは必ずしも明らかではないが、この文句の由来から見て、それはこの憲法成立の当時まさに出発しつつあった国際連合の掲げる理想を指すと解される…。
ここに宣言されている決意が九条の戦争放棄の規定として具体化されている。
すなわち、この「決意」とは、日本国民が敗戦・ポツダム宣言の受諾によって受動的にやむをえず戦争を放棄し軍備を保持しないことに決したのではなく、恒久平和を念願し人類の崇高な理想を自覚することによって、みずから進んで積極的になした決意であることを示す。
九条冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文句がこれに対応する。
そしてこのような決意に基づいて、日本国民は自国の安全と生存を、かつての日本がそうであったように、また他の国家がそうであるように、最後的には武力と戦争とによって維持しようとするのではなく、ひとえに平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって維持しようと決意したとするものである。
そこに九条の戦争の放棄と戦力の不保持の原則が現われるのである。
この文句を以上のように解すべきであるとするならば、この文句から、自衛のためであれば戦争を認め、また自衛のためであれば戦力の保持を認めるというがごとき考え方を導き出すことは許されない。
すなわち、諸国のうちに、平和を愛せずその公正と信義に信頼しえない一国または国家群が存在し、わが国がその侵略に脅かされているとし、その侵略に対処しわが国を防衛するために、平和を愛する一国または国家群の信義と公正に信頼し、その一国または国家群の武力に依存するより他はないとし、その一国または国家群と軍事同盟的な関係に立つこともできる、というような解釈はとうてい認められない。
「名誉ある地位を占めたい」とは、どのような立場をとることか?
ここに「名誉ある地位を占めたい」とは、現在、世界各国が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去する、自由で民主的な国際社会の実現に努力しつつあるとし、その国際社会において名誉ある地位を占めたいとの意思を示している。
すなわちそれは世界各国とともに、また世界各国にさきがけて平和主義に徹底することをもって「名誉ある地位」と見るのである。
したがって、この「名誉ある地位」という文字のあることを理由として、この憲法の定める平和主義は平和を破壊し侵略を企てるおそれある国家に対しては敢然として武器をとることを辞さないという積極的平和主義であるとし、この立場から、自衛のための戦争、自衛のための軍備を是認しようとするがごとき解釈は認められない。
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」とは、どのような権利か?
<略>
――ここから転載(上記ユーチューブから)
<自民党としてはどの分野の政策に最も力を入れていきたいかと>いう問いに対し
あの日本国憲法の前文にはですね。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存と安全を保持しようと決意した」と書いてあるんですね。
つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。
そして「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」
自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。
国際社会がそう思っているから助けてもらおうと。
いじましいんですね。
みっともない憲法ですよ、はっきり言って。
それは日本人が作ったんじゃないですからね。
そんな憲法持っている以上ですね、外務省も自分たちが発言するということは憲法上義務付けられてないんだから、それは国際社会に任せるんですからね、精神がそうなってしまっているんですね。
そっから変えていくことが大切だと私は思ってます。
転載ここまで――
この安倍の知能(読解力)の低さはどうだ。
この格調高い日本国憲法の前文を「いじましい」「みっともない」と読んでしまう。
はー?????? ってなもんで、茫然自失というか言葉を失う。
どこまでひねくれているんだろうかと思う。
この男が日本の総理大臣で、この動画が世界中で見られているかと思うと恥ずかしいの極致だ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存と安全を保持しようと決意した」というのは、直前に終結した日本の侵略戦争を深く反省したということではないか。
我が国の生存と安全を保持するために、「満蒙は日本の生命線」「大東亜共栄圏」「アジア解放の聖戦」などのスローガンのもと、アジアを悲惨な戦争に巻き込み、二千万を超えるアジア諸国民の犠牲を出した日本の甚大なる責任を自覚し、これからは決してそのようなことはいたしません。
これからは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、戦争以外の方法でがんばりますという(国際平和主義、国際協調主義)国際公約ではないか。
それが安倍にかかると「自分たちの安全を世界に任せますよ」となり、「いじましい」となる。
どういう頭のつくりをしているのだろう。
「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」は、誰が読んだってこの文章の通りしか読めない。
「たかしのブログ」から |
つまり、2度の悲惨な世界大戦をくぐり抜けて、もう戦争はいやだ、戦争の原因となる専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと国際社会は決意した。
そのために国際連合もつくった。
そのような国際社会の中で、日本も立派に役割を果たし、さらにはリーダーシップをとって名誉ある地位を占めたい。
こういうことだろう。
これが安倍にかかると「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。国際社会がそう思っているから助けてもらおうと」となる。
どこをどう読んだらそんな意味になるのか。
あげくの果てに「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」とくる。
はっきり言ってみっともないのはあなたです。
安倍はこの論法で自信を持ってあちこちでしゃべっている。(たとえばここ)
安倍のまわりにいる誰一人としてこのようなみっともない安倍の発言をやめさせようとしないのはなぜだろうか。
「あたらしい憲法のはなし」
日本国憲法が施行された1947年、文部省はこの憲法解説のために中学校1年生用「あたらしい憲法のはなし」という教科書を発行した。
「逆コース」のなかで2年ぐらいしか使用されなかったようだが、そのなかの「国際平和主義」という章では次のように解説している。
――ここから転載(「あたらしい憲法のはなし」文部省 から)
国際平和主義
国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。
しかし、おおぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。
じぶんの国のことばかりを考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしてゆくことはできません。
世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。
だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。
こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。
この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことばかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。
そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやってゆくということ、力強いことばで書いてあります。
またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。
転載ここまで――
安倍は中学1年生からやり直した方がいいのではないか。
今手元に「日本国憲法前文に関する基礎的資料」というものがある(リンクはPDF)。
2003年7月に衆議院憲法調査会事務局が「最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会」のための参考資料として作成したものだ。
すべて印刷したのだが、A4用紙で101ページ、104枚の大部になる(片面印刷)。
憲法前文の解説、起草課程、憲法調査会で表明された意見等々なかなか興味深い内容だ。
衆議院憲法調査会事務局の解釈
この事務局の憲法前文解釈がとてもおもしろい。
ここでは安倍の見解と対比する目的で、前文の2番目のパラグラフの解釈を紹介する。
まず、該当する前文の部分は次のようになっている。
日本国憲法前文 第2段落
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
事務局の解釈は次の通り。
――ここから転載(「日本国憲法前文に関する基礎的資料」から)
第2段冒頭の一文が意味するものは?
この一句は九条の戦争放棄(その下における日本の安全保障の方式)の基本的立場を示した部分である。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とはいかなる理想を指すかは必ずしも明らかではないが、この文句の由来から見て、それはこの憲法成立の当時まさに出発しつつあった国際連合の掲げる理想を指すと解される…。
ここに宣言されている決意が九条の戦争放棄の規定として具体化されている。
すなわち、この「決意」とは、日本国民が敗戦・ポツダム宣言の受諾によって受動的にやむをえず戦争を放棄し軍備を保持しないことに決したのではなく、恒久平和を念願し人類の崇高な理想を自覚することによって、みずから進んで積極的になした決意であることを示す。
九条冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文句がこれに対応する。
そしてこのような決意に基づいて、日本国民は自国の安全と生存を、かつての日本がそうであったように、また他の国家がそうであるように、最後的には武力と戦争とによって維持しようとするのではなく、ひとえに平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって維持しようと決意したとするものである。
そこに九条の戦争の放棄と戦力の不保持の原則が現われるのである。
この文句を以上のように解すべきであるとするならば、この文句から、自衛のためであれば戦争を認め、また自衛のためであれば戦力の保持を認めるというがごとき考え方を導き出すことは許されない。
すなわち、諸国のうちに、平和を愛せずその公正と信義に信頼しえない一国または国家群が存在し、わが国がその侵略に脅かされているとし、その侵略に対処しわが国を防衛するために、平和を愛する一国または国家群の信義と公正に信頼し、その一国または国家群の武力に依存するより他はないとし、その一国または国家群と軍事同盟的な関係に立つこともできる、というような解釈はとうてい認められない。
「名誉ある地位を占めたい」とは、どのような立場をとることか?
ここに「名誉ある地位を占めたい」とは、現在、世界各国が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去する、自由で民主的な国際社会の実現に努力しつつあるとし、その国際社会において名誉ある地位を占めたいとの意思を示している。
すなわちそれは世界各国とともに、また世界各国にさきがけて平和主義に徹底することをもって「名誉ある地位」と見るのである。
したがって、この「名誉ある地位」という文字のあることを理由として、この憲法の定める平和主義は平和を破壊し侵略を企てるおそれある国家に対しては敢然として武器をとることを辞さないという積極的平和主義であるとし、この立場から、自衛のための戦争、自衛のための軍備を是認しようとするがごとき解釈は認められない。
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」とは、どのような権利か?
<略>
転載ここまで――
衆議院憲法調査会事務局というのは政府のエリート官僚集団だと思われる。
しかし、安倍に言わせればこれも「憲法も国際法も全く素人の人たち」ということになるのかな。
が、その事務局の解釈はまっとうなものを通り越して、そこまで言っていいのかと思うほど感動的だ。
つまり、積極的平和主義と称して自衛のための戦争、自衛のための軍備を是認しようとするがごとき解釈は認められないと言いきり、軍事同盟もとうてい認められないとはっきり言っている。
この資料は2003年の小泉内閣のときのものだが、2006年の安倍第1次内閣ではどのような扱いを受けたのだろうか。
この事務局の解釈に対しては異論があって当然だが、この場では、安倍のあまりにも幼稚な憲法誹謗の対極として、政府官僚自らこのような解釈を公にしているという事実を指摘しておきたい。
しかし、安倍に言わせればこれも「憲法も国際法も全く素人の人たち」ということになるのかな。
が、その事務局の解釈はまっとうなものを通り越して、そこまで言っていいのかと思うほど感動的だ。
つまり、積極的平和主義と称して自衛のための戦争、自衛のための軍備を是認しようとするがごとき解釈は認められないと言いきり、軍事同盟もとうてい認められないとはっきり言っている。
この資料は2003年の小泉内閣のときのものだが、2006年の安倍第1次内閣ではどのような扱いを受けたのだろうか。
この事務局の解釈に対しては異論があって当然だが、この場では、安倍のあまりにも幼稚な憲法誹謗の対極として、政府官僚自らこのような解釈を公にしているという事実を指摘しておきたい。
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