改革の方向を「教育の高度専門職業人としての位置づけを確立するため教員養成を修士レベル化する」とある。
今までの教員免許(学士課程修了)は「基礎免許状」とし、大学院修士課程で得られる免許を「一般免許状」、さらに特定分野で高い専門性を身につけたら「専門免許状」の3種類に分類する。
「一般免許状を取得したあと教員に採用」などの方法は例示するにとどめているが、教員の資質能力向上はこのような方策で達成できるのだろうか。
教員に日々研修の必要は否定しないが、大学での勉強時間の長さや、官製研修、免許更新制にともなう講習などがどのていど効果があるのだろう。
中教審がいうような改革は少なくとも小中学校においてはまったく意味がない。
極論を言わせてもらえば、小中学校の教員であれば一般教養や教科の専門知識は高卒ていどでいい。
あとでいくらでも補える。
いくら学力が高くてもそれと教員の資質とは無関係だ。
それではなにが教員の資質として大切か。
俗な言い方になるが、「子どもが好き」ということだ。
子どもにとって一番幸せなことは自分たちを愛してくれる教師がそばにいることだ。
「愛の鞭」とかいってとんでもない愛もあるから注意が必要だが。
じゃあ子どもが好きでない人は教員になる資格がないのかということになる。
私は資格がないとまで言わないが、なってほしくない。
それは子どもにとってもだが、本人にとっても不幸なことだ。
子どもが好きかどうかについても程度の問題があるだろう。
自分でもよくわからないこともあるし、まして人が判断するのは難しい。
その点で教員採用もその基準の大切さがわかったとしても客観性の問題で無視しているのだと思う。
人間は変わるものだし成長もする。
教師だって同じだ。
教師は子どもの立場に立ち、子どもを理解しようと努め、誠実に仕事に向き合っていればそれで立派な教員だと思う。
最後まで子どもを好きになれなかったとしても、立派な教師であってほしい。
◆2011年夏 北アルプスシリーズ ⑧ 蝶ヶ岳から常念岳
コバイケイソウ 2011.7.26撮影 |
コバイケイソウ 2011.7.26撮影 |
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