なぜか妻がテキストまで買ってよく見ている。
したがって私もときどき目にする。
その番組の最後でタレントが淀川長治に扮し映画の一場面に使われている英語の一センテンスをおもしろおかしく紹介するのだ。
たとえばこの前の番組では「風と共に去りぬ」でスカーレット(ビビアン・リー)が「Where is he?」とレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)に問う場面だ。
楽しいし、番組の趣旨としてもとても良い企画だと思う。
当然ながらこの場面では淀川長治の一般に流布されているキャラクターを利用している。
そのキャラクターとはどちらかといえば軽いものである(私だけの思い込みでなければ)。
以前の私であればそのことに何の疑問も異議もなかった。
ところがである。
この番組は4月から始まったのだが、1ヶ月遅れで赤旗が毎週水曜日に「淀川長治という文化」というエッセーを5回シリーズで連載した(筆者は戸田学)。
そのエッセーの見出しを5回分取り出してみると次のようなものである。
①映画伝道師の話芸
②映像的な文章
③郷土史家としても一流
④教育者・鑑賞者として
⑤世界的なマエストロ
つまり戸田は淀川長治という人物を「(映画)評論家という肩書きでは彼の仕事を矮小化する」として、彼のトータルとしての人物のすばらしさをわかってもらいたいのだ。
もともと淀川長治という人物の表面しか知らなかった私だから、このエッセーはずいぶん彼の印象を変えた。
そこで「テレビで基礎英語」だが。
淀川長治をそのように扱っていいのだろうかという疑念がわく。
彼の親族や親しかった人たちは異議を申し立てないのだろうか。
NHKは親族の了解を得てやっているのだろうか‥。
決して深い疑念というものではない。
まして怒っているわけでもない。
ちょっとどうなんだろうと思っただけだ。
ブラシノキ 2012.5.31撮影 |
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