2012年9月28日金曜日

ロンゲラップピープルとアメリカの犯罪

ビキニ環礁でアメリカが核実験を行っていたのは1946年から1958年だ。
実に23回(近辺も含めると66回)もの実験をしている。
それ以後のソ連やフランスの大気中核実験を含め、世界中にまき散らされた放射性物質は地球上のすべての生物に何らかの影響を与えているはずだ。

ビキニで行われた最大規模の核実験が1954/3/1の水爆ブラボー(広島型原爆の1000倍)。
第五福竜丸の被爆で知られているが、ここでの話題はマーシャル諸島ロンゲラップ島の人々の被爆だ。

ロンゲラップの島民は避難させられることもなくブラボーの洗礼を受けた。
子どもたちは死の灰を体にかけて遊んだ。
急性放射能障害が島民を襲い、アメリカはマジェロ環礁エジェット島へ島民を移す。

3年後の1957年にアメリカは安全宣言を出し、ロンゲラップの島民は帰郷する。
しかしその後、流産、死産、甲状腺異常などの疾病が続出。
島民は自らの意志でロンゲラップ島を脱出する。

そして今、アメリカは再び安全宣言を出し、島民をロンゲラップへもどそうとしている。
が、島民は当然アメリカに不信感を持っていて、容易には言うことを聞かない。

以上のような概略は断片的に私も知ってはいたが、9/15にNHK・BS1で放送されたドキュメンタリーWAVE「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」を見て驚いた。
水爆ブラボーの実験から3年後にアメリカ出した安全宣言の具体的事実だ。

アメリカ原子力委員会から派遣された医師(コナード博士)がNHKの取材班のインタビューに次のように答えている(当時の現地での映像付き)。

「低レベルの放射能が残留しているが、島民に目立った影響は出ていない」
「ニューヨークでさえビキニと同程度の線量を自然界から浴びる。ロンゲラップの島民が浴びる線量はさらに少ない」
「私たちの説明で残留放射能の影響はないと確信してもらえたと思う」

福島原発事故時の閣僚・専門家の言を彷彿とさせる。

さらに驚くことは、安全宣言を出す前年、アメリカ原子力委員会での次のような議論だ。

(島民をロンゲラップにもどすことは)
「放射能の影響を調べる上で理想的な状況だ」
「長期間にわたる低線量被爆の影響を調べられる」
「それによって放射線に関する知識が増やせる」

ロンゲラップにもどった島民は、直接被爆していない人はピンクのカード、死の灰を直接浴びた人は緑のカードを持たせられた。
異なる条件の人々を同じ条件で比較調査できる理想的な研究環境を作ったのだ。

アメリカが派遣する医師や科学者は島の水や食料を摂らないよう厳しく指導されたが、住民はほとんど規制なしで自給の暮らしを続けた。

体内に蓄積された放射性物質は、定期検査によって、ストロンチウム90は20倍、セシウム137は60倍となるが、その結果は住民には伝えられない。
そして次々と島民は放射線障害を発症していく。

ここまで事実が明らかなのだ。
コナード博士は動画になっている。
アメリカ原子力委員会での議論も議事録からの引用であり、個人名も特定できるはずだ。
アメリカ政府の責任も含めて、なぜ今日まで免罪されているのか。
アメリカが独立以来犯してきた数え切れない犯罪の中のひとつに過ぎないかもしれないが、これは今現在進行中の犯罪なのだ。

さて、このアメリカを告発したすばらしいNHK・BS1の番組は、今晩(9/28)の総合で再放送(あるいは再編集か)される。


◆2011年夏 北アルプスシリーズ 45 三俣蓮華岳から高瀬ダムへ

ヤマホタルブクロ 2011.8.2撮影
烏帽子小屋から高瀬ダムへと下山している林の中。子どもたちがホタルを入れて遊んだのでこの名がついたホタルブクロの山版だ。本州の中央部だけに分布するらしい。

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