2012年9月12日水曜日

重慶爆撃の被害者が日本を提訴

旧日本軍は日中戦争時、5年間で重慶に218回もの無差別爆撃をくり返し、1万人以上の市民を殺した。
そのときの被害者15人が先日(9/10)日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟を重慶市高等裁判所に起こした。

日本はアメリカによる都市絨毯爆撃により40万人が殺された。
東京大空襲の被害者が日本政府に補償を求めて最近裁判を起こしたが、日本人がアメリカを訴えたことはあるのだろうか。

重慶訴訟の弁護団は「訴訟の目的は、日本政府に歴史を直視させ、自らが犯した犯罪行為を正視させることだ」と言っている。
同じことを日本はアメリカになぜ言わないのだろう。

都市爆撃の歴史をふりかえってみたい。

1922年、オランダ・ハーグにおいて日本、イギリス、オランダ、アメリカ、フランス、イタリアの6か国が空戦法規を定めた。
空襲は軍事目標だけに限る、市民を爆撃してはならない、と無差別爆撃の禁止を決めたのだ。

世界で最初に無差別爆撃を行ったのはドイツだ。
1937年、スペイン・ゲルニカ爆撃で1000人前後(はっきりとはわからない)の死傷者が出ている。
この空爆を題材にしたピカソのゲルニカはあまりにも有名だ。

やや遅れて日本が重慶爆撃を行った。
都市無差別爆撃の先陣を切ったのがドイツと日本なのだ。
ルーズベルトはドイツと日本のこの行為を激しく糾弾した。

第2次世界大戦が始まり、ドイツはロンドンを空襲。
1年間で4万人を超える死者が出ている。
イギリスは反撃を開始し、ドイツを絨毯爆撃。
ドイツの敗北が決定的になった後の1945/2/13にも連合軍はドレスデンを爆撃し、3万人近い市民(15万という説もある)が殺されている。
ドイツの空爆による死者は30万人を超えている。

戦争末期、アメリカは日本の都市を無差別に爆撃するかどうかずいぶんな議論があった。
結果、日本焦土作戦は決行され、1945/3/10の東京大空襲を皮切りに、1945/8/15の敗戦までに66の都市が焼夷弾によって焼き尽くされ、40万人の一般市民が死んだ。

この日本焦土作戦を立案し主導した人物がカーチス・ルメイ少将だ。
ルメイは自伝の中で次のように言っている。

「爆弾を落とす者はさまざまな想像を思いめぐらすだろう。眠っている子どもが瓦礫に押しつぶされたり。3才の少女が炎に包まれ、お母さんと悲しい目で泣き叫んだりする光景にさいなまれるかもしれない。しかし国家がのぞむ任務をまっとうしたいのなら、そうしたことはいっさい忘れるしかないのだ」

戦後、無差別爆撃の罪は連合国も枢軸国も問われていない。
したがって、後に続くベトナム戦争、朝鮮戦争、そしてイラク、アフガニスタンとその極悪非道な戦略は続いていく。
みなアメリカではないか!

驚くべきことがある。
カーチス・ルメイは1964年に日本から勲一等旭日大綬賞を授与されている。
理由は日本の航空自衛隊育成に協力したということで、佐藤内閣が決めた。
いったい日本の支配層の頭の中はどうなっているんだろうと思う。

ドイツは人類で最初に無差別爆撃(ゲルニカ)をした。
600万ともいわれるホロコーストを実行した。
だからといって、連合国の無差別爆撃は許されるのか。

日本は重慶を無差別爆撃した。
2000万もの信じられない命が日本の侵略戦争によって奪われた。
だからといってアメリカの原爆投下は、日本焦土作戦は許されるのか。

*本文は2005/8/11に放送されたNHKの「そして日本は焦土となった~都市爆撃の真実~」を参考にした。


◆2011年夏 北アルプスシリーズ 38 三俣蓮華岳から高瀬ダム

イワベンケイ 2011.8.1撮影
図鑑に岩場にたくましく生きる姿から「弁慶」の名がついたとあるが、なにもこいつだけがたくましく生きているわけでもないのにと思う。

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