2013年5月22日水曜日

共産党参院選比例区を考える

参議院選挙が7月に迫ってきたが、公示日には選挙が終わっているという話もある。

2003年に公職選挙法が改定され、従来の不在者投票の要件が緩和されて期日前投票制度ができた結果、多くの人が公示日の翌日から投票をすることになった。
Wikipediaには「2007年(平成19年)の参議院議員選挙では、東京都の当日有権者のうち10.81%, 投票者のうち18.68%が期日前投票を利用した」とある。

つまり、さあ選挙だと張り切って政策を訴え、投票依頼をすると、すでに他党に投票したという人がけっこういるのだ。
何のために選挙運動期間があるのかわからなくなってくる。

この制度を最大限活用しているのが公明党・創価学会だと思われる。
が、ここではそのことには触れない。

共産党は比例区においては次の5人を候補者に立てている。

  紙 智子 参院議員2期      58歳
  井上哲士 参院議員2期      54歳
  山下芳生 参院議員2期      53歳
  小池 晃 参院議員(2期)  52歳
  仁比聡平 参院議員(1期) 49歳 

たたかう前から情けないことを言うようだが、ここ10数年の国政選挙における共産党の凋落傾向を見ると、現有3議席を確保できれば上等なのかも知れない。
1議席減ということもじゅうぶんあり得る。
もちろん5議席獲得という可能性もゼロではないが。

この候補者の顔ぶれを見て私が思うのは、小池(敬称略)のことだ。

小池は現職であった前回2010年の参院選のとき、比例区ではなく東京選挙区から立候補した。
党中央の思い切った決断であり、勝算もあったのだろう。

小池が選挙区で当選すれば、比例区で現有議席数を維持するとして全体で1議席増を達成できる。
全国の党員や支持者は東京選挙区に注目した(と思う)。

東京選挙区は定数5、候補者は24、そして小池は奮闘むなしく次点で落選した。
2010年参院選東京選挙区 読売オンラインから
一時は「みんなの党」の松田と5位を争っていたが、終わってみれば10万票もの差をつけられている。
(松田公太は小池晃を落としたに値する議員活動をしてきたか?)
おまけに比例区も1議席減。

小池は議席を失ったが、党政策委員長、そして後には党副委員長として国民の目に見える活躍を続けた。

そして今回の参院選だ。

なぜ小池はもう一度東京選挙区にチャレンジしないのだろう。
小池が比例区になろうがなるまいが、比例の得票数に大きなちがいがあるとは思えない。
ならば小池は東京区に出るべきだ。
小池が東京選挙区で当選する可能性は共産党全選挙区候補の中で最も高い。

その小池が副委員長であるから落とすわけにはいかないといって選挙区から逃げるのならば、他の46選挙区候補者は何のために立候補しているのかということになる。
そして支持者は何のために選挙区候補を応援するのか。

小池は選挙区で当選すればよし、落選しても活躍できる場も力もある。
なのに、小池が比例区に入ったことにより、現有3議席を維持したとしても、小池はおそらく当選するだろうから、現職のだれかが落選することになる。

こういったことを前回の総括も含めて共産党はきちんと説明していないのではないか。

批判めいたことを書いたが、共産党にはがんばってほしい。

ここからが今日の本題。

参議院の比例区は全国区だ。
が、共産党は上図にもあるように5候補を5つの地域に振り分けている。
広島は仁比聡平の活動地域だ。

仁比は1期6年参議院議員を務め、前回(2010年)落選した。

「情にあつく、民衆とともに、義をつらぬく」(ホームページから)熱血弁護士だ。
冒頭書いたように、公示日には半ば選挙運動は終わっている。
ネット選挙も解禁したことだし、私もおよばずながら仁比聡平を応援することにした。

それにしても小池が比例区から立候補することにより、仁比の当選はさらに遠のくという事実は割り切れない。

赤旗5/17付の地方面に仁比聡平の記事が載った。


北九州 冷たい生活保護行政
病室に現れた“黄門様”

「2007年の終わりごろから生活保護を申請したいという市民には申請書を渡すようになった。いま揺り戻しも起きていますが、大きな変化です」―北九州市社会保障推進協議会の飯田富士雄事務長は言います。

 北九州市は、生活保護を申請しようとしても福祉事務所の窓口で申請書さえ渡さない「水際作戦」で生活保護を受けさせず、05~07年に相次いで餓死者までだしました。厚労省も深くかかわる申請妨害行政は「北九州方式」と呼ばれてきました。

 市は年間予算の枠内に保護費を抑え込むため、「数値目標」を設定。「福祉事務所に5回行っても申請書をもらえなかった」(80代女性)、「生活保護を辞退するよう『自ら強い意思で自立する』と書けと強要された」(60代夫婦)などの対応をしてきました。

 飯田さんは「冷たい行政をただす運動と国会での追及が変化をもたらした」といいます。

 餓死事件の現場で

06年5月、同市門司区で餓死した56歳の男性の遺体が発見されると、仁比そうへい参院議員(当時)は現場に直行し調査。「異常な保護行政で引き起こされた“殺人”といわなければならない」と記者会見で告発しました。

 翌月の参院行政監視委員会では「最後の命綱である生活保護が窓口で断たれている。国が是正しなければ、再び、三たび、犠牲が繰り返される」と是正を迫りました。

 川崎二郎厚労相(当時)は「今後の行政に資するため本件のケースについては検証したい」と仁比氏に調査を約束。その後、厚労省は「対応次第では本事例のような結果にならなかった可能性がある」との調査結果を公表しました。

全国の研究者や弁護士ら250人の調査団による現地調査も行われ、「申請は権利」「申請・面接で第三者の同席を認めよ」の声が高まりました。翌07年の市長選では生活保護問題が大きな争点となり、新市長は生活保護の「数値目標を撤廃する」と約束。厚労省は全国に申請権の侵害や辞退届の強要をしないよう指導しました。

 「安倍自公政権が復活したころからまた生活保護の申請が難しくなっていると感じる」と顔を曇らせるのは、同市の八幡生活と健康を守る会の吉田久子事務局長です。福祉事務所の面接室に置かれるようになった申請書がまた消え、生活保護を受給させず就労させようと、面接ではしつこく就労歴を問いただすといいます。

 カーテン越しの声

 仁比氏も冷たい生活保護行政を目の当たりにしました。1月の北九州市議選応援の時のけがで入院した病室には、大けがの手術を終えたばかりの建設労働者がいました。

 建設不況で失業、国保料が高すぎて払えず保険証はありません。病院のケースワーカーに励まされて、生活保護を申請したものの、病室を訪れた福祉事務所の職員が名義だけの学資保険を理由に受給を認めないと話しているのがカーテン越しに聞こえたのです。

 ベッドに横たわっていた仁比氏は「一言いわせてもらってもいいですか」と切り出し、「実質的にはその人の財産でもなんでもない。あなたはこのままこの患者さんに病院から出て行けというつもりですか。ドクターも看護士もスタッフもみんなが仕事に戻れるように頑張っているのに、無にするのが行政の仕事ですか」とただしました。職員は再検討するとして翌日、受給開始を回答しました。病院のケースワーカーはやりとりをリポートにまとめました。見出しは「黄門様現る」―。

 仁比氏はいいます。「私がその場にいたというのはまったくの偶然。今の生活保護行政の不条理をこれ以上まかり通らせるわけにはいきません。健康で文化的な生活が保障された憲法が生きる政治をつくりたい」


◆ キュウリグサ(ムラサキ科キュウリグサ属) ◆
キュウリグサ 2013.5.5撮影
とても小さな頼りなさそうな花だ。ひょろひょろと伸びて先端に青い小さな花をつける。それだけにかわいいともいえる。葉をもむとキュウリのようなにおいがする。だからといってちぎってもんでみようという気にはならない。

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