2012年8月3日金曜日

水俣病申請 本当に打ち切った!?

政府は予定通り水俣病救済策の申請受付を7月末で打ち切った。
被害地域が拡大していたこともわかり、多くの被害者が検診待ちをしている段階での暴挙だ。

2009年にできた水俣病特措法第3条で「救済及び解決の原則」として次のように書いてある。

この法律による救済及び水俣病問題の解決は、継続補償受給者等に対する補償が確実に行われること、救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること及び関係事業者が救済に係る費用の負担について責任を果たすとともに地域経済に貢献することを確保することを旨として行われなければならない。

「あたう限り」と法律で決めながら、多くの未救済の被害者を残しての申請打ち切りが許されるものだろうか。

6/24にNHKで放送されたアーカイブスで、1995年のNHKスペシャル「チッソ・水俣工場技術者たちの告白」という番組を見た。

1956年に水俣病の症状が公式に確認されてから1973年のチッソ敗訴まで、なぜ被害の拡大を止めることができなかったかを追ったものだ。

初期の段階からチッソの付属病院は工場を疑い、チッソの工場長室にいた太田は工場排水口を見て異変をとらえていた。
熊本大学も排水が原因という見解を出していた。
しかし、水俣の天皇といってもいいほどの力を持つ工場長・西田はそれを認めようとしない。

東京のチッソ本社が世論を気にして熊本大学と協力して事に当たるよう助言するが、現場は拒否。

世は大量消費の時代に入り、アセトアルデヒドは増産に次ぐ増産で汚染排水は増える一方。
熊本大学は有機水銀説を打ち出す。
工場の技術部はアセトアルデヒドから有機水銀ができることを突き止めて改善策の必要性を上申するが会社は取り上げない。
被害は拡大していく。

1959年、チッソ付属病院は猫400号実験で工場排水による水俣病発症を確認したにもかかわらず、またもや会社上層部は無視。
そして旧海軍の爆弾遺棄投棄による爆薬説を主張。

被害が集中した漁民は排水を止めよと抗議行動を起こすが、漁協を除く28団体は排水を止めないよう県知事に要請。
企業城下町ではチッソの操業が止まると死活問題というわけだ。
このあたりの構図は最近もどこかで見たような。

時代は高度経済成長に突入。
1961年、会社の技術部に入った新人技術者が排水からメチル水銀を検出。
しかし、上司はそのメチル水銀が魚に入ってどうなっていくのかが解明されないかぎり責任はないという態度。
そして新潟で第2水俣病が発生する。

1971年、被害住民が訴えた裁判でチッソ敗訴。
水俣病公式確認から17年目にして企業側が頭を下げる。

1995年のこの番組は、この時点で生存していた当時の関係者にインタビューしている。
工場長室にいた太は、本当に申し訳なかったと心から謝罪していた。
工場長だった西田(すでに故人)は全責任は自分にある、罪人となった自分を許してほしいといいながら死んでいったらしい。

猫400号実験を公表せず水俣病隠しといわれた技術部次長(後のメチル水銀検出も隠した)は、そのときの行動は正しかったと正当化(猫400号の一例だけで判断するのは危険だと)。
会社はものをつくるという前向きな仕事をするものであって、問題は無かった方がいい、とにやつきながらしゃべる。
反省の見られない態度だ。

もっとも許せないのが経済企画庁水質調査課課長補佐だ。
あの当時人が何人か死んだからといって工場を止められない、命の大切さは工場の1つや2つと比べられないことはわかるが止められない、産業性善説だ、わかっててやっていた、確信犯だとたばこをくわえながらの発言。
やはり一番反省がないのが官僚だ。
おまえらのせいで多くの人が苦しみながら死んでいき、今もなお多くの人が苦しんでいるのに、自分たちは責任もとらず反省もせずにいい暮らしをしている。

番組はアーカイブだから最後に現代の解説が入る。
2009年に水俣病特措法制定。
水俣病の症状がありながら行政認定されない被害者に一時金210万円と医療費が支給される。

水俣病問題を社会に訴え続けてきた作家の石牟礼道子は番組のインタビューに次のように答えた。

「210万円もらった被害者は生活保護が取り消される。これが和解か。これが救済か。210万円で一家3人が1年暮らせるか。しかも病身で。ひとりひとり、人は何のために生きているんだろうと改めて思います」

番組解説の最後は50年にわたって水俣病と向き合ってきた原田正純医師の映像だ。

「水俣病は特有の症状がありわかりやすい。放射能被害はふつうの病気と区別がつかない。だからこそ福島は今現在の健康管理が大切」

彼は今年の6/14に亡くなったのだが、その6日前のインタビュー映像がうつされる。

「水俣病は殺人事件だ。公害という言葉でごまかしているのはおかしい。水俣の事件の記憶が消えないことを願っている」


◆2011年夏 北アルプスシリーズ ⑳ 常念岳から大天井岳

タカネヤハズハハコ 2011.7.27撮影
姿がウスユキソウに似ていることから、別名でタカネウスユキソウとも呼ばれるが、ウスユキソウ属ではなくヤマハハコ属という別のグループに属する(Wikipediaより)。まわりにチングルマやイワカガミの花の落ちたやつが見られる。

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