2013年1月17日木曜日

安倍首相がさっそく「河野談話」見直し発言

10日近くたまった新聞(赤旗)のせいで、当日の新聞をその日に読めるようになるまで2週間ぐらいかかってしまった。

安倍第2次内閣がその悪政を着々と進めようとしている。
前回の反省どころか、今度こそ「戦後レジームからの脱却」を成し遂げるぞ、「美しい日本」を取り戻すぞ、という根性は見上げたものである。

この年始の安倍内閣に関する赤旗報道を見ていて、特に目についたのが従軍慰安婦に関しての「河野談話」見直し問題だ。
「戦後レジームからの脱却」といい「美しい日本」といっても、けっきょく王政復古であり、大日本帝国万歳なのだから、安倍にとって「河野談話」見直しは必然のこと。

河野談話とは次のようなものだった。

慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。
 われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 
今あらためて全文を読んでみて、よくもまあこれだけ立派なものを自民党政権(宮沢内閣)がつくったものだと感心する。

非の打ち所がないと言ったら言い過ぎなのかも知れないが、あの自民党政権がつくったものだと考えれば感動的でさえある。

ところでこの談話は表題を見るように「慰安婦関係調査結果発表に関する」談話なので、その本体である「調査結果」があるのだ。
それは「いわゆる従軍慰安婦問題について」というタイトルで、河野談話と同日に内閣官房内閣外政審議室というところから発表されている。
意外に短いものなので、全文引用する。


いわゆる従軍慰安婦問題について
平成5年8月4日
内閣官房内閣外政審議室
1.調査の経緯

 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者によるわが国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。

 このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の課程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添の通りである。

 調査対象機関


警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館

 関係者からの聞き取り

元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等

 参考とした国内外の文書及び出版物

韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。

 本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。

2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について

上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。

(1)慰安所設置の経緯

 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。

(2)慰安所が設置された時期

 昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。

(3)慰安所が存在していた地域

 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。

(4)慰安婦の総数

 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。

(5)慰安婦の出身地
 今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。

(6)慰安所の経営及び管理

 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。

 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。

(7)慰安婦の募集

 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。

(8)慰安婦の輸送等

 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。

このようなまじめな態度で調査してまとめ、発表する前にわざわざ談話まで発表するという手の入れようで、当時の自民党政権はがんばった!

しかしこの努力にもかかわらず、長きにわたった自民党一党独裁政権はこの直後に瓦解し、細川連立内閣誕生(なんと談話発表5日後の1993年8月9日)。

細川内閣が河野談話をどのように具体化したかは調べていないのでよくわからない。

それから1年も経たない1994年6月30日に自民・社会・さきがけによる村山連立内閣が誕生。

村山富市が社会党を壊したことをどう評価するかはいろいろ意見があろうが、とにかく彼は「村山談話」なるものを発表して歴史に名を残した。

村山談話はこの項のテーマから少しはずれるので置いといて…

村山内閣は1995年に「女性のためのアジア平和国民基金」を創設した。
以後、政府としてもけっこうな活動をしている。
私も今回初めて外務省のホームページの「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」を見て、意外に日本政府ががんばっているので驚いた。

こんなものもある。

元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙

拝啓 


 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。 
敬具
平成13(2001)年 
日本国内閣総理大臣 小泉純一郎


あの小泉純一郎がこのような殊勝な手紙を元慰安婦に出しているのだ。

河野談話が示した

 「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。
 われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」

や、総理大臣が手紙で

 「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」

と書いた決意を日本政府がどれほど誠実に履行してきたかは大いに疑問だが、同時にこれらの文書を日本政府が継承してきたことも事実だ。

今、安倍晋三が日本の総理大臣として初めてこの河野談話の見直しが必要と言っている。
ドイツ政府がナチスのホロコーストを見直すといっているようなものだ。
さっそく国際的非難を浴びている。

安倍晋三と慰安婦問題といえば、2001年のNHK・ETV特集「戦時性暴力を問う」という番組を思い出す。

当時内閣官房副長官だった安倍と経済産業相だった中川昭一はNHKに圧力をかけてこの番組を改変させた(裁判では高裁の判決を最高裁が破棄した)。

中川はG7での記者会見における醜態を世界中にさらしたあげく自死。
安倍は得意満面の総理大臣。

この2人に相対するのは、NHK番組改変問題でNHKを訴えたVAWW-NETジャパンの代表、西野瑠美子。

昨日1/16付の赤旗に「安倍首相『慰安婦』発言を正す」という彼女の談話が載った。


安倍首相「慰安婦」発言を正す 
 連行は拉致・だましが大多数
西野瑠美子さんに聞く

 安倍氏はかつて、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行く狭義の強制性はなかった」「慰安婦狩りのような官憲による強制連行的なものがあったと証明する証言はない」などと発言(07年3月)し、このたび再度首相に就任して、過去の侵略と植民地支配の誤りを認めた「村山談話」、日本軍「慰安婦」問題について軍の関与と強制を認めた「河野談話」の見直しを表明(「産経」12年12月31日付)しましたが、発言にはいくつものごまかしがあります。

  当時の刑法と条約にてらし

 まず、強制連行とは人さらいとか誘拐、「慰安婦狩り」のようなものだけを指すのではありません。「いい仕事がある」「勉強ができてお金がもうかる」などの甘言をろうして連れ去る詐欺・騙しも含みます。

 「何人たるを問わず醜業を目的として未成年の婦女を勧誘しまたは拐去(だまして連れ去る)したる者は本人の承諾を得たるときといえども罰せらるべし」(国際醜業条約第1条)

 「未成年者を略取または誘拐してはならない」(刑法第224条)

 このように未成年を甘い言葉で騙して連れ去れば罰せられたのです。強制連行を刑法や当時、日本も加盟していた国際醜業条約に基づいて定義すれば次の4つにまとめられます。

 ①未成年の女性を「慰安婦」にした。
 ②詐欺・暴行・脅迫・権力乱用その他いっさいの強制手段で勧誘・誘因・かどわかして「慰安婦」にした。
 ③日本国外に移送する目的で略取・誘拐した。
 ④略取・誘拐・売買されたものを日本国外へ移送。

 「人さらい」「慰安婦狩り」があったかなかったかだけを問題にする安倍氏言い分が成り立たないことはあきらかです。

  証言集で調査 未成年が9割

 では実際にどのように女性たちは集められたのでしょうか。

 私が、被害女性たちの証言集や、彼女たちが日本政府を相手に謝罪と賠償を求めた「慰安婦」裁判での訴状や、国内で刊行されている証言集などをもとに調べた結果、たとえば朝鮮人女性52人中、未成年が45人で87%をしめます。その連行形態=重複=は。拉致11人(21%)、詐欺・騙し34人(65%)でした。

 中国人女性(28人)の場合は未成年71%で、日本兵による暴力的、拉致による連行96%。フィリピン人女性(58人)は未成年78%で、日本兵による暴力的・拉致98%。東ティモール人女性(21人)は暴力的・脅迫的連行が100%など、です。

 「暴力的・拉致的に連行された」と証言している女性が分かっただけでもこれほどいるのです。「慰安婦」裁判では謝罪・補償要求は棄却されましたが、連行や慰安所での状況は事実認定がされています。裁判所も認める動かしがたい事実です。

  米紙「性奴隷」 戦後置き去り

 「慰安婦」問題を語る時、問題は連行の状態にとどまりません。彼女たちは汽車や舟に乗せられて移送の過程でも監禁状態でした。「慰安所」でも自由意志はなく、抵抗すれば殴られ、拒否する自由はありませんでした。最初から最後まで強制・監禁状態でした。ニューヨークタイムズの社説(3日付)も「慰安婦」を「性奴隷」と呼んだように、それがことの本質です。

 さらに敗戦で日本軍は自分たちだけ逃げだし、女性たちの多くは置き去りにされました。戦後、国に帰ることもできず望郷の念にかられながら異国で暮らす女性たちが少なくありませんでした。現状復帰しなかった責任も重大です。

 安倍氏が「慰安婦」問題を朝鮮人だけに矮小しているのもごまかしです。「慰安婦」問題はさきにみたようにアジア全域に及びました。安倍氏のような言い分はアジアでも世界でも相手にされません。

引用の多い記事になったが、疲れてしまった。
宮武嶺の次のような記事も見てほしい。

池田信夫氏に見る「従軍慰安婦」強制性を否定する歴史修正主義

◆ 南イタリアシリーズ④ 地中海マツ ◆
地中海マツ 2012.12.26撮影 カプリ島
地中海マツを下から見上げる
地中海マツの実
カプリ島の北側(ケーブルカーの頂上駅)にもどってきた。昼食をとったレストランの近くに生えていた地中海マツ。下の方に枝がないのが特徴。木も大きいがマツボックリもでかい。

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