2019年6月7日金曜日

ミキ・デザキ監督のドキュメタリー映画「主戦場」 「慰安婦」問題に決着をつけた!?

「慰安婦」問題と南京大虐殺は、日本が起こした15年戦争(侵略戦争)の象徴的なテーマとしていまだに大きな論争を起こしている。
「聖戦」として行われたかつての戦争の様相は、まさに侵略戦争の本質である極悪非道をやり尽くした感があって、上記2件だけがいつも問題になるっていうのも問題だと思うのだが、まあ実態はそうなっている。

実は、「慰安婦」問題も南京事件もとっくの昔に決着はついている。

南京事件については、外務省のホームページにもあるように、その事実は日本政府も認めている。
問6「南京事件」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 
日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

「慰安婦」問題については、かの有名な河野談話がある。

2019年6月6日木曜日

ついに「名ー姓」の英語表記は是正されるのか?

赤旗 2019.5.28付
先月28日付の赤旗に右のような囲み記事が載った。

日本人の名前の英語表記については5年前に少しくわしく投稿した(「日本をとりもどそう オリンピックの名前表記」)。

そのときは自民党本部や安倍事務所まで電話して意見を聞いたりして、私もかなり元気だったな。

以後、さまざまな国際スポーツイベントを注意深く見ているのだが、ごくまれに卓球の国際大会で「HIRANO Miu」などと姓ー名の順で表記されているのを見たりしたが、まずほとんどは今までどおり「Miu HIRANO」となっている。

2019年6月1日土曜日

日米首脳会談 日米の揺るぎない絆は自慢できるのか 恥ずかしくないのか

2019.5.25 トランプ大統領来日
今回の安倍首相の日米首脳会談は11回目になるそうだが、会談をするたびにこれまで以上に「日米同盟の絆が深まった」「日米同盟が深化した」などと自慢げに言う。
いったいどこまで一体化したら気がすむのだろう。

2015年に安倍が米国両院合同議会で演説したときには、次のような言葉で演説をしめくくり、世界中を赤面させた(まさか私だけではないよね)。

「私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
希望の同盟―。一緒でなら、きっとできます」

2019年5月29日水曜日

「国体」「戦後レジーム」をめぐって白井聡と浜矩子

赤旗以外の新聞はほとんど読まないのだが、先日、印鑑証明を取りに区役所を訪れた際、待ち時間の間朝日新聞を眺めていたら、いま旬の白井聡のインタビュー記事が目に入った。
朝日新聞 2019.5.10付
戦後、国体は天皇からアメリカへ変わっていったという認識は同感だ。
白井は全国革新懇ニュース2018.6月号では次のように言っている。

2019年5月18日土曜日

牛の幸せ アニマルウェルフェア

ちょうど1年前になるが、五島列島を南から北へ車で縦断する旅をした。
福江島へ渡る直前、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に内定するというニュースが報道され、けっきょく五島列島にあるほぼすべてのキリスト教会を巡るという変わった旅になってしまったが、この投稿はその旅行記ではない。

福江島の北側に久賀島(ひさがじま)というやや小さめな島がある。
久賀島田の浦にある案内板の一部 2019.5.7撮影
赤丸2カ所と斜体赤文字は太陽による
世界遺産に指定された教会や集落などは長崎と熊本に合わせて12あるが、そのうちの4カ所が五島列島にある。
そのなかの1つが久賀島にあって、広くは島全体が文化的景観として指定されているが、特に東海岸にある旧五輪教会堂が単独の施設として世界遺産のスポットになるだろう。

2019年5月11日土曜日

改元のバカ騒ぎを演出する安倍政権とマスコミの愚劣

ピークは過ぎた感はあるが、平成から令和へと改元されたときの日本中のバカ騒ぎには開いた口がふさがらない。
赤旗 2019.4.2付
中国の古典からは選ばれないだろうということは前もって確信していたが、一部の人たち(私も)が予想していた「安」の字が入るのではなかろうかという予想はさすがにはずれた。

2019年4月10日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑱「日本化への苦闘」もしくは「日米案翻訳戦争」

1946年 終戦後の空腹を訴える子どもたち
GHQ案に大きな反発を覚えた松本蒸治は、「憲法改正案説明補充」という大部の再説明書を書いて2月18日に民政局へ提出し、GHQの再考を促したが、「これについて再考の余地はない」と一蹴される。

日本政府案の提出期限である20日にはとてもまにあわないので、とりあえず22日までの延期を申し入れる。
その22日、松本はホイットニーと会談し、いくつもの条件を出す。
たとえば、

●GHQ案は、人民の発議になっているが、大日本帝国憲法は、第73条で、天皇の発議以外には憲法を改正できないとしている。
●戦争放棄の条項は、前文に入れられないか?
●我が国の国情から二院制が必要だ。

ホイットニーは二院制だけを認め、ほかはほとんど拒否。