朝日新聞 2019.5.10付 |
白井は全国革新懇ニュース2018.6月号では次のように言っている。
戦後の「国体」とは、日米安保体制を基礎とする対米従属構造である、つまり頂点にアメリカを戴く構造である点です。
戦後、アメリカは日本に対する占領支配に天皇を利用し、昭和天皇は天皇制を維持するために進んでアメリカに協力しました。
そうして成立した戦後の「国体」が、占領の終わった後も安保体制として続いています。
つまり、国体=アメリカ=日米安保体制 ということだ。
豊下楢彦はすでに1996年に発行した「安保条約の成立」(岩波新書)のなかで、「国体護持」のための安保体制が新しい「国体」となる と書いている。
わたしは豊下の本も引用しながら、投稿「戦後レジーム」と「日米同盟」で、安倍の信念である「戦後レジームからの脱却」というときの戦後レジームは、今日ではまさに日米安保体制ではないかと書いた。
白井は「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)のなかで、「永続敗戦レジーム」という言葉を使っている。
この本をまだ読んでいないので確定的にはいえないのだが、白井も 戦後レジーム=日米安保体制 というとらえ方をしているはずだ(このとらえ方はすでにあたりまえ?)。
この「永続敗戦レジーム」の意味を、白井は週刊金曜日2018.6.22号で次のように述べている。
この間、赤裸々に可視化されてきたのは、戦後日本の支配体制が「朝鮮戦争が終わってしまったら絶対困る。終わるくらいなら再開してほしい」と考えていることです。
なぜなら、安倍政権にまでつながる戦後の親米保守支配権力は、朝鮮戦争など東西冷戦が厳しくなっていくなか、米国によって戦争責任を免じられて戦後日本の支配者として選ばれたという出自をもつからです。
冷戦構造が対米従属を必然化し、対米従属が彼らの権力基盤となってきた。
したがって、冷戦構造の残滓である朝鮮戦争の終結は、彼らの支配構造を直撃します。
とても刺激的な一文だ。
なぜ日本はこうまで卑屈な対米従属の国なのかという問いに対する明快な回答になっている。
この件については稿を改めて別の機会にまた触れたい(いつのことやら)。
この白井聡が赤旗日曜版の最新号に登場した。
ちょっとしつこいようだが、このさいこれも引用しておく。
安倍が「戦後レジームからの脱却」というなら、日米安保条約を破棄しなければならず、これまでにない日米同盟の絆、強化、深化といってことあるごとに涙を流さんばかりに驚喜している安倍はすさまじい自己矛盾におちいるわけで、いったいあやつはどうするんだろうかといらぬ心配までしていたところ、浜矩子が意外なことを言い出した(いつからかはよく知らないが)。
知人がいつもお古をくれる「商工新聞」5.13号の1面に、「安倍政権の増税許すな」の見出しで浜矩子が寄稿している。
その文の中に次のようなことが書かれている。
戦後レジームから脱却したいと、安倍首相は言っています。
戦後レジームとは、日米安保体制そのものです。
そこから脱却したいと言っているわけですから、アメリカべったりという状況からも実は脱却して、そういう軛(くびき)からも解放された「帝国日本」をつくりたいと思っている。
「トランプ政権に迫られて」というのは口実です。
安倍首相本人が軍備の増強をやりたいから「トランプさんから買えって言われている」と、あたかもアメリカの言いなりになっているというような風情を押し出しつつ、自分が本当にやりたいことをやっているということです。
本当だろうか。
言葉通り、安倍は戦前回帰の「帝国日本」をめざしているのだろうか。
そこまでは何とかわかるとしても(もともとそういう意味なのだから)、そのためには日米安保体制から脱却し、日米同盟のくびきからも解放されたい!?
それなら安倍自身のなかには自己矛盾はない!
そうだとしたらある意味安倍を見直してしまうのだが。
それでこそ偏狭なナショナリズムに染まった極右としての堂々とした安倍晋三の姿が見えてくる。
う~ん。
*白井が朝日新聞で述べているアキヒトの「おことば」に関する評価は一考に値するので、またの機会に触れてみたい(いつになるやら)。
五島列島シリーズ⑤ ◆ スイカズラ(スイカズラ科スイカズラ属)◆
とくに海浜植物というわけではなく、山野や空き地にでもよく見る。つる性植物で、ニンドウ(忍冬)という別名があり、冬場を堪え忍ぶというなかなかけなげな花だ。
戦後の「国体」とは、日米安保体制を基礎とする対米従属構造である、つまり頂点にアメリカを戴く構造である点です。
戦後、アメリカは日本に対する占領支配に天皇を利用し、昭和天皇は天皇制を維持するために進んでアメリカに協力しました。
そうして成立した戦後の「国体」が、占領の終わった後も安保体制として続いています。
つまり、国体=アメリカ=日米安保体制 ということだ。
豊下楢彦はすでに1996年に発行した「安保条約の成立」(岩波新書)のなかで、「国体護持」のための安保体制が新しい「国体」となる と書いている。
わたしは豊下の本も引用しながら、投稿「戦後レジーム」と「日米同盟」で、安倍の信念である「戦後レジームからの脱却」というときの戦後レジームは、今日ではまさに日米安保体制ではないかと書いた。
白井は「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)のなかで、「永続敗戦レジーム」という言葉を使っている。
この本をまだ読んでいないので確定的にはいえないのだが、白井も 戦後レジーム=日米安保体制 というとらえ方をしているはずだ(このとらえ方はすでにあたりまえ?)。
この「永続敗戦レジーム」の意味を、白井は週刊金曜日2018.6.22号で次のように述べている。
この間、赤裸々に可視化されてきたのは、戦後日本の支配体制が「朝鮮戦争が終わってしまったら絶対困る。終わるくらいなら再開してほしい」と考えていることです。
なぜなら、安倍政権にまでつながる戦後の親米保守支配権力は、朝鮮戦争など東西冷戦が厳しくなっていくなか、米国によって戦争責任を免じられて戦後日本の支配者として選ばれたという出自をもつからです。
冷戦構造が対米従属を必然化し、対米従属が彼らの権力基盤となってきた。
したがって、冷戦構造の残滓である朝鮮戦争の終結は、彼らの支配構造を直撃します。
とても刺激的な一文だ。
なぜ日本はこうまで卑屈な対米従属の国なのかという問いに対する明快な回答になっている。
この件については稿を改めて別の機会にまた触れたい(いつのことやら)。
この白井聡が赤旗日曜版の最新号に登場した。
ちょっとしつこいようだが、このさいこれも引用しておく。
赤旗日曜版 2019.5.26付 レイアウトは少し変えた |
知人がいつもお古をくれる「商工新聞」5.13号の1面に、「安倍政権の増税許すな」の見出しで浜矩子が寄稿している。
その文の中に次のようなことが書かれている。
戦後レジームから脱却したいと、安倍首相は言っています。
戦後レジームとは、日米安保体制そのものです。
そこから脱却したいと言っているわけですから、アメリカべったりという状況からも実は脱却して、そういう軛(くびき)からも解放された「帝国日本」をつくりたいと思っている。
「トランプ政権に迫られて」というのは口実です。
安倍首相本人が軍備の増強をやりたいから「トランプさんから買えって言われている」と、あたかもアメリカの言いなりになっているというような風情を押し出しつつ、自分が本当にやりたいことをやっているということです。
本当だろうか。
言葉通り、安倍は戦前回帰の「帝国日本」をめざしているのだろうか。
そこまでは何とかわかるとしても(もともとそういう意味なのだから)、そのためには日米安保体制から脱却し、日米同盟のくびきからも解放されたい!?
それなら安倍自身のなかには自己矛盾はない!
そうだとしたらある意味安倍を見直してしまうのだが。
それでこそ偏狭なナショナリズムに染まった極右としての堂々とした安倍晋三の姿が見えてくる。
う~ん。
*白井が朝日新聞で述べているアキヒトの「おことば」に関する評価は一考に値するので、またの機会に触れてみたい(いつになるやら)。
五島列島シリーズ⑤ ◆ スイカズラ(スイカズラ科スイカズラ属)◆
スイカズラ 2018.5.5撮影 福江島鐙瀬溶岩海岸 |
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