2019年3月7日木曜日

3・1朝鮮独立運動100年 ③独立運動の推移

大日本帝国の大礼服をまとう高宗
今回は、3・1朝鮮独立運動は具体的にどのような経過をたどたのかをみてみる。

1910年に日本が韓国を併合したときの国王は高宗(コジョン)だった。
即位した1863年時は11歳だったが、併合後は国王という身分はなくなり、王公族のひとりとして徳寿宮李太王という称号を与えられている。
妃(妻)はあの日本人によって虐殺された閔妃(ミンビ)。
閔妃については昔「志位委員長のツイッターから『原爆投下は神の懲罰』を考える」というタイトルのブログで少しふれた。

この高宗が1919年1月21日に亡くなり、3月3日に国葬が行われる予定だった。

2019年3月3日日曜日

3・1朝鮮独立運動100年 ②「宣言書」のすばらしさ

赤旗 2019.2.26付
前回の投稿は、3月1日中にアップしようと思って、時間に迫られ、最後は独立宣言文を引用しっぱなしで終わってしまった。
今日改めてじっくり読み、特に注目すべきところを赤の太字に編集してみたりした。

赤旗の「主張」は次のように言っている。
*「主張」全文は私の前回の投稿か赤旗HPを参照。

「宣言書は、独立が民族自決の正当な権利であるだけでなく『東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要となる階段』であり、『日本を正しい道に戻して、東アジアを支えるための役割を果たさせようとするもの』と強調しました。
三・一独立運動は、日本との真の友好と平和のための協力に向けた展望までも先取りしたことを示しています」
「三・一独立運動が目指した『東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和』への旅程が始まろうとしています」

2019年3月1日金曜日

3・1朝鮮独立運動100年 ①赤旗社説のまっとうな「主張」

赤旗日曜版 2019.2.24付
きょうは3月1日。
3・1といえば、ビキニデーだということは日本人なら誰でも知っていると思う(?)が、朝鮮独立運動の日だということも決して忘れてはいけない。
しかも今年の3・1は100周年という節目というか、とても意義のある日だ。

最近では朝鮮人徴用工の韓国大法院(最高裁)判決をめぐって、すさまじい反韓、謙韓の嵐が巻き起こった。

2019年2月23日土曜日

外国人技能実習生の奴隷労働、NHKの「バリバラ」が暴いた!

NHK「バリバラ」ホームページから
国会での入管法改定をめぐる論戦で、外国人技能実習生の奴隷労働の実態が今さらながらに明らかになったわけだが、それで広く国民が知るところになったかというと、どうもそのようには思えない。
これはひとえにマスメディアに責任がある。
マスゴミといわれるゆえんか。

ところが、2/3のNHKの番組表を見ていたら、NHK教育で「バリバラ」という番組の「外国人技能実習生は今…」というタイトルに目を引かれ、録画しておいてみたところ、これが見事に外国人技能実習生の奴隷労働を真っ正面から取り上げたものだった。

2019年2月10日日曜日

外国人技能実習生の奴隷労働は広く知れ渡ったのか

2018.11.6 野党合同ヒアリング
先に「入管法改定と『奴隷労働』」というタイトルで投稿した時期('18.12.2)は、入管法が衆議院を通過したものの、参議院での論戦に向けて野党は国会内で所轄官庁や技能実習生からの合同ヒアリングを引き続き実施したり、法務省が失踪技能実習生の聴取票のコピーをさせないものだから人海戦術で全2870枚を書き写したりして技能実習生の労働実態を暴こうと努力していたころだ。

結局入管法改定案はいつもの安倍政権の強権によって成立したのだが、そのとき立憲民主党の枝野はぶら下がり取材で「技能実習生のひどい労働実態が明らかになっただけでも成果はあった」みたいなことを言っていたが、そうなのだろうか。

2019年1月27日日曜日

日本共産党の「千島列島領土問題」での正論はなぜ無視されるのか

2019.1.22 クレムリン (朝日新聞DIGITALから)
安倍が何度もプーチンと会談し、信頼関係を誇示しようと「ウラジーミル」と呼びかけたりしてとても気色が悪い。

戦後70年以上も解決しない「北方領土」問題を自分の手で決着をつけ、歴史に名を残そうと前のめりで今回もロシア訪問したが、安倍の思うようには進まない。

安倍の思うように進めば大変なことだ。
つまり、安倍は歯舞・色丹の2島返還で決着を図ろうとしているからだ。
そんなことでいいんなら何十年も前に決着がついてるっていうの。

2019年1月23日水曜日

安倍成長戦略の目玉「原発輸出」の破綻

赤旗 2019.1.18付
「原発輸出」の推進は安倍内閣の成長戦略の目玉だ。
2013年6月14日の閣議で決定している。

福島第1原発事故が起こったのは2011年3月11日、民主党政権の時代で首相は菅直人だった。
世界中を震撼させ、東日本が壊滅してもおかしくないような福島原発事故が起こった直後数年間の民主党政権・自公政権の原発輸出をめぐる動きは次のようなものだった。