2019年1月27日日曜日

日本共産党の「千島列島領土問題」での正論はなぜ無視されるのか

2019.1.22 クレムリン (朝日新聞DIGITALから
安倍が何度もプーチンと会談し、信頼関係を誇示しようと「ウラジーミル」と呼びかけたりしてとても気色が悪い。

戦後70年以上も解決しない「北方領土」問題を自分の手で決着をつけ、歴史に名を残そうと前のめりで今回もロシア訪問したが、安倍の思うようには進まない。

安倍の思うように進めば大変なことだ。
つまり、安倍は歯舞・色丹の2島返還で決着を図ろうとしているからだ。
そんなことでいいんなら何十年も前に決着がついてるっていうの。

そもそも歯舞・色丹は千島列島ではない。
北海道の一部だ。
そのことは地図を見れば一目瞭然ではないか。

北海道の根室半島の延長である歯舞・色丹を返してもらって「北方領土」問題解決なんてことになったら、確かに歴史に名を残すことになるだろう。
許しがたいアホな売国奴として。

さて、日本共産党は私が初めてその領土問題にどう対処しようとしているのかを知った30年以上前から一貫して大義ある正論を述べている。
それは次のようなものだ。

赤旗 2010.11.9付
江戸時代末期、幕府はロシアのシベリアからの南方進出に苦慮していた。
そして結んだのが日魯通好条約(1855年・安政元年)。
日露和親条約といった方が通りがいいかもしれない。
伊豆の下田で結ばれたので下田条約ともいう。

この日魯通好条約の要点は次の3点だ。

 ①南千島(エトロフ島以南)は日本領に。
 ②北千島(ウルップ島以北)はロシア領に。
 ③樺太(サハリン)は雑居の地に(所属を決めない)。

ときは明治になり、明治政府はロシア人の方が多く住んでいる樺太を捨てて北千島を得た方が得策と考えた。
千島列島を全部所有した方がロシアの太平洋進出を押さえることができるという思惑もあっただろう。
そこで、榎本武揚がサンクトペテルブルクへ出向いて結んだのが樺太・千島交換条約(1951年・明治8年)だ。

この条約の要点はもうすでに述べたようなものだが、次の2点だ。

 ①全千島を日本領に。
 ②樺太全土をロシア領に。

条約の名前通りの内容だ。
平和的な協議によって千島列島の領有問題は確定し、今でもこれが最終的な結論になっている。
動かせない歴史的事実だ。

それが今は全千島がロシア領になっているのみならず、北海道の一部である(千島列島ではない)歯舞・色丹までロシア領になっているのはなぜか。

今回の日ロ間交渉でもラブロフ外相などがよく言っている「日本側が第2次世界大戦の結果をすべて認めることが必要」ということで、ロシアは第2次世界大戦の戦勝国として日本から正当に千島列島を得たというのだ。

このラブロフの考えは半分正解で半分まちがっているといえよう。

正解という意味は、日本は確かにサンフランシスコ条約で千島列島を放棄したからだ。
実は日本政府もそのことはよくわかっていて、それでも「北方領土」というのは、北方4島は千島列島ではないという理屈なのだ。

サンフランシスコ条約で確かに千島列島は放棄したが、歯舞、色丹、国後、択捉の4島は千島列島ではないので返してくれと言っているのだ。

あきれてものも言えないぐらいだが、どういうわけか、この日本政府のめちゃくちゃな論理を共産党以外ほとんどの人(マスコミも)が指摘しようとしない。

国後・択捉は地理的に千島列島であることはあきらかではないか。
そもそも南千島という表現を日本自身かつて使っていたし、いまでも万国はそのような認識でいる。

サンフランシスコ条約を締結した当時の吉田茂首相自身が、条約受諾演説の中で次のように述べている。

千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張は、承服いたしかねます。
日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。
ただ得撫の北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました
1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。
名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。
その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。
千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。
また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。
――サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説から抜粋

文中太字にした部分は吉田の誤認識だ。
正しくは、すでに述べたように、北千島はロシア領であり、樺太は全土混住の地だった。
ここで確認しておきたいことは、吉田茂は南千島は千島にあらずという認識ではなかったということだ。

それでは、ラブロフの半分のまちがいというのを指摘しよう(共産党が指摘しているんですよ)。

結論を先に言うと、戦争によって領土を拡大してもいいのかということだ。

言うまでもなく、第2次世界大戦というのはドイツと日本が戦争によって領土を拡大しようとした侵略戦争に端を発する(イタリアはちょっと横に置く)。
米英など他の帝国主義国もそれまでさんざん侵略戦争によって領土を拡大してきたものだが、そろそろこんなやり方は改めようではないかという気運が高まっていた。
人類の進歩っていうやつだ。
しかし、ドイツはこりもせず、特に日本などは3周遅れぐらいで領土拡張主義に乗り出した。

終戦間近の1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の3国が日本に向けてポツダム宣言を発した(ソ連は後に宣言に参加)。
その第8項には次のような文言がある。

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク

カイロ宣言の条項は守られなければならないということだ。
1943.11.25 カイロ会談

カイロ宣言は、アジア・太平洋戦争の対日方針を協議するため、1943年11月、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席の首脳会談を受けて、12月1日に発表されたものだ。

長いものではないが、その中心部分は次のようになっている。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ
右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス


今回の戦争は、今の日本の侵略をやめさせ、また日本が過去の戦争において他国から奪取した土地を元にもどすためのものであり、決して自分たちが利益を得るためのものではなく、まして、自分たちの領土を拡張しようというものではない。

ということを宣言したものだ。
この精神はのちのポツダム宣言に引き継がれ、敗戦国となった日本は、カイロ宣言やポツダム宣言の通り、南樺太(日露戦争で取得)、台湾や澎湖諸島(日清戦争で取得)、朝鮮半島などを手放した。

つまり、戦後の「領土不拡大」の大原則が一連の連合国の会談の中で確認されてきて、日本もそれを受け入れてアジア・太平洋戦争は終わった。

な・の・に、戦後ソ連は日本の領土である千島列島を領有し、のみならず北海道の一部である歯舞・色丹まで奪い取るという無法をはたらいたのだ。

ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って終戦間近に参戦し、満州や樺太・千島で筆舌に尽くせぬ悲惨を日本人に味わわせ、のみならず終戦後も60万もの日本人をシベリアへ抑留して強制労働につかせた結果、さらに6万もの死者を出すというはらわたの煮えくりかえるような事実はここではくわしく触れない(日本軍が中国大陸で行ったことはそれ以上だったが)。

今回(1/14)の日ロ外相会談では、ラブロフ外相は前述と同じ趣旨だが「南クリール諸島はソ連が第2次世界大戦で正当に獲得した領土」と言い放った。
笑止千万だ。
21世紀の世の中、戦争で奪い取ったものを「正当に獲得した」などとよくも言えたものだ。
さすがロシアとしか言いようがない。

どうしてこのようなソ連の無法(千島領有のこと)がまかり通ったのか。
なぜ「領土不拡大」の原則を踏み外すようなことを世界は許したのか。

1945年2月 ヤルタ会談
その裏には米英支ソのヤルタ協定があった。

ヤルタ会談は1945年2月にソ連のヤルタで行われた米英ソ3国の首脳会談だ。
この会談では戦後処理について広範囲に話し合われ、米ソの間ではどす黒い協定まで結ばれた。
極端に要約すれば、ルーズベルトがソ連に対日参戦してもらうかわりに千島列島をソ連に渡すという密約をかわした。
だから、これは恥ずかしくて表には出せない協定であり、ヤルタ秘密協定ともいう。
*ヤルタ秘密協定の中身には他にもいくつかある。

この大国どうしが結んだ恥ずべき協定により、戦後ソ連は千島を手に入れたのだ。
なにが「正当に獲得した領土」だ。
人類の歴史の進歩に照らし、恥ずかしくないのだろうか。

千島列島領土問題の出口はサンフランシスコ条約だ。

吉田茂は、日本の独立を急ぐため、サンフランシスコ条約によって千島列島を手放した。
ラブロフの言っていることの半分正解とはこのことだ。
ここから先の日本政府の対応は投稿の最初に戻ってループになってしまうので書かない。

日本共産党は、歯舞・色丹の先行返還はあってもよいといっている(歯舞・色丹は千島列島ではないのだから)。
ただし、そのときは中間的な平和条約によるものとし、最終的には歴史の大義にもとづき全千島列島返還をもって最終的な日ソ平和条約とすべきだといっている。

以上の共産党の主張はひじょうに説得力のある正論ではないだろうか。
しかし、日本政府はその正論を国際社会に訴えたことはないし、その立場でソ連・ロシアと交渉したこともない。
いつまでたっても「北方領土」「北方4島」と繰り返している。

北方4島は千島ではないのだから返してくれといくらいってもロシアのみならず国際社会に通用するはずがない。

最後に本編のテーマである「日本共産党の正論はなぜ無視されるのか」だ。

ふつう目にするテレビやマスコミの報道、ジャーナリストの発言で、かつて一度も共産党の主張にふれたものを見たり聞いたりしたことがない(共産党はことあるごとに繰り返し同じ主張をしているのだが)。

テレビの民放はサンデーモーニングとNNNドキュメントの2つしか私は視聴しないのだが、1/20のサンデーモーニングを見てがっかりした。

話の筋はそれるが、次の記事もちょっと参考にしてほしい。
赤旗日曜版 2019.1.20付

2019.1.20 サンデーモーニング
1/20のサンデーモーニングは2日後に日ロ首脳会談をひかえてのものだった。
右のようなフリップを番組側が用意して解説があったのだが、このフリップは、領土問題の歴史的経緯などほとんどふれていない。

このときのコメンテーターは姜尚中、幸田真音、中西哲生、涌井雅之、青木理の5人。
関口に指名されてコメントしたのは涌井と中西の2人で、はっきり言ってしょうもないことばかり言う。
せめて姜尚中と青木理のコメントが聞きたかった。

2019.1.27 サンデーモーニング
今日(1/27)のサンデーモーニングは日ロ首脳会談が終わったこともあり、前回に比べれば突っ込んだ解説があった。
コメンテーターの寺島実朗が黒板を使って歴史的事実をふまえてけっこうくわしく解説した。

2019.1.27 サンデーモーニング
日本共産党が述べているような歴史的経緯を解説し、その正当性によって外交による領土を決定しなければいけないと立派なことを言った。

しかし、寺島は2つの点でウソを言った。

1つは最後のサンフランシスコ条約で、日本は千島は譲ったが、「北方4島」を譲ったことはないとあやまった解説をした。

前述の吉田茂のサンフランシスコ条約受諾演説の他に、1951年10月19日の国会で、西村熊雄外務省条約局長は次のような答弁をしている。

2019.1.27 サンデーモーニング
(サンフランシスコ平和)条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております
しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまったくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。
(中略)
なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました。

つまり、寺島実朗は知ってか知らずかまちがったことを言ったのだ。
あのような頭のいい人がそんなまちがいをするというのはちょっと信じがたいのだが。

もう1つの寺島のまちがいは、日ロ通好条約以来の千島をめぐる領土問題の歴史的経緯を日本人は今こそしっかり理解しておかなければいけないと訴えたことは理解できるのだが、「前のめりになって、日本が今まで筋を通してきたこと(歴史的経緯)を失ってはいけない」と結論づけたのには驚いた。
日本政府は今まで一度もこのような筋を通した外交をしてきたことはないのではないか。

この日のコメンテーターは寺島の他に西崎文子、藪中三十二、谷口真由美、松原耕二がいたのだが、藪中のみ指名されてコメントをした。
藪中なんて男は優秀な官僚ではあっただろうが、歴史や政治・外交の大義にのっとった考えなど望めないようだ。

長くなってしまったが、要するにサンデーモーニングにして、寺島実朗が多少ましなことを言ったぐらいで、日本共産党の正論を真っ正面から取り上げる気はないということだ。
なぜここまで日本共産党の正論は無視されるのだろうか。


 佐渡ドンデン山シリーズ⑪ ◆ ウメバチソウ(ニシキギ科ウメバチソウ属)◆

ウメバチソウ 2017.9.30撮影
ほとんど終わりかけているウメバチソウ。花が梅の花に似ている。

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