ケーディスの回想によると、ハッシーは前文をやらせてほしいと自分から申し出たことになっている(鈴木昭典「密室の九日間」)。
草案作成のための組織図を見ると、1人で担当した分野はリゾーの「財政に関する小委員会」とハッシーの「前文」のみだ。
2013年9月3日の「未来ビジョン」(リンクはユーチューブ)という放送で、安倍晋三が、
「日本は戦争に負けましたから、敗戦国は詫び状文を書けと。しかも自分で書いたんじゃないんですよ。これはアメリカの25人のうちの1人がですね、たった1人の人物がこれを書いたんですよ」
と息巻いている「1人」とはハッシーのことだ。
2017年9月22日金曜日
2017年9月17日日曜日
日本国憲法の誕生 ⑪民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<5> 民政局の優秀なメンバーとその組織
2017年9月13日水曜日
Jアラートはオスプレイが飛ぶときにこそ発せよ!
2017年9月8日金曜日
日本国憲法の誕生 ⑩民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<4> 開戦直後から始まったアメリカの戦後対日政策
2017年8月30日水曜日
日本国憲法の誕生 ⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛
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| 鈴木安蔵 |
服役中に憲法研究に傾倒し、出獄してからも吉野作造に励まされたりして、憲法研究に拍車がかかった。
1933年(昭和8年)、「憲法の歴史的研究」を発表したが、発禁処分となり、学会からは異端児扱いされる。
吉野作造のアドバイスもあり、憲法研究の過程で自由民権運動に大きな関心を持つ。
ETV特集では「国家は人民の自由を守るためにこそある。そのために憲法が必要だと植木は著書で明快に論じていた」とナレーションが入って、鈴木は植木枝盛に強くひかれたとある。
2017年8月25日金曜日
日本国憲法の誕生 ⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会
1945年の暮れから翌年にかけて、政党を含む民間の憲法草案がいくつも世に発表された。
そのどれもが政府の松本蒸治案に比べればすぐれているわけだが、なかでも、憲法研究会のものが抜きんでていたようだ。
ちょうど10年前の2007年、つまり日本国憲法施行60周年の年、NHKは2本のすぐれた憲法特集番組を製作した。
ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」とNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」だ。
NHKスペシャルの方は時間的にも時代状況的にもやや広い見地から憲法誕生までをまとめたものであるのに対し、ETV特集は「憲法研究会」に焦点をあてて製作している。
この2本の番組を見てさえいれば、安易に「押し付け憲法」論に与することはないだろう。
果たして安倍はこれを見たかどうか。
そのどれもが政府の松本蒸治案に比べればすぐれているわけだが、なかでも、憲法研究会のものが抜きんでていたようだ。
ちょうど10年前の2007年、つまり日本国憲法施行60周年の年、NHKは2本のすぐれた憲法特集番組を製作した。
ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」とNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」だ。
| 2007.2.10放送 ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」 |
この2本の番組を見てさえいれば、安易に「押し付け憲法」論に与することはないだろう。
果たして安倍はこれを見たかどうか。
2017年8月8日火曜日
日本国憲法の誕生 ⑦民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<1> 民間憲法草案
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| 角川ソフィア文庫 |
その草案ができあがったのが2月10日という説があって、これが安倍も言っている「たった8日間で…」の根拠なのだが、じっさいには2月11日まで作業は持ち越している。
つまり、9日間で草案はできたのだが、どちらにしても「たった9日間で…」ということで、ひじょうな短期間であることにはちがいない。
*鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(角川ソフィア文庫)では、2月4日から2月12日の9日間としている。
民政局のメンバーが安倍の言うように「全く素人の人たち」ではないにしても、いや、むしろまれに見る優秀なメンバーだったとしても一国の憲法の草案を作り上げるには無理があるのではないか。
もちろん民政局は不眠不休に近い形でこの9日間を草案づくりに没頭した。
それにしても、と誰しも思うが、その背景にはそれを可能にしたいくつかの要因があった。
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