2007年のNHKスペシャルから |
マッカーサーの意を受けたホイットニー民政局長は、2月3日、ケーディス、ハッシー、ラウエルを部屋に呼び、憲法草案を民政局がつくるよう指示。
そして、マッカーサー・ノートとよばれる三原則を呈示する。
マッカーサー・ノート(三原則)
1、 | 天皇は、国の最高位の地位にある。 皇位は世襲される。 天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする。 |
2、 | 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。 日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。 |
3、 | 日本の封建制度は廃止される。 貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。 華族の地位は、今後はどのような国民的または市民的な政治権力も伴うものではない。 予算の型は、イギリスの制度にならうこと。 |
ケーディスら3人は、その日のうちに、いや深夜翌日にわたって作業開始の準備をする。
「民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか」について述べてきたが、まとめると次のようになる。
●18世紀のアメリカ独立革命やフランス革命に発する人権思想は、紆余曲折をしながらロシア革命時の諸権利宣言、ワイマール憲法、ILOの創設と発展し、終戦間際には国連憲章(1945.6.26)として結実する。
●日本においては高野岩三郎や鈴木安蔵らがこの流れをくんで「憲法改正要綱」をつくり、GHQ民政局の日本国憲法草案づくりに流れ込んでいく。
●アメリカにおいては、日米開戦直後から終戦後の占領政策をすでに研究しはじめ、世界史的な人権思想と民主主義の発展、悲惨極まる2度の世界大戦の教訓から、ポツダム宣言を経て、憲法改正を含めたさまざまな助言や指示がGHQに出され、民政局に流れ込んでいく。
しかしこれだけではとても9日間という期間での草案づくりは無理であったろう。
やはり運営委員会の3人を中心とする民政局員の多くが、立法や行政の経験者、政治学者、ジャーナリストなどさまざまな能力を持った優秀なメンバーであったことが大きい。
中心メンバーは、上述のような世界の民主主義の発展の歴史に精通している超エリート集団といってもいい。
ラウエルなどは、法規課長として前年の秋から日本の民間の憲法研究組織などとも接触し、その憲法草案も研究してきている。
SWNNC-228文書に代表されるアメリカ政府からの研究成果や助言・指示なども前もって理解もしていただろう。
後年(1992年)、インタビューした鈴木昭典に90歳近くになったケーディスは次のように答えている。
「大変な仕事だと思いましたが、とてもできないとは考えませんでした。
ワシントンから専門家を呼ぼうという考えはまったくありませんでした」
民政局始動
2月4日、集まった民政局員を前にして、ホイットニーが新憲法案を我々が今週中に作ることになったと告げる。
そして、そのための組織図を発表。
鈴木昭典「日本国憲法を生んだ密室の九日間」から |
また、この日のエラマンのメモには、「憲法の起草に当たっては、構成、見出し、その他、現行の明治憲法の例に従うものとする」とある。
つまり、新憲法は明治憲法の改正であり、あくまで日本政府自身が新憲法草案を作ったことにしなければならないのだった。
ベアテ・シロタに言わせれば「簡単に言えば、出来の悪い生徒の試験答案を先生が書いて、それを口をぬぐって生徒が書いたとして提出して及第点をもらおうというもの」(ベアテ著「1945年のクリスマス」から)ということになる。
くどい部分もあるが、その理由は次の通りである。
①ポツダム宣言第12項「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
②ハーグ条約(陸戦法規)第43条「国民の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」
③SWNNCC-228の原則(結論a7)「日本国民が、その自由意思を表明しうる方法で、憲法改正または憲法を起草し、採択すること」
2007年のNHKスペシャルから |
④極東委員会(アメリカの独走を許さない、天皇の戦争責任追及)の存在。
ということで、この草案づくりの作業は徹底して秘密裡に行われた。
「密室の九日間」というのはそういう意味だろうが、九日間どころが、民政局のメンバーは死ぬまで秘密にしておく覚悟だったろう(現実はそうはいかなかったが)。
密室での作業は、たとえばルース・エラマンの回想では次のようだった。
第1(生命)相互ビルの最上階に簡易食堂があり、そこでサンドイッチの立ち食いなどをしながら、夜も白々となるころまで働いた。明け方、宿舎に帰ってシャワーを浴び、1時間ほど仮眠して、また定刻8時には全員が集まって草案づくりをやった。女の私も同様でした。
まさに不眠不休に近い9日間(1週間)だったのだろう。
各小委員会でつくりあげた草稿は運営委員会へあげられ、そこで徹底的に論議される。
そのようなやり方で草案は作られていったが、憲法前文のみはちがっていた。
以下次回へ。
第1(生命)相互ビルの最上階に簡易食堂があり、そこでサンドイッチの立ち食いなどをしながら、夜も白々となるころまで働いた。明け方、宿舎に帰ってシャワーを浴び、1時間ほど仮眠して、また定刻8時には全員が集まって草案づくりをやった。女の私も同様でした。
まさに不眠不休に近い9日間(1週間)だったのだろう。
各小委員会でつくりあげた草稿は運営委員会へあげられ、そこで徹底的に論議される。
そのようなやり方で草案は作られていったが、憲法前文のみはちがっていた。
以下次回へ。
◆ ツグミ(スズメ目ツグミ科ツグミ属) ◆
夏季にシベリア中部や南部で繁殖し、冬季になると中華人民共和国南部などへ南下し越冬する。日本では冬季に越冬のため飛来(冬鳥)する。和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという説がある。日本全国で普通に見られる ―以上Wikipediaから
ツグミ 2014.2.11撮影 |
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