2020年5月30日土曜日

「蜜蜂と遠雷」恩田陸 映画のはるか上を行く音楽小説

幻冬舎
4月中旬に区の図書館から予約の本が用意できたとメールが来る。
いくつも予約しているので、何の本かは見当もつかない。
リンクを開けばわかるのだが、それも面倒で、取りに行けばわかることだし、今読んでいる本を読み終えて返却するときに借りようと思い、1週間後に図書館へ行く。

それで図書館へ行ったところ、コロナ禍で長期閉館。
それまでは受付窓口だけ開いていて、予約した本は借り出せていたのだが。

けっきょく1カ月ほど待って、ようやくまた受付のみ開館されたので取りに行ってみると、それは恩田陸の「蜜蜂と遠雷」だった。

確か1年以上前に予約し、100人以上の待ち人数があってようやく今届いたんだとわかる。

なぜこの本を予約したのか。
何かでこの本が本屋大賞(そして直木賞)を受賞したことを知ったのが先か、NHKの「らららクラシック」(「feat. “蜜蜂と遠雷”」2019.10.4放送)で見たのが先か今となっては覚えていないのだが、どちらにしても恩田陸は好きだし、本屋大賞に外れはほとんどないし、「らららクラシック」でもずいぶん興味をひかれたし、一も二もなく予約した。

ところが、本が来る前に映画が来た。
これも一も二もなく観に行く。

そもそも現職のときはクラシックなどは縁遠いもので、もっぱらフォークとロックだった。
早期退職で時間ができたこともあり、ようやくクラシックを聴き始めた。

知人・友人からCDを借りまくり、7泊8日で1枚100円~150円のCDをレンタルし、みんなmp3でパソコンに取り込み、i-Tuneなどで毎日聴いている(もっぱらBGMだが)。

NHKのかつては「名曲探偵アマデウス」、今は「らららクラシック」は毎回欠かさず視聴し、少しずつ知見も広がり、クラシックのよさもわかり始め、曲によっては、また演奏者によっては深く心に響き、涙が出ることもある。

コンサートには家族で7年前に1回だけ行ったことがある。
今となっては笑い話かもしれないが、それは佐村河内守の「交響曲第1番 HIROSHIMA」を広島交響楽団が演奏したもので、佐村河内本人も最後に舞台に上がり、大いに盛り上がった。*この件に関してはNHKに相当腹を立てている。

いくつかの有名なピアノやバイオリンのコンクールを、それこそ「蜂蜜と遠雷」のようにドキュメンタリーでNHKが放送したものを見て、けっこう楽しめるぐらいの感性はできてきた(?)。

それで、有名なピアノやバイオリンのソリストのコンサートに行ってみたいなと思っていたところ、「蜜蜂と遠雷」の映画が公開されたわけ。


恩田陸の創作物語を楽しむというより、一流のピアニストの演奏(「らららクラシック」で垣間見た)を映画館の音響環境の中で聴いてみたいという気持ちが勝っていた。

映画鑑賞の結論はちょっと期待外れ。
俳優と実際の演奏者が別々ということもあるのかもしれないが、まあ私のクラシックへの感性が不足しているのだろう。

といった経緯があったので、図書館で受け取った本が「蜜蜂と遠雷」だとわかったとき、その本を予約したときほどのワクワク感は正直なかった。
まして、500ページを超すずっしりと重たい単行本。
しかも1ページ上下2段組。
これは返却期限の2週間で読み切れるかなと心配になった。

ここ数年、読書はもっぱら就寝時の5分から長くて1時間のみだ。
1カ月で3~5冊しか読んでいない。
かつては年間200冊以上読んでいたこともあったのだが。

それで少し重たい気持ちで重たいハードカバーを開くと、いきなり目次でクラシック用語とピアノクラシック曲名のオンパレード。

続けてコンクール課題曲の紹介。

そして主人公4人の演奏プログラムへと続く。
主人公4人の演奏プログラム(「蜜蜂と遠雷」から)

知っている曲といったら、ショパンの「ピアノ協奏曲第1番」だけ。
他にも本文中にたくさん出てくるクラシックピアノ曲でも、わかる曲はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」、ドビッシーの「月の光」ぐらいのもので、情けないったらありゃあしない。

さて本文だが、小説だから当然ではあるが、映画で観た「芳ヶ江国際ピアノコンクール」のようすが文字で書かれている。
ひとつも音の出ない紙と文字の小説で、いったいどうやってあのドラマを表現するというのか。

知らない曲ばかりで、一流の演奏家が演奏している映画でさえイマイチだと思った私がこの小説を読み切ることができるのか。

というのは杞憂だった。

「いつの記憶なのかは分からない」から始まる本文は、あっという間に私を小説の世界へ引き込んでしまった。
本文に現れる最初の演奏者、風間塵がモーツァルト、ベートーベン、バッハと演奏していく。
何の曲かの明示はないが(あったとしても私にはたぶん分からないが)、恩田陸はその演奏を巧みな表現で叙述していく。

芳ヶ江コンクールが始まり、上記プログラムにあるような曲目が次々演奏され、そのひとつひとつに恩田陸の小説テーマに沿った解釈というか、演奏風景および心象風景の描写が長々と続く。
しかし飽きない。
なんという作家だろう。
恩田陸はプロのクラシック音楽評論家だったのか?

就寝前の読書だけではがまんできず、日中まで時間を割いて読みふける。
それで1週間で読了した。
それでも1週間かかるのかと言われそうだが、だいたい遅読なのである。

本屋大賞、直木賞、そしてブクログ大賞のトリプル受賞はこういうことだったのだ。

読了後にいろいろネットで調べたこともふくめて書く(おもにここここ)。

この小説を映像化(映画)できるのか、という声がもっぱらだったようだ。
だが映画はできたし、恩田陸もその映画を評価している(評価するしかないとは思うが)。
しかし、私はやはり映画化は成功していないと思う。
映画と小説で受ける感銘度はまったくちがう。
小説は映画のはるか上を行っている。
恩田陸
「この小説を映画にできるのか」という問いは、「この物語を小説にできるのか」という問いに置き換えたい。

ジャンルはまったくちがうが、宮城谷昌光が中国の春秋時代の本をたくさん出している。
どれかの本の解説で、解説者が「宮城谷はどのようにしてこの小説を書いたのか」と驚嘆していた。
同じような思いだ。
恩田陸はなぜこのような小説を書くことができたのか。

「構想から12年、取材に11年、執筆に7年間」とネット記事にある。
執筆に7年というのは、Wikipediaによれば「幻冬舎のPR誌『星星峡』2009年4月号から2013年12月号に、同誌休刊後は同社『PONTOON』2014年1月号から2016年5月号に連載」でたしかに7年だ。

取材に11年というのは、「3年に1回、開催される浜松国際ピアノコンクールへの4度もの取材です。ふつうは4度も取材しません。取材といってもバックステージを観察するようなことはほとんどなく毎日、会場の座席に身を沈め朝9時から夕方まで審査員でもないのにひたすらピアノ演奏を聴き続けるだけです」と担当編集者が言っている

まあこれだけの小説を書いたのだから、恩田陸も想像を絶するような力をすべて出し尽くしたのだろう。
宮部みゆきが1歩も2歩も前を行っていると思っていたが、これなら宮部を追い越したのではないだろうか。


 五島列島シリーズ㉙  ◆ 知らん?(ラン科シラン属?)◆

2018.5.9撮影 中通島立串郷

奈留島をあとにして、福江島に次いで大きな中通島にやってきた。北へずっと細長くのびている半島の中央あたりで見つけた見たことのない花。シランに似ているが、シランとは思えない。花の背中側からの写真なので、特定が難しい。とりあえず「知らん」ということですませておこう。

1 件のコメント:

  1. 蜂蜜と遠雷、よく耳にするタイトルでしたが、こんな内容だったのですね、音楽も好きだし読んでみよう! 確か、大学の図書室にありました、新しい状態で。
    毎日先生の記事を読み、新しい記事を発見して喜び、読み返し、学ばせていただいています(新聞、眺めているのに、読んでないのだなーと反省もし、、、)。

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