2020.2.23「サンデーモーニング」から |
「検査官の勤務延長については、国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」
法の解釈も自分で勝手に変えられるという独裁(「私が法だ」)そのものが堂々と国会のなかに現出した。
もちろん安倍は閣議を経てといっているのだが、それはいつもの茶番・でっち上げ閣議。
森友・加計問題をウソ・ごまかし、公文書改ざん・隠蔽などあらゆる手を使い、一官僚の命まで犠牲にして崖っぷちでなんとかこらえた安倍は、「桜を見る会」によって再び政治生命を絶たれようとしていた。
その間、塚田一郎国土交通副大臣が「下関北九州道路」の建設をめぐっての安倍と麻生の意向忖度発言、桜田義孝五輪担当相の「東日本大震災からの復興以上に大事なのは高橋さん(衆院議員)」発言、菅原一秀経産相が「秘書が有権者に香典を渡した」公選法違反、河井克行法相の妻の選挙に関わっての公選法違反などによって次々と閣僚辞任。
さらには元IR担当の内閣府副大臣だった秋元司がカジノ汚職で地元事務所が東京地検特捜部に家宅捜索され、秋元自身も収賄容疑で逮捕される。
河井夫妻も広島地検に家宅捜索され、安倍事務所の捜索も目前?
「桜」疑惑で完全に詰んだ状態で明日は我が身かの安倍が打った最後の一手、それがあまりにも見え透いた「検察官の定年延長」だ。
何度も目にした構図、つまり安倍のウソ・ごまかしを取り繕うための閣僚・官僚たちの見苦しい醜態がまたもや繰り広げられた。
この構図については、サンデーモーニングがきちんととりあげ、昨日の番組でも青木理が黒板を使ってくわしく解説した。
2020.3.15 「サンデーモーニング」から |
――引用ここから(2020.3.9 赤旗から)
検察官の定年延長めぐる「法解釈変更」
元刑法学会理事長 村井敏邦
戦前の歴史への反省を放棄
政権の介入は国滅亡の兆し
東京高検の黒川弘務検事長の定年延長をめぐって、安倍晋三首相は「検察官の勤務延長については、国家公務員法の規定が適用されると解釈する」(2月13日、衆院本会議)とし、法解釈の変更を宣言しました。
その問題点について、元刑法学会理事長の村井敏邦一橋大学名誉教授に聞きました。(中野侃)
――そもそも検察官の処遇にかかわる法解釈が変更されることがなぜ問題になるのでしょうか。
検察官は「独任官」といって個々の検察官が独立の官庁として検察権行使の権限を持っており、基本的には一人で判断して一人で仕事をすることができます。
いわば一人官庁です。
一般公務員が必ず上司の了解を取って動くのとは違って、あくまでも判断の基軸は検察官自身です。
そうした独立性の上で、検察官は唯一の公訴提起機関として、時には政潜家を捜査・起訴も行います。
刑事司法における重要な役割を果たすわけですが、検察官は、戦前と異なり裁判所からも引き離され、刑事裁判は裁判所を中心として検察官と弁護士が相対立する構造になりました。
その過程で、検察官の恣意的行動が起きないように、検察官の待遇や身分保障が厚くされ、行政官ではあるが一般公務員とは異なる特別な存在とされ、公務員法に対する特別法として検察庁法が制定されました。
法律論の基礎として、特別法は一般法の適用を排除するというのが解釈の基本ですが、特に待遇問題については、一般公務員より高い待遇をするのが検察庁法ですから、解釈の問題というより一般の公務員法は検察官に適用されないという基本的構造なのです。
それを今回、「解釈を変える」というが、それでは検察庁法の意味がないというのが問題の基本申の基本です。
――待遇や身分保障で検察官が特別な扱いをされる実質的な理由は。
政治的なものから中立的でなければならないというのが検察庁法の趣旨です。
戦前の反省もあり、検察が政治権力に支配され公正を失ってはいけないということです。
特に、日本国憲法は31条から10カ条も刑事手続きに関する規定を持っています。
これは諸外国と比べても日本国憲法の大変な特色です。
戦前、被疑者、被告人の人権が全く無視され、拷問が行われ、自白中心の裁判や取り調べが行われたことへの深い反省の下に作られた規定です。
それらの人権を守るのが、裁判所や検察官、弁護士など司法にかかわるものの第一の役割とされたのです。
その理念に基づいて検察庁法もつくられたことが重要です。
検察官には強い身分保障があり、検察庁法で、検察官適格審査会の不適格議決があるか職務上の義務違反・非行による懲戒以外では意に反して罷免されません。
また、個々の事件についての職権行使については、検事総長を介しての法務大臣の指揮権しか認められていません。
そうした憲法的構造からいっても、検察官の人事について内閣が口を出すことはありえないのです。
――戦前の歴史への深い反省があるのですね。
戦前の歴史との比較からいうと、戦前は治安維持法を背景に警察権力が非常に強かった。
その当時にも、検察には警察の抑制という役割も期待されたのですが、実際には警察の人権じゅうりんへ十分チェックができないまま戦後を迎えます。
その点が憲法制定論議の中で議論され、検察による警察へのチェック機能を刑事訴訟法上どう定めるかが議論され、そのためには検察庁法という別の法律を設ける必要があるとされたのです。
そこが、準司法的と言われる検察の役割です。
また、裁判では、裁判所とも独立した、弁護人と相対する当事者となるという構造の中で、公正に当事者としての役割を果たすものとされたのです。
検察庁法で検察官が「公益の代表者」とされるのはここにかかわります。
あえて「公益の代表者」と書かれているのは、訴訟の一当事者であると同時に、「公益の代表者」として公正であれという意味です。
検察官の職務執行が公正に行われるか否かは、刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼします。
権力的な役割を担っているからこそ私的な振る舞いはしてはいけない。
その公益の中には、弱い立場にいる人たちの味方であるというメッセージが含まれ、権力に左右されず公正であることが求められています。
森雅子法相は何よりまず、検察庁法がどういうもので、検察官はどういう立場にあるかを当然認識していなければならない。
首相が何と言ったかではなく、法務省としての見解をしっかりと示すべきです。
法律問題に極めて疎い法相といわざるを得ません。
――検察官の職務の特殊性が、強い独立性、中立性の根拠なのですね。
「解釈変更」による政権の人事介入は、憲法と検察庁法の趣旨を否定するものです。
検察官の人事を政治権力が恣意的に決めるために、法の解釈を勝手に「変更」しています。
検察は本来、権力の中枢にも迫れる機関です。
権力への追及を一生懸命にやられると政権としては困るということで、今回の人事になっているのではないか。
もともと、歴代の内閣にとって、言うことを聞く人物を検察庁のトップに据えたいという気持ちはあったと思います。
ただ、ここまで露骨にそれをやった内閣は今までありません。
これが常態化すれば、時の権力にしっぽを振る人間しか重要な職務につけないことになってしまいます。
これは国の滅亡の兆しです。
特に、司法が政治権力の手先ということになれば、戦前の体制、あるいは戦前以上に独裁的な国家になってしまうかもしれません。
――内閣法制局長官が「解釈変更」を容認する答弁を続けています。
内閣法制局は内閣の一部局ですが、政権が代わっても、専門的総合的立場から法解釈の統一性・一貫性を守る機関です。
そうであれば、「解釈変更」の動きに対し、検察庁法は一般の公務員法とは異なるものであり、検察官に国家公務員法は適用されないという基本原則を言わなければならない。
ところが政権の追認をしています。
安倍政権は、首相に近い立場の人物を内閣法制局長官に強引に起用して「成果」を上げたと思っています。
今回も同じようにやれば、成果が上がると思っているのでしょう。
政治権力も検察官も、本来あるべき形とは違った形で運用が進んでいることは本当に重大なことです。
引用ここまで(改行・赤字等のレイアウトは引用者が編集)――
五島列島シリーズ⑳ ◆ キジ(キジ目キジ科キジ属)◆
キジ 2018.5.7撮影 五島列島 久賀島 |
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