2017年12月14日木曜日

南京事件80年 笠原十九司に聞く(赤旗から)

今から80年前の1937年は、日中全面戦争のきっかけになった盧溝橋事件(7月7日)、それに続く第2次上海事変(8月13日)、そして南京事件(南京城陥落は12月13日、南京入城は12月17日)と日本が本格的に中国侵略への牙をむいた忘れられない年だ。

今日の赤旗には「南京事件80年」ということで、都留文科大学の笠原十九司名誉教授の長い記事が載った。

以下、全文転載する。
*改行等、WEBで読みやすいように私が編集している。
文中の赤の太字も私が編集した。

 南京事件80年  (赤旗 2017.12.14付 から転載)

日中戦争が全面化し、日本軍が中国の当時の首都・南京で捕虜や一般民衆を大量虐殺した南京事件の発生から80年たちます。
日本では今なおこの事件を否定する言論がふりまかれています。
加害の歴史をどう受け継いでいけばいいのか。
南京事件研究の第一人者、笠原十九司・都留文科大学名誉教授に聞きました。
(聞き手・田中佐知子)

日本軍による虐殺の事実 決着済み
安倍政権下の否定論 成り立たない

都留文科大学名誉教授 笠原十九司さん

―なぜ南京大虐殺のような事件が起きたのでしょうか。

大きな原因は、野心に駆られた日本の現地軍の司令官が、当初の作戦になかった無謀な南京攻略戦を独断専行で発動したことにあります。

日中全面戦争は1937年7月7日の盧溝橋事件を契機に始まりますが、始まった当初は「北支事変」といって、戦線を華北に限定していました。
満州に続いて華北を支配しようというのが陸軍の構想だったのです。
しかし陸軍と対立する海軍は、自分たちの管轄である華中・華南に戦線を拡大したかった。
そのため、8月9日に謀略による大山事件を仕掛けて第2次上海事変を引き起こし、宣戦布告もなく南京を爆撃して、「北支事変」を「支那事変=日中全面戦争」へと拡大したのです。

第2次上海事変に伴い陸軍も上海に派遣されますが、陸軍の主戦場は華北ですから、多くは現役を退いた兵士で、中国側との激闘は3カ月に及びました。
ぞの消耗した上海派遣軍を、功名心に駆られた現地軍の司令官が、中央の統制に従わず、装備も作戦もないまま南京に向かわせたのです。
11月中旬に発動したこの南京攻略戦は軍隊の作戦としては本来あり得ないものでした。

上海から南京まで約300キロの道のりをほぼ徒歩で、兵站(へいたん)部隊もなく行く。
夏服のままで食糧補給も宿営設備もないので、現地住民から略奪し、民家に宿営して出発の際に放火する。
さらに殺害や強姦(ごうかん)などの蛮行を積み重ねながらたどり着いた南京で、その残虐行為が集中的に行われました。

無謀な作戦の不満のガス抜きとして、上官は陸軍刑法で禁止されていた性暴力を放任し、強姦の被害者は、2万人近くに及びました。
兵士たちは捕虜、投降兵、敗残兵の殺害が戦時国際法違反であることも教えられていません。
南京事件の犠牲者数は20万人近くかそれ以上と推定できます。

当時、日本政府と軍は徹底した報道規制で、国民にこの事実を全く知らせませんでした。
日中戦争で発行部数を伸ばした新聞は、競って従軍記者を中国に送り込みましたが、記事になるのは好戦的な手柄話ばかりです。
地方紙は郷土の兵士の固有名詞まで出してその活躍ぶりを書き、国民は虚報に踊りました。
日本ではなく中国での戦争ですから、うそがまかり通ってしまうのです。

―戦後、加害の事実が明らかになりましたが、国民に共有されていません。

東京裁判をはじめ、南京事件を記述した教科書への検定処分の違憲性を問う裁判や、「百人斬り競争」の日本軍将校遺族による名誉棄損裁判、「にせ被害者」と呼ばれた李秀英さんや夏淑琴さんの名誉棄損裁判などで、いずれも南京事件の事実が認定され、学問的に決着がついています。
1994年当時、永野茂門(しげと)法相が「南京虐殺事件はでっちあげ」と発言して辞任させられました。
南京事件は、あったかなかったかを争う段階にはありません。

ところが今の安倍政権はその中枢から南京事件否定論を振りまいています。
2006年に首相に就任した安倍晋三氏は、その年の日中首脳会談で歴史研究者による歴史共同研究を提案しました。
政府が任命した研究者による報告書は日中双方とも南京事件の事実を詳述しています。
安倍首相は自らが提案したこの共同研究の結果を無視しているのです。 
2015年に中国が申請した南京事件の記録がユネスコ世界記憶遺産に登録されると、日本政府はユネスコの分担金の支払い停止までちらつかせて反発し、南京事件否定の立場を世界に露呈しました。

安倍政権が続く限り、南京事件否定論は大手メディアのもとでふりまかれ、歴史教科書には事実を書かせない圧力がかけられるでしょう。

―中国の状況はどうでしょうか。

今年9月に南京事件80周年の国際シンポジウムが南京で開かれました。
中国の研究者たちは、事件を人類史の立場でとらえ、教訓とし、いかに克服していくかを考える段階に入っています。
南京は今年、中国において初めて「国際平和都市協会」に加盟しました。
広島の取り組みに学び、世界に平和を発信する都市になろうとしているのです。

中国側はボールを投げているのに、日本ではそれを受けて議論できる研究者が少なくなっています。
学会は右翼による脅迫・妨害を恐れて南京事件をテーマにした大会を開くこともできません。
政府が大学の教育内容にも干渉するようになっており、南京事件を研究するような若手研究者は就職口を見つけるのが難しく、研究者は無難なテーマを選ぶようになっています。
学生も南京事件の論争をイデオロギー的だと敬遠する傾向がありますが、これでは権力側の思うつぼです。

南京事件の記憶を継承しようと努力する教員や市民運動への攻撃は、政権に利用されている一部の右翼によるものですが、それが効力をもち、事なかれ主義的に南京事件に触れようとしなくなる状況が広がっていて本当に恐ろしい。
こうした民主主義の危機に対する意識が日本社会ではまだ弱いのではないでしょうか。

80年もの時間がたちましたが、日中双方に事件の証言や記録、学問の蓄積が膨大にあります。
南京事件の認識が国民に共有されないのは政権の問題なのです。
民主主義と相いれない歴史認識をもつ政権を変えなければいけません。
近隣諸国と対話し、南京に行くことのできる首相が必要です。


◆ ハナニラ(ヒガンバナ科ハナニラ属)◆

ハナニラ 2014.3.27撮影
「日本では、明治時代に園芸植物(観賞用)として導入され、逸出し帰化している。葉にはニラやネギのような匂いがあり、このことからハナニラの名がある。野菜のニラは同じ亜科に属するが、別属である」とWikipediaにある。まわりにホトケノザとヒメオドリコソウが取り巻いている。

2 件のコメント:

  1. 「南京事件の記憶を継承しようと努力する教員や市民運動への攻撃は、政権に利用されている一部の右翼によるものですが、それが効力をもち、事なかれ主義的に南京事件に触れようとしなくなる状況が広がっていて本当に恐ろしい。こうした民主主義の危機に対する意識が日本社会ではまだ弱いのではないでしょうか」
     至言です。真の平和を唱えるためには、悲惨な戦争被害者であり、同時に残酷な加害者でもあった日本人こそ、最も高貴な有資格者。その意味で、被害体験と加害体験から正しく学ぶ、とりわけ加害体験から目をそらしてはならないと思います。私には、南京事件について語る資格はないけれど、いわゆる支那事変に軍属として関わった父との痛切な体験・出来事から、僅かながらそれに触れ得る、否、触れなければならない使命を与えられたとの思いがあるのです。
     引用されている笠原十九司氏は都留大の後輩教授のようでもあり、それが機縁で思わず寄稿を拝見。読んでよかった、と感銘しました。
    http://shoshisaikou.blog10.fc2.com/blog-entry-74.html

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  2. 宗内さま、コメントありがとうございました。
    1年近くたって、今日あなたのコメントに気づき、公開させていただきました。
    無視したような結果になりまして誠に申し訳ありませんでした。

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