2017年2月23日木曜日

「ホースフレンド」 馬の幸せ

2016年12月24日に放送されたBS1スペシャル「ホースフレンド 人と馬 ともに歩んだ300日」をみて、馬の幸せについて考えさせられた。

「ホースフレンド 人と馬 ともに歩んだ300日」から
――ここから転載(「もっとNHKドキュメンタリー」から)

競馬レース中の落馬をきっかけに脳や身体に障害を負った元中央競馬の騎手・石山繁さん。今、東京パラリンピックの馬術競技での出場を目標に、北海道の小さな牧場で練習を続ける。石山さんの練習相手はリバイブ。かつては競走馬として期待されていた馬だ。しかし成績が伸びずここに引き取られた。リバイブも石山さんとの練習を通し、乗馬馬として復活を目指す。夏から秋へ…北海道の美しい自然の中で再生の道を歩む人と馬の物語。

転載ここまで――


1997.8.10 筆者撮影
この番組のラストシーンに大きな驚きと深い感銘を得たのだが、それは最後に書くとして…。

そもそも馬については何も知らないといってよい。
馬券は買ったことがなく、競馬場に行ったこともない。
馬とのふれあいも人生で2~3度ぐらい(乗ったことはない)。
それでもオグリキャップという名ぐらいは知っている。

ちょうど20年前だが、北海道を旅行したとき、たまたまオグリキャップと出会った。
今回そのとき撮った写真(右)をしげしげ眺めてわかったのだが、このとき出会ったオグリは引退してから6年後の12歳だった。

のんびり草を食むオグリ(下の写真)は幸せそうに見える。

1997.8.10 筆者撮影 12歳のオグリキャップ
話はそれるが、このときオグリは「優駿スタリオンステーション」という牧場にいたことが自分の撮った写真から知れる。
優駿」といえば、宮本輝の小説であり、映画も大ヒットしている。
私自身が「『優駿』の配役ミステイク」というタイトルでつまらないブログまで書いているではないか。

この優駿という牧場とオグリが、小説や映画の「優駿」とどのような関係にあるのかは知らない。

BS1スペシャルの「ホースフレンド」をみてからしばらくして、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組が「ただひたすら前へ、競走馬・オグリキャップ」を放映した(2/13)。
「プロフェッショナル」で馬が主人公?
まあ特別企画なんだそうだ。

オグリがいかに競走馬としてプロフェッショナルだったかを描いた番組だったが、たしかに心を打つものがある。
やはり馬の幸せとは何かを考えさせられる。

血統がすべてのようなサラブレッドの世界で、オグリキャップは二流の血統ながら競走馬として大成し、挫折し、そしてそれを乗り越えて最後に大輪の花を咲かせた。
競馬ファンのみならず、日本中が熱狂した。
それがオグリの幸せだったのだろうか。

そもそも馬が競馬で一番になりたいと思って走っているのだろうか。
人間のアスリートのように、常に上をめざし、オリンピックで金メダルを取りたいと苦しいトレーニングに耐え、そして勝利したときの幸福感を馬も味わっているのだろうか。

おそらくそうだろうと思う(ちがうかもしれない、たぶんちがう)。
馬も勝つことが喜びにちがいない(ちがうかもしれない、たぶんちがう)。
しかし、勝てなくなった馬はどうなるのか。
また、最初から勝てない馬は? けがをしたり病気になった馬は?

人間ならばそこから第二の人生のようなものが始まる。
そこからの人生の方が長く、そこでもさまざまな幸不幸がある。
競走馬に第二の人生(?)があるのだろうか。

グーグルで「走れなくなった競走馬の運命」で検索すると(「競走馬の一生」とか何でもいいのだが)、実にたくさんの悲惨な記事がヒットする。

引退した競走馬は9割が殺処分。
天寿を全うできる競走馬は1%未満。
・・・

すさまじいばかりの悲惨な競走馬の実態が告発されている。
本稿末尾に一つとても長いのを転載しておく。

オグリキャップは引退後も種牡馬として大切に育てられたのだろう。
サラブレッドのなかではひじょうに希だが、幸せな人生(馬生)を送れたと思いたい。

さて、ここから冒頭紹介した「ホースフレンド」の話になる。

競走馬としては落ちこぼれたリバイブと、落馬によって障害を負った元騎手が「乗馬競技」を通してたがいの絆を深め、再生していく番組だ。

まず気づくのは、競馬と乗馬競技との馬の扱いの大きなちがいだ。
この番組をみた頃は、まだ競走馬の悲惨を詳しく知らなかったのだが、それでも馬をむち打つという印象、古くは西部劇等で「拍車をかける」という言葉からもわかるような馬の扱い方に疑問は持っていた。
それに対して、乗馬競技では騎手の脚で馬の胴体を締めるようなことさえ厳禁だ。
乗馬の訓練時のみならず、さまざまな場面でひたすらおたがいの信頼関係を築いていく。

番組全体を通して、うん、そうだよな、やっぱりそうなんだ、という納得感が得られる。
しかし、これだけでは人と馬の感動的なふつうの物語で終わってしまうのだが、圧巻は番組最後の1分間のシーンにあった。

騎手の石山はリバイブとは別の馬で大会に出たものの、思ったような成績を上げられず、うちひしがれて牧場に戻ってくる。
そして何日ぶりかでリバイブと対面。
奇跡はそこで起こった(大げさだが私には奇跡に思えた)。

石山が近づいた瞬間、リバイブが突然いななき、前足を大きく上げて立ち上がり、そして小さな馬場を走り回る。
1周、2周、そしてまた大きく立ち上がる。
石山に会えた喜びを全身で表現しているのだ。
NHKBS1スペシャルから 大喜びのリバイブ
犬が大喜びしてはしゃぎ回っているのと同じだ。
その意味ではなんてことはない。

しかし、馬がそのように喜びを表現するところは見たことがないし、番組制作スタッフも「どうしたんでしょうね」と感嘆する声が収録されている。
石山はそのリバイブの姿を見てまたがんばってみようという気になる。
まさしく絆であり、再生だ。
そして私が思う「馬の幸せ」がここにあった。

映画「戦火の馬」スピルバーグ監督
かつてスピルバークの「戦火の馬」という映画を観て感動したものだが、そのハリウッド超大作も、この番組の最後の1分間には勝てないのではないか。
少なくとも私にはそう思えた。
(この映画の最後のシーンは覚えていないので実は何ともいえない)

だが、このような光景は日常的で大騒ぎする方がおかしいという馬関係の人がいるかもしれない。
そういう人がたくさんいてくれることを願うばかりだ。

――ここから転載(「ベジ漫画Natsumiのビーガン日和」に転載されているもの)

競馬の世界では、現在でも毎年、約8千から1万頭の子馬が生まれていると言われています。
毎年8千から1万頭です。
単純に計算したら、3年で約3万頭、10年で10万頭になります。

馬の寿命は、健康なら30歳、中には40歳まで生きる馬もいます。
こんなにたくさんの馬が毎年生まれていたら、日本はあっという間に馬糞で埋もれてしまいそうですが、実際はそうなりません。  

それはなぜか。

なぜなら、毎年生まれる子馬のうちのほとんどは、2歳、3歳、4歳といった若さで「処分」されてしまうからです。
処分とはつまり、屠殺です。
本当に子馬のうちに処分される馬もいます。

屠殺になる理由は、レースに向かないから、勝てないから、血統にあまり価値がないから、などなど、ようは、競馬で勝って馬主を儲けさせてくれない馬は、生きる価値がないと見なされます。

馬の2歳は、人間で言えば中学一年生くらい。
3歳は、高校に上がったばかりの年頃。まだまだ子供です。
心も体も未熟な、成長期の子供です。
その若さで、競走馬たちは、騎手を乗せ、ものすごいスピードで1キロ、2キロの走路を駆け抜け、勝つことを要求されます。

中学に上がったばかりの子供に、日々猛特訓をして、全日本選手権やワールドカップやオリンピックで勝てと要求しているようなものです。
そんなことをしたら、まだ十分出来上がっていない子供の骨や靭帯、筋肉はあっという間にボロボロになるでしょう。
プレッシャーや過酷な訓練から来るストレスで、精神的にも参ってしまうはずです。
そして、まさに、このとおりのことが、現役の競走馬たちの身には起こっています。

競馬界の真っただ中で働いている関係者の方によれば、現役競走馬の80パーセント近くが、ストレスと偏った食生活のせいで、慢性胃潰瘍に苦しんでいるそうです。
競馬を見ていると、骨折などの事故も多いですが、骨がまだ未熟なうちに、過度の負担をかけ続けているので、不思議はありません。

調教も、決して馬に優しいやり方ばかりではなく、トレーニングに出たが最後、いろいろなトラウマを負って半狂乱になってしまう、若い馬たちの話もたくさん聞きます。
ストレスに耐えられず、あるいは恐怖感で、訓練を嫌がったり、体調を崩したりすれば、屠殺場行きです。

そして、頑張って耐えて、デビューし、走り続けたところで、よほどの成績を残さない限りは、やはり最後は屠殺場に送られてしまいます。

G1を勝った馬や、アメリカで大変優秀な成績を残して日本へやってきた種牡馬が、一般人も知らないうちに、あっさり屠殺されていたことが分かり、話題になったこともありました。
最近では、タップダンスシチーの行方が分からなくなり、ネット上を騒がせました。
タップは生きているとクラブ側から「確認」が取れたとされていますが、そのタップの姿は一般公開されていないため、「本当にタップなのか?」「やっぱりもう屠殺されているのでは?」という意見も、多いようです。

勝っても負けても、競走馬たちは、ストレスや酷使で心も体も痛めつけられながら、身を削って走らされ、最後は屠殺場で殺され、動物園のライオンの餌やドッグフード、それでも余る大半の馬たちは、なんと畑の肥料にされるのです。

競走馬として生まれた子馬が、天寿を全うできる確率は、1パーセントもないと言われています。

競馬には、牡馬(オス馬)だけではなく、牝馬(メス馬)も同じく使われます。
牝馬は、人間同様、2歳、3歳の年頃になると、体がふっくらとしてきて、母馬になるための準備を始めます。発情も始まります。
しかし、こうした「女の子の事情」は、競走には不利。
だから、牝馬の競走馬には、ホルモン剤などの薬が大量に使われて、発情を抑えたり、脂肪をつきにくくしたりといった操作がおこなわれます。

また、牝馬は、現役を引退したあとに「繁殖に上がる」、つまり、北海道など、競走馬を産ませて育てる牧場に引き取られて、新たに競走馬の子馬を生むための仕事に回されるので、処分は少ない、と勘違いしている方もいます。
が、繁殖の世界も実際は過酷で、生んだ子馬の成績がいまひとつなら、母馬といえど、やはり処分、が現実なのです。
繁殖に上がったら、その後を追う人があまりいないので、知られていないだけです。

母馬に寄り添い、無邪気に寝転んだり遊んだりしている子馬は、本当にかわいくて、いつまでも見ていたいと思いますが、実際には、そののどかな幸せはつかの間の出来事で、子馬たちはまもなく、過酷な世界へと追いやられていきます。
生まれた子馬たちが勝てなければ、子馬自身だけでなく、母馬の命さえも危うくなります。

もちろん、中には、少数ながら、成績がいまひとつでも、故郷に戻ってきた馬(繁殖牝馬や種牡馬)を、できるかぎり処分しないで、大切に飼われている牧場さんもあります。
しかし、以前、生産牧場(競走馬を生ませて育てる牧場)をされていた方によると、日高地方では「不要牝馬回収」のトラックが、毎週、「いらなくなった繁殖牝馬」をたくさんトラックに乗せて、屠殺場へ運んでいるそうです。
毎週、です。

毎年何千もの子馬が生まれ、毎週登録抹消される馬がいて、そのうち、即処分を免れた一握りの馬たちが、生まれ故郷に帰って行き場を求め、しかしそこには、すでに前年、そのさらに前からいる馬たちが、ひしめき合っている・・・
残念ながら、今の競馬の世界は、こうした馬の大量生産、そして大量廃棄、が「当たり前」になっています。

競馬は、ギャンブルをビジネスにしているはずが、大量廃棄、大量処分、の現実を見ると、もはやビジネスそのものがギャンブルになってしまっているといっても過言ではない気がします。

そして、そこで、人知れず、無言で、消されていく、馬たちの命・・・
「馬は家畜なんだから、仕方がない」
という意見を平気で言う人もいますが、たとえ食するための家畜であったとしても、「無駄に生ませて、無駄に殺す」のは、命への冒涜以外の何ものでもないと思います。

一時、ファーストフード店のハンバーガーが、冷めてしまったからというだけの理由で、売られることもなく大量廃棄されていて、非難を浴びたことがありました。
今の競走馬たちの扱いは、まさにその頃のハンバーガー並みです。
ハンバーガーでなくても、商品を無駄に大量生産し、そして大量に廃棄することが当たり前の企業や工場は、非難される世の中ですし、そもそもビジネスとして立ち行かないはず。
まして、命のある馬たちを、「家畜だから」という理由で、無駄に生ませ、ストレスを与え、無駄に殺すのは、まったく理屈が通らないことです。

人によって生まされ、若さや命を謳歌することも許されないまま、人のために走り続けた馬たちを、「夢と感動」といった美辞麗句で飾り立てるその裏で、ゴミのように処分する、そんなやり方が通用する世の中であってはいけないと思います。

競馬ファンの多くは、馬券の儲けよりも、走る馬たちの美しさ、力強さ、ドラマチックなレース展開に引かれる、と、以前何かの雑誌で読んだことがあります。

馬に魅せられたわたしたち一人一人がもっと声をあげて、競走馬たちの福祉や未来を訴えていくことで、競馬界の認識や、姿勢、馬の扱いをも、変えていけると、わたしは信じています。

ここまで転載(原文は「とどけ!馬の祈りプロジェクト」から?)――

◆ コガネグモ(クモ目コガネグモ科コガネグモ属)◆
2013.11.23撮影 コガネグモ
ジョロウグモだと思っていたのだが、今回調べてみてどうやらコガネグモらしい。一般人は混同して当たり前みたいだ。腹部の形が長い楕円形なのがジョロウグモで、コガネグモは丸みを帯びた五角形に近いということで判断した。だが、コガネグモの成体は秋まで死亡するとあるから、まちがっているかもしれない。

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