2015年7月25日土曜日

「日米同盟」 対等求めて従属きわまる愚劣さ &「中村哲に聞く」

7/4のNHKスペシャルは与野党党首による討論だった。
お題目は「与野党代表に問う 自衛隊の活動拡大と憲法」。

この番組でもっとも印象に残ったのは、共産党の志位委員長が米国追随で集団的自衛権の発動をする危険性について述べたあとの高村自民党副総裁の次の発言だった。

「日米同盟を強化しないでどうやって日本の平和と安全を維持できるのか。例えば北朝鮮ははっきりとした脅威だ。核もミサイルも開発している。それを止めるのは抑止力以外ない。話せばわかる国じゃない」

番組を通して高村の態度は独断的、高圧的、神経症的ではあったが、この発言をしているときがもっとも異常であった。
会場がちょっと凍りついたような気がした。
志位委員長もあっけにとられてすぐには反論もできないぐらいの異様さであった。

私はこの場面を見て、彼らは本当に中国・北朝鮮を怖がっているのだなと思った。

背筋を伸ばし、緊張した面持ちで声を震わせながら
「日米同盟を強化しないでどうやって日本の平和と安全を維持できるのか」

どうだといわんばかりにみんなをにらみつける。

中国・北朝鮮の脅威に対処するにはアメリカに頼るしかない。
アメリカから見放されたらおしまいだ。
どんな政策もアメリカにいかに気に入られるかだ。
ちょっとでもアメリカに不信感をもたれるようでは日本を守ることができない。

ということだ。

こんな恥ずかしいことを政権与党の副総裁がNHKの番組で臆面もなくしゃべる。
愚劣だ。

そういえば宮崎駿監督が外国人記者に次のように言っていた。

「(安倍は)憲法の解釈を変えた偉大な男として歴史に残りたいのだろうが、愚劣なことだ」

話をもどして、

安倍や高村といった連中はとにかくアメリカに気に入られたい。
アメリカから見放されたら終わりだと思っている。
そのためには何でもする。

日米安保条約でアメリカは本当に日本を守ってくれるのか、いつもそれが気になってしょうがない。
尖閣諸島で日米安保が発動するのか、その保証はあるのか、それが気になる。

日本は集団的自衛権の行使が認められていない。
アメリカに日本を守ってほしいが、日本はアメリカを守れない。
このようなかたよった(片務的)安保条約ではこわくてしょうがない。
だから一刻も早く集団的自衛権を発動できる国にならなければ。

1951年にサンフランシスコ条約と同時に結ばれた日米安保条約。
そのとき日本には軍隊(自衛隊)がなかった。
100%片務的な条約だったので、いくらアメリカが日本を守るといっても、それを心から信じることはできなかった。

以後彼らがしようとしたことは、その安保(いわゆる日米同盟)の片務性をいかに双務性(対等)に近づけるかであった。
そしてようやく集団的自衛権行使を閣議決定し、あと一歩で安保法制ができあがる。

そうなると、名実ともに日本はアメリカのために闘うことができるので、アメリカもまちがいなく日本を守ってくれる。
これで安心だ。
自衛隊のリスクも国民のリスクも減る。

結局、彼らはアメリカと対等になりたいがために限りなくアメリカに従属するという究極の自己矛盾に陥っている。

米国両院合同議会で演説した安倍(4/30)は、宗主国アメリカに媚び、その機会を与えられたことの無上の喜びを体中からあふれんばかりに表した。
おまけに、まだ日本の国会にかけてもいなった安保法制の夏までの成立を約束した。

「そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します」

アメリカとの約束を何としても果たさなければ。
今の安倍の心境だ。

愚劣としかいいようがない。

「私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。

希望の同盟―。一緒でなら、きっとできます」

愚劣を通り越している。

さて、4カ月ぶりにブログを更新しようと思ったきっかけは、赤旗日曜版に中村哲の談話が載ったからだ。
生存している人の中ではもっとも尊敬している人のひとりだ。
彼の談話をこのブログにぜひ載せておきたいと思った。


――ここから転載(赤旗日曜版2015.7.12付 中村哲に聞く)

残虐行為の米軍の仲間に

安保法案が成立すれば日本の一つの時代が終わると感じています。アフガニスタンから一時帰国して安倍さんの熱にうかされたような演説を聞き、はっきり言って正気なんだろうかと思いました。

 自衛隊が国際NGOを救出できるようにする、駆けつけ警護するという想定があり得ないことだし、そんなことすると、助かる命も助からない。支援は、その国の人たちの願いと保護を受けてやれることです。地域の住民や行政と信頼関係を築いて、自分たちの安全を保ってきました。それを無視することです。

 法案をまっすぐに見ると結局は、アメリカをはじめとする連合軍に日本も参加するということです。「“平和”安全法制」「積極的“平和”主義」…平和が泣いています。

 2001年の米軍による空爆から始まったアフガニスタンへの軍事介入の際、日本は憲法の制約から自衛隊を出せませんでした。だが、殺りくと残虐を平気で行ったあの仲間にだけは、死んでもなりたくない。

 アフガニスタンでは、いまだに国民の半数が栄養失調状態です。人口増如に加えて、気候変動による干ばつで農業生産が著しく低下しています。

 各家庭にライフルが1丁ずつあるような“兵農未分化”の社会ですから、住民は兵士にも農家にもなります。食べるものがなく、それでやむなく傭兵(ようへい)になるという人が、圧倒的に多いのです。

 武力より食料

 ペシャワール会が支援する平和医療団・日本(PMS)では、「緑の大地計画」に取り組み、アフガン東部の一角に安定的に農業用水を供給しようとしています。
2009年8月
2012年4月

中村医師らによる用水路建設で緑に変わったアフガニスタン東部のガンベリ砂漠
(キャプションは赤旗日曜版から、写真はペシャワール会HPから)

 すでにクナール河からのマルワリード用水路27キロをはじめ、建設した取水設備で、耕作地1万数千ヘクタールを潤しています。水さえあれば日差しが強いので野菜がよく育ちます。いまの季節はスイカやトマト、キュウリなどがとれます。20年までにこの地域周辺の65万人が安心して生きていけるようにしたいと思っています。

 この地域の治安は他の地域よりも非常によくなっています。みんな、三度のご飯を家族に食べさせ、故郷で暮らせさえすれば、銃は握りたくないのです。武力ではなく、食料がアフガニスタンの平和には必要だということです。

米の介入でアフガンの治安破壊

 私たちの事業そのものは本来、テロ対策でも平和運動でもありません。タリバン政権下で2000年に計画を開始した当時、餓死線上100万人という中でさえ、治安は良好でした。アメリカが「テロとのたたかい」といって軍事介入し、連合軍が国をぐちゃぐちゃにしました。

 米軍が使ったクラスター(集束)爆弾は、人間の殺傷だけを目的に、子爆弾をばらまく非人道的な兵器です。ひとの国土をなんだと思っているのかという戦争でした。タリバンの幹部を殺すのに、建物を丸ごと爆撃して関係のない人まで殺しました。米兵2千人以上が亡くなり、地元では何十万人もが殺され、謀略と分裂工作が日常化しました。地元民を助けるはずの「治安維持活動」が、治安を破壊したのです。

わざわざ敵つくるのか

 ドイツの禍根

 日本は空爆を支持しインド洋で米艦船への給油をしましたが、その活動はアフガン人にはあまり知られず、私たちの活動に幸いしました。軍服を着た自衛隊が目の前で歩き回ることがなかったので、信頼関係を辛うじて維持できたのです。

 日本と似た立場だったドイツは、国際治安支援部隊(ISAF)に参加して兵士50人以上が亡くなったうえ、敵をつくりました。事実上、米軍の〝助っ人″となっただけでした。ドイツ国内でのイスラム系移民への差別問題も重なり、取り返しのつかない禍根を残しています。

「後方支援」で日本は標的になる

 「米軍などの後方支援をする」といいますが、それは昔「輜重(しちょう)隊」と言い、戦力そのものになるということです。自衛隊は当然攻撃され、日本国内でも破壊工作が行われるでしょう。私が敵なら、そうします。米軍と同様、現代戦の常とう手段だからです。その覚悟があるのでしょうか。つくらなくてもいい敵をつくり、イスラム教徒に対する偏見を共有し、危険な火遊びに運命を託すようです。

 憲法9条は自衛隊の武力行使を制限してきました。これまでは、「ともかく戦争だけは嫌だ」という国民的な合意が、自民党だろうと、共産党だろうとあったと思います。今回の法案でその粋が外れてしまいますから、確実に破局を共にします。

 法案に反対して声をあげる若い人たちが、「アメリカみたいになりたくない」と拒否するのは、事態を正確に見抜いているからです。日本ほど治安がいい国はないのに、なぜそれを自ら投げ捨てるのでしょうか。国益と称して何でもやる。武器を売り、国を売り、誇りを捨て、生命を軽んずる。欧米に迎合する卑屈な動きは、日本人として、とうてい耐え難いものがあります。多少の豊かさか命の安全か、どちらを選ぶかの岐路だと思っています。
(本田祐典記者)
転載ここまで――

 追記(2015.7.26) 

この日米安保条約の片務性・双務性についての赤旗記事が最近出ていたのではなかったかとずいぶんさがしたが見つからなかった。
今日になって、2年以上前の切り抜きからまさに今回投稿したのとまったく同趣旨の記事が出てきた。
「憲法から考える 日米同盟と集団的自衛権」という連載記事(全8回)の中の1本だが、転載する。

――ここから転載(赤旗2013.3.6付)

   「対等」の誘惑
     〝従属性が増すばかり〟

 アーミテージ氏(元米国務副長官)らは日米同盟に関する報告書の「続編」を公表し、集団的自衛権の行使や海外派兵の拡大を繰り返し求めました。

 劣等感くすぐる

 「憲法について日本で行われている議論は、地域や地球規模の安全保障問題への日本の関心の増大を反映するものであり、心強い動きである」(2007年2月の第2次報告「米国と日本・成熟したパートナーシップに向けて」)、「集団的自衛の禁止は同盟にとって障害物である」(12年8月の第3次報告「日米同盟・アジア安定の錨」)。
報告書は同時に、日米の「対等性」に言及します。

 「ワシントンは、さらに対等な同盟パートナーになるためのさらなる貢献を行おうとする日本を歓迎すべきとの姿勢を明確にしなければならない」(第1次報告書、00年10月)、「日本は、自分白身の防衛に必要な分野でもっと多くのことを適切に担うことによって、同盟をより対等のものにしなければならない」(第2次報告書)、「より強力で、より対等な同盟が求められている」(第3次報告書)…。

 これらの言葉は、「敗戦国」という劣等感を抱え、従属的な地位に屈折した思いを抱いていた日本の支配層の心をとらえます。“より積極的な対米責献こそ日米が対等になる道だ”と思わせました。

 植民地的な実態

 その典型が安倍普三首相です。安倍氏は自らの政権構想「新しい国へ」(『文芸春秋』1月弓)で、こう述べています。「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等になることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる」

 米国は日米安保条約第5条(日米共同作戦)により日本を命がけで守るが、日本は米国を守らない「片務的」な同盟だ。だから集団的自衛権を行使して米国を助ければ、日米は対等になる―。これが集団的自衛権の行使を求める典型的な論理です。本当にそうなのでしょうか。

 「日本には132もの米軍基地が置かれ、世界戦略の拠点として機能し、日本政府はその維持費を支払っている。むしろ、安保条約6条(米軍への基地提供)に基づく義務を果たしていると政府も説明している」。浦田一郎・明治大学教授はこう指摘します。

 「一般的にどの同盟にも、国力の強弱により従属関係が存在する。加えて日本は沖縄の植民地的な実態やさまざまな密約により、他の同盟国にない従属性がある。これを放置して軍事的な役割を拡大すれば、従属性が増すばかりだ」

転載ここまで――


 追記(2015.8.9) 

日米安保条約の片務性・双務性に触れた赤旗記事が最近あったはずなのに見つけることができなかったのだが、今日になって出てきた。
「徹底批判!戦争法案 対米従属が本質」というけっこう長い記事の中の一部分だが、次の通り。
赤旗2015.7.10付


◆ カワウ(ペリカン目ウ科ウ属) ◆
カワウ 2013.11.8撮影
過去5回も取り上げたカワウ。嫌われ気味の印象があるが、何と言っても緑の目には惹き付けられるものがある。

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