女子ジャンプが終わって、高梨沙羅が意外なことに4位だった。
こんなことってあるんだな。
高梨は今季ワールドカップ13戦で10勝。
2位が2回、3位が1回。
圧倒的な強さを誇っていた。
昨シーズンからその強さを見せつけていたので、今季1戦目で優勝したとき、残りすべて優勝するのではないかと思ったぐらいだ。
2/1にはNHKスペシャル「金メダルへの挑戦 小さなジャンパー 高梨沙羅17歳」があったし、NNNのドキュメント2014でも「フライングガール 夢の舞台へ 沙羅がつくる道」を放映した。
金メダルに一番近い選手だと思われていて、まさかメダルなしという結果を予想した人はいなかったのではないか。
「連日のメダル獲得偏重報道には、はっきりいって好感が持てません」には同感だ。
赤旗日曜版2/2号は次のような記事だった。
赤旗日曜版2/2号は次のような記事だった。
――ここから転載(赤旗日曜版2014.2.2付から)
7日開幕のソチ五輪で、スキー女子ジャンプが初めて実施されます。日本の若きエース高梨沙羅選手(17)らを支えているのが、山田いずみコーチ(35)です。(勝又秀人記者)
かつては女子ジャンプの第一人者。現役の女子選手たちがあこがれ、尊敬する存在です。高梨選手の専属パーソナル(個人)コーチとしてのぞむオリンピックで、ささやかながら、かなえたい夢があります。
「優勝したら、高梨選手を抱っこして写真を撮りたい」
ジャンプ台をバックに、歓喜の17歳を両腕で抱きかかえる―。胸に秘めた思いです。
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昨年5月にジャンプ日本代表初の女性コーチになりました。ソチ五輪に出場する10代の高梨、伊藤有希(19)、山田優梨粟(17)の3選手を支える役割です。
「現役の頃の方が楽でしたね。自分のジャンプにだけに集中できたから」。気質の異なる選手への対応に気をつかいます。
数多くの後輩と接してきたなかで、高梨選手は「今までにないタイプ」と感心します。
「女子の選手は、コーチから言われると二つ返事しちゃう子が多い。でも、高梨選手は、納得するまでずっと聞いてくる」
ときには、二人で押し問答になることも。「お互いに考えを曲げないので(笑い)。でも、自分の感覚を大事にする姿勢は、すごくいいと思います」
包み込むような、やわらかい笑みです。
女子ジャンプがオリンピックの正式種目となったのは2011年。自身が引退した2年後の決定でしたが、心から喜びました。
「ずっと夢に見てきたから、素直にうれしかった」
夢をあきらめない人です。
女子の国内大会がなかった時代から男子にまじって飛び続け、実績を積み上げました。
所属していた企業チームが契約満期で終了した07年は、雇用保険を受けながら競技を続けました。「ジャンプする女子を一人でも増やしたい」。その思いが、支えでした。
山田さんの後を追い、北海道のほか、長野、山形、新潟にも女子選手が誕生しました。世界でも機運が高まり、1999年に女子初の国際大会が開かれ、04年からW杯の前身となるコンチネンタル杯がスタート。09年には、世界選手権の新種目になりました。
山田コーチの足跡を知る現役女子ジャンパーたちは、口ぐせのように「山田さんたち女子の歴史があって、いまがある」と感謝の言葉を表します。競技ができる喜びと、その重みを、深くかみしめています。
女性コーチの境地開きます
指導者となったいま、新たな使命感に燃えています。2歳の子を持つ母として、女性コーチの境地を開く役割です。
夫は会社員。遠征中の子育ては、同居する祖父母に頼らざるを得ません。いつか子どもを遠征先に帯同し、大会や練習の閤もベビーシッターが面倒を見てくれる、そんな環境を今後求めていくつもりです。
「これから現役を引退する選手たちが『これだったらコーチの道に進みたい』と思えるように、地道にアピールしたい」どこまでも「開拓者」です。
現役時代、はるか遠くの存在だった五輪が、もう目の前です。
「優勝したら抱っこ」の祝福は、高梨選手ものぞんでいます。2年前のW杯蔵王大会では、高梨選手から〝おねだり″して実現しました。
ソチの空の下。あこがれのコーチに抱きかかえられた17歳の笑顔は、メダルの色以上の輝きを放つに違いありません。
転載ここまで――
すてきな記事だし写真もいい。
ソチオリンピック女子ジャンプは12日未明2時からという。
「抱っこ」を生で見たくて、起きていようかなと思ったが、1時過ぎたころからがまんできなくなり、ふとんを敷いて寝てしまった。
3時半頃だったか、眠りが薄くなってテレビの音が耳に入ってきた。
妻が見ているのだ。
寝たままうつらうつらしながら聞いていると、高梨が1回目で3位だといっている。
そして最終的に4位。
高梨の心中を思うと、ふとんの中で涙がこぼれそうになった。
日本中の期待を一身に背負い、たいへんなプレッシャーだったろう。
けなげとしかいいようがない。
工藤三郎アナではないが、「よくがんばったね」といいたい。
今日(2/13)の赤旗「読者の広場」には次のような声が載った。
この方はおそらく女子ジャンプの競技前に投稿したものと思われる。
世相もだが、まずマスコミやスポーツ関係者が本気で考え直さないといけないのではないか。
◆ フヨウ(アオイ科フヨウ族) ◆
フヨウが野生化したものと思われるが自信がない。背景は川の水面。
7日開幕のソチ五輪で、スキー女子ジャンプが初めて実施されます。日本の若きエース高梨沙羅選手(17)らを支えているのが、山田いずみコーチ(35)です。(勝又秀人記者)
かつては女子ジャンプの第一人者。現役の女子選手たちがあこがれ、尊敬する存在です。高梨選手の専属パーソナル(個人)コーチとしてのぞむオリンピックで、ささやかながら、かなえたい夢があります。
「優勝したら、高梨選手を抱っこして写真を撮りたい」
ジャンプ台をバックに、歓喜の17歳を両腕で抱きかかえる―。胸に秘めた思いです。
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昨年5月にジャンプ日本代表初の女性コーチになりました。ソチ五輪に出場する10代の高梨、伊藤有希(19)、山田優梨粟(17)の3選手を支える役割です。
「現役の頃の方が楽でしたね。自分のジャンプにだけに集中できたから」。気質の異なる選手への対応に気をつかいます。
数多くの後輩と接してきたなかで、高梨選手は「今までにないタイプ」と感心します。
「女子の選手は、コーチから言われると二つ返事しちゃう子が多い。でも、高梨選手は、納得するまでずっと聞いてくる」
ときには、二人で押し問答になることも。「お互いに考えを曲げないので(笑い)。でも、自分の感覚を大事にする姿勢は、すごくいいと思います」
包み込むような、やわらかい笑みです。
女子ジャンプがオリンピックの正式種目となったのは2011年。自身が引退した2年後の決定でしたが、心から喜びました。
「ずっと夢に見てきたから、素直にうれしかった」
夢をあきらめない人です。
女子の国内大会がなかった時代から男子にまじって飛び続け、実績を積み上げました。
所属していた企業チームが契約満期で終了した07年は、雇用保険を受けながら競技を続けました。「ジャンプする女子を一人でも増やしたい」。その思いが、支えでした。
山田さんの後を追い、北海道のほか、長野、山形、新潟にも女子選手が誕生しました。世界でも機運が高まり、1999年に女子初の国際大会が開かれ、04年からW杯の前身となるコンチネンタル杯がスタート。09年には、世界選手権の新種目になりました。
山田コーチの足跡を知る現役女子ジャンパーたちは、口ぐせのように「山田さんたち女子の歴史があって、いまがある」と感謝の言葉を表します。競技ができる喜びと、その重みを、深くかみしめています。
女性コーチの境地開きます
指導者となったいま、新たな使命感に燃えています。2歳の子を持つ母として、女性コーチの境地を開く役割です。
夫は会社員。遠征中の子育ては、同居する祖父母に頼らざるを得ません。いつか子どもを遠征先に帯同し、大会や練習の閤もベビーシッターが面倒を見てくれる、そんな環境を今後求めていくつもりです。
「これから現役を引退する選手たちが『これだったらコーチの道に進みたい』と思えるように、地道にアピールしたい」どこまでも「開拓者」です。
現役時代、はるか遠くの存在だった五輪が、もう目の前です。
「優勝したら抱っこ」の祝福は、高梨選手ものぞんでいます。2年前のW杯蔵王大会では、高梨選手から〝おねだり″して実現しました。
ソチの空の下。あこがれのコーチに抱きかかえられた17歳の笑顔は、メダルの色以上の輝きを放つに違いありません。
転載ここまで――
すてきな記事だし写真もいい。
ソチオリンピック女子ジャンプは12日未明2時からという。
「抱っこ」を生で見たくて、起きていようかなと思ったが、1時過ぎたころからがまんできなくなり、ふとんを敷いて寝てしまった。
3時半頃だったか、眠りが薄くなってテレビの音が耳に入ってきた。
妻が見ているのだ。
寝たままうつらうつらしながら聞いていると、高梨が1回目で3位だといっている。
そして最終的に4位。
高梨の心中を思うと、ふとんの中で涙がこぼれそうになった。
日本中の期待を一身に背負い、たいへんなプレッシャーだったろう。
けなげとしかいいようがない。
工藤三郎アナではないが、「よくがんばったね」といいたい。
今日(2/13)の赤旗「読者の広場」には次のような声が載った。
赤旗2014.2.13付 レイアウトは変えた 名前はカット |
世相もだが、まずマスコミやスポーツ関係者が本気で考え直さないといけないのではないか。
◆ フヨウ(アオイ科フヨウ族) ◆
フヨウ 2013.9.5撮影 |
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