2018.10.2 第4次安倍晋三改造内閣 |
安倍側の「語るに落ちる」アホさかげんにもあきれるが、石破もふくめた自民党の愚劣さにはますます磨きがかかってきたようだ。
結局安倍が3選、第4次安倍改造内閣の発足となった。
2カ月以上も前の話だが、書かずにおれないのでこうして安楽死寸前のブログに時々息を吹き込んでいる。
首相官邸には「すべての女性が輝く社会づくり本部」というものがあって(2014年10月発足)、そのホームページには次のように書いてある。
2014.10.15 首相官邸HPから |
すべての女性が、その生き方に自信と誇りを持ち、活躍できる社会づくりを進めてまいります。
本部長はもちろん安倍首相であり、ことあるごとに「すべての女性が輝く」「あらゆる分野における女性の活躍」などとアピールしてきた。
その最重要課題に総力をあげて(?)とりくんできた4年間の結果が今回の改造内閣だ。
2007年の第1次安倍内閣をふくめて9回の安倍自身による組閣のなかでも女性閣僚が1人というのは初めてだ。
「あらゆる分野における女性の活躍で、すべての女性が輝く」という謳い文句は内閣だけは別ということなのだろうか。
そこで、戦後の歴代内閣に女性閣僚がどれほどいたのか調べてみた。
戦後最初の首相は東久邇宮であり、幣原喜重郎、吉田茂と続くが、いずれも明治憲法下での組閣であって、その時代は女性は政治家にはなれなかったし、選挙権でさえなかったので除いてある。
戦後(新憲法下)歴代内閣の女性閣僚
内閣
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発足
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氏名
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国務大臣
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備考
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片山哲内閣 | 1947.5.24 | |||
芦田均内閣 | 1948.3.10 | |||
第2次吉田茂内閣 | 1948.10.15 | |||
第3次吉田茂内閣 | 1949.2.16 | |||
第3次吉田茂改造内閣 | 1950.6.28 | |||
第3次吉田茂改造2内閣 | 1951.7.4 | |||
第3次吉田茂改造3内閣 | 1951.12.24 | |||
第4次吉田茂内閣 | 1952.10.30 | |||
第5次吉田茂内閣 | 1951.5.21 | |||
第1次鳩山一郎内閣 | 1954.12.10 | |||
第2次鳩山一郎内閣 | 1955.3.19 | |||
第3次鳩山一郎内閣 | 1955.11.22 | |||
石橋湛山内閣 | 1956.12.23 | |||
第1次岸信介内閣 | 1957.2.25 | |||
第1次岸信介改造内閣 | 1957.7.10 | |||
第2次岸信介内閣 | 1958.6.12 | |||
第2次岸信介改造内閣 | 1959.6.18 | |||
第1次池田勇人内閣 | 1960.7.19 | 中山マサ | 厚生大臣 | 自民党大野派 |
第2次池田勇人内閣 | 1960.12.8 | |||
第2次池田勇人改造内閣 | 1961.7.18 | |||
第2次池田勇人改造2内閣 | 1962.7.18 | 近藤鶴代 | 科学技術庁長官 | 参議院自民党大野派 |
第2次池田勇人改造3内閣 | 1963.7.18 | |||
第3次池田勇人内閣 | 1963.12.9 | |||
第3次池田勇人改造内閣 | 1964.7.18 | |||
第1次佐藤栄作内閣 | 1964.11.9 | |||
第1次佐藤栄作改造内閣 | 1965.6.3 | |||
第1次佐藤栄作改造2内閣 | 1966.8.1 | |||
第1次佐藤栄作改造3内閣 | 1966.12.3 | |||
第2次佐藤栄作内閣 | 1967.2.17 | |||
第2次佐藤栄作改造内閣 | 1967.11.25 | |||
第2次佐藤栄作改造2内閣 | 1968.11.30 | |||
第3次佐藤栄作内閣 | 1970.1.14 | |||
第3次佐藤栄作改造内閣 | 1971.7.5 | |||
第1次田中角栄内閣 | 1972.7.7 | |||
第2次田中角栄内閣 | 1972.12.22 | |||
第2次田中角栄改造内閣 | 1973.11.25 | |||
第2次田中角栄改造2内閣 | 1974.11.11 | |||
三木武夫内閣 | 1974.12.9 | |||
三木武夫改造内閣 | 1976.9.15 | |||
福田赳夫内閣 | 1976.12.24 | |||
福田赳夫改造内閣 | 1977.11.28 | |||
第1次大平正芳内閣 | 1978.12.7 | |||
第2次大平正芳内閣 | 1979.11.9 | |||
鈴木善幸内閣 | 1980.7.17 | |||
鈴木善幸改造内閣 | 1981.11.30 | |||
第1次中曽根康弘内閣 | 1982.11.27 | |||
第2次中曽根康弘内閣 | 1983.12.27 | |||
第2次中曽根康弘改造内閣 | 1984.11.1 | 石本 茂 | 環境庁長官 | 参議院自民党福田派 |
第2次中曽根康弘改造2内閣 | 1985.12.28 | |||
第3次中曽根康弘内閣 | 1986.7.22 | |||
竹下登内閣 | 1987.11.6 | |||
竹下登改造内閣 | 1988.12.27 | |||
宇野宗佑内閣 | 1989.6.3 | |||
第1次海部俊樹内閣 | 1989.8.10 | 森山眞弓 | 環境庁長官 内閣官房長官 | 参議院自民党河本派 |
高原須美子 | 経済企画庁長官 | 経済評論家 フィンランド大使 セ・リーグ会長 | ||
第2次海部俊樹内閣 | 1990.2.28 | |||
第2次海部俊樹改造内閣 | 1990.12.29 | 山東昭子 | 科学技術庁長官 | 参議院自民党竹下派 |
宮澤喜一内閣 | 1991.11.5 | |||
宮澤喜一改造内閣 | 1992.12.11 | 森山眞弓 | 文部大臣 | 参議院自民党河本派 |
細川護煕内閣 | 1993.8.9 | 赤松良子 | 文部大臣 | 労働省出身 |
久保田真苗 | 経済企画庁長官 | 参議院社会党 | ||
広中和歌子 | 環境庁長官 | 参議院公明党 | ||
羽田孜内閣 | 1994.4.28 | 赤松良子 | 文部大臣 | 留任 |
浜四津敏子 | 環境庁長官 | 参議院公明党 | ||
村山富市内閣 | 1994.6.30 | 田中眞紀子 | 科学技術庁長官 | 自民党無派閥 |
村山富市改造内閣 | 1995.8.8 | |||
第1次橋本龍太郎内閣 | 1996.1.11 | 長尾立子 | 法務大臣 | 厚生省出身 |
第2次橋本龍太郎内閣 | 1996.11.7 | 石井道子 | 環境庁長官 | 参議院自民党宮澤派 |
第2次橋本龍太郎改造内閣 | 1997.9.11 | |||
小渕恵三内閣 | 1998.7.30 | 野田聖子 | 郵政大臣 | 自民党旧河本派 |
小渕恵三改造内閣 | 1999.1.14 | 野田聖子 | 郵政大臣 | 留任 |
小渕恵三改造2内閣 | 1999.10.5 | 清水嘉与子 | 環境庁長官 | 参議院自民党森派 |
第1次森喜朗内閣 | 2000.4.5 | 清水嘉与子 | 環境庁長官 | 留任 |
第2次森喜朗内閣 | 2000.7.5 | 扇 千景 | 建設大臣 | 参議院保守党 |
川口順子 | 環境大臣 | 留任 | ||
第2次森喜朗改造内閣 | 2000.12.5 | 扇 千景 | 国土交通大臣 | 留任 |
川口順子 | 環境大臣 | 留任 | ||
第1次小泉純一郎内閣 | 2001.4.26 | 森山眞弓 | 法務大臣 | 自民党旧河本派 |
田中眞紀子 | 外務大臣 | 自民党無派閥 | ||
扇 千景 | 国土交通大臣 | 留任 | ||
川口順子 | 環境大臣 外務大臣 | 留任 | ||
遠山敦子 | 文部科学大臣 | 文部省出身 | ||
第1次小泉純一郎改造内閣 | 2002.9.30 | 森山眞弓 | 法務大臣 | 留任 |
扇 千景 | 国土交通大臣 | 留任 | ||
川口順子 | 外務大臣 | 留任 | ||
遠山敦子 | 文部科学大臣 | 留任 | ||
第1次小泉純一郎改造2内閣 | 2003.9.22 | 川口順子 | 外務大臣 | 留任 |
小池百合子 | 環境大臣 | 自民党森派 | ||
小野清子 | 国家公安委員長 | 参議院自民党江藤・亀井派 | ||
第2次小泉純一郎内閣 | 2003.11.19 | 川口順子 | 外務大臣 | 留任 |
小池百合子 | 環境大臣 | 留任 | ||
小野清子 | 国家公安委員長 | 留任 | ||
第2次小泉純一郎改造内閣 | 2004.9.27 | 南野知恵子 | 法務大臣 | 参議院自民党森派 |
小池百合子 | 環境大臣 | 留任 | ||
第3次小泉純一郎内閣 | 2005.9.21 | 南野知恵子 | 法務大臣 | 留任 |
小池百合子 | 環境大臣 | 留任 | ||
第3次小泉純一郎改造内閣 | 2005.10.31 | 小池百合子 | 環境大臣 | 留任 |
猪口邦子 | 少子化担当大臣 | 自民党無派閥 | ||
第1次安倍晋三内閣 | 2006.9.26 | 大田弘子 | 経済財政相 | 政策研究大学院大学教授 |
高市早苗 | 沖縄北方他相 | 自民党森派 | ||
小池百合子 | 防衛相 | 自民党森派 | ||
第1次安倍晋三改造内閣 | 2007.8.27 | 大田弘子 | 経済財政相 | 留任 |
上川陽子 | 少子化相 | 参議院町村派 | ||
福田康夫内閣 | 2007.9.26 | 大田弘子 | 経済財政相 | 留任 |
上川陽子 | 少子化相 | 留任 | ||
福田康夫改造内閣 | 2008.8.2 | 野田聖子 | 科学技術相 | 自民党無派閥 |
中山恭子 | 少子化相 | 参議院町村派 | ||
麻生太郎内閣 | 2008.9.24 | 野田聖子 | 科学技術相 | 留任 |
小渕優子 | 少子化相 | 自民党津島派 | ||
鳩山由紀夫内閣 | 2009.9.16 | 千葉景子 | 法務大臣 | 参議院民主党 旧社会党出身 |
福島瑞穂 | 消費者少子化相 | 社民党党首 | ||
菅直人内閣 | 2010.6.8 | 千葉景子 | 法務大臣 | 留任 |
蓮 舫 | 行政刷新相 | 参議院民主党野田G | ||
菅直人改造内閣 | 2010.9.17 | 岡崎トミ子 | 国家公安委員長 | 参議院民主党 旧社会党出身 |
蓮 舫 | 行政刷新相 | 留任 | ||
菅直人改造2内閣 | 2011.1.14 | 蓮 舫 | 行政刷新相 | 留任 |
野田佳彦内閣 | 2011.9.2 | 小宮山洋子 | 厚労大臣 | 民主党前原G |
蓮 舫 | 行政刷新相 | 留任 | ||
野田佳彦改造内閣 | 2012.1.13 | 小宮山洋子 | 厚労大臣 | 留任 |
野田佳彦改造2内閣 | 2012.6.4 | 小宮山洋子 | 厚労大臣 | 留任 |
野田佳彦改造3内閣 | 2012.10.1 | 田中真紀子 | 文科大臣 | |
第2次安倍晋三内閣 | 2012.12.26 | 森雅子 | 消費者相 | 参議院自民党町村派 |
稲田朋美 | 規制改革相 | 自民党町村派 | ||
第2次安倍晋三改造内閣 | 2014.9.3 | 高市早苗 | 総務大臣 | 自民党無派閥 |
法務大臣 | 自民党町村派 不祥事で辞任 | |||
上川陽子 | 法務大臣 | 自民党岸田派 松島の後任 | ||
山谷えり子 | 国家公安委員長 | 自民党町村派 | ||
経産相 | 自民党額賀派 不祥事で辞任 | |||
有村治子 | 内閣府特命大臣 | 参議院自民党大島派 | ||
第3次安倍晋三内閣 | 2014.12.24 | 高市早苗 | 総務大臣 | 留任 |
上川陽子 | 法務大臣 | 留任 | ||
山谷えり子 | 国家公安委員長 | 留任 | ||
有村治子 | 内閣府特命大臣 | 留任 | ||
第3次安倍晋三改造内閣 | 2015.10.7 | 高市早苗 | 総務大臣 | 留任 |
丸川珠代 | 環境大臣 | 参議院自民党細田派 | ||
島尻安伊子 | 内閣府特命大臣 | 参議院自民党額賀派→民間 | ||
第3次安倍晋三改造2内閣 | 2016.8.3 | 高市早苗 | 総務大臣 | 留任 |
防衛大臣 | 自民党細田派 不祥事で辞任 | |||
丸川珠代 | 国務大臣 | 転任 | ||
第3次安倍晋三改造3内閣 | 2017.8.3 | 野田聖子 | 総務大臣 | 自民党無派閥 |
上川陽子 | 法務大臣 | 自民党岸田派 | ||
第4次安倍晋三内閣 | 2017.11.1 | 野田聖子 | 総務大臣 | 留任 |
上川陽子 | 法務大臣 | 留任 | ||
第4次安倍晋三改造内閣 | 2018.10.2 | 片山さつき | 内閣府特命大臣 | 参議院自民党二階派 |
氏名に抹消線が引いてあるのは、不祥事による途中辞任だ。
この表づくりにはほとほと疲れ果てた。
労多くして益少なしだな。
最も女性閣僚の多かったのが2001年の第1次小泉純一郎内閣と2014年の第2次安倍晋三改造内閣の5人だ。
ただし、安倍晋三内閣は5人の内2人が不祥事で辞任し、途中から女性閣僚は4人になっている。
9回におよぶ安倍の組閣における女性閣僚の数は、3→2→5→4→3→3→2→2→1となっている。
「すべての女性が輝く社会づくり本部(推進室)」というのはまさに看板倒れというしかないだろう。
ちなみに他の国の状況はどうだろう。
赤旗 2017.3.20付 |
193カ国中106位ということだが、途中で稲田朋美が辞任したので、さらに順位は落ちたはず。
そして今回の安倍内閣の女性閣僚は1人。
何位になるのかわからないが、上記記事の2017年版を参考にすれば、女性閣僚がいないのは13カ国だったことから、193カ国中180位ということになる(あくまで参考)。
次のような新しい記事もある。
赤旗 2018.6.8付 |
安倍が本部長だから、やったふりをして何もやっていないのだろう。
政治分野ではないが、実際次のような報告もある。
赤旗 2018.6.14付 |
なぜ片山さつきなのか。
たった1人の貴重な女性閣僚がよりによってなぜ片山さつきなのかということだ。
片山さつきについて詳しく知っているわけではない。
彼女の元夫が舛添要一だったことも今回調べていて初めて知ったぐらいだ。
片山さつきは小泉純一郎が郵政民営化を問う選挙で、小泉に反抗する自民党候補者を落とすために放った多くの刺客の一人として政界にデビュー(?)した。
いわゆる小泉チルドレンのはしりで、刺客の役割を立派に果たして当選した。
この頃から自民党はわやくちゃな政党に転落していく。
なんせ小泉のスローガンが「自民党をぶっつぶす」だったのだから。
総選挙 2009.7.31 浜松市にて |
その彼女のイメージが私に強烈に焼き付いた。
全国で行われるさまざまな選挙において、有権者に土下座して投票依頼するという運動がどのぐらい行われているのだろうか。
私は見た記憶はないが、けっこうあるのかもしれない。
土下座してお願いする選挙運動というのはいったいどういうものだろう。
土下座というのはまちがいを起こしたときに心から謝罪するときの(あるときは屈辱的な)態度であり、また、無理難題を何とか認めてもらうときの卑屈な行為だ。
どうしてもまっとうな選挙運動とは思えない。
ふつうの有権者ならば、このような候補者には侮蔑の眼を投げかけるのみで決して投票しないだろう。
そして彼女は選挙区最下位で落選した。
片山さつきには、どうしてもこの卑屈で品性下劣なイメージがつきまとう。
清廉潔白な政治家の対極にいるのが彼女だ。
次回からは参議院の比例区に鞍替えし、2010年の選挙で自民党内トップで当選している。
2016年の2回目の参院選でも党内で3位当選し今にいたっている。
このトップ当選や3位当選については私にはわけがわからないので触れない。
国会議員としてさまざまな問題に意見を表明するのは当然だが、彼女の意見はほとんどが支離滅裂だ。
東京大学法学部を卒業し、財務省のエリート官僚の道を歩き、法学士や行政書士の免許を持っていることがにわかには信じられないほどのノーテンキな女だ。
彼女のイメージをさらに悪化させたのは、2012年に起こった芸能人親族生活保護受給騒動
だ。
何の問題もない生活保護受給を鬼の首を取ったように大騒ぎして芸能人母子を責め立てた。
私の中で、この女は人間として許しがたい最低なやつだと確定した。
今年の7月の西日本豪雨。
各地に避難勧告が出されている最中に片山さつきが赤坂自民亭をツイートし、ネットで大炎上した。
この「赤坂自民亭」集合写真は西村康稔官房副長官のツイッターから |
この宴席には上川陽子法務大臣も出席していて、翌日にオーム真理教死刑囚の死刑執行が7人まとめて行われる、つまり、死刑執行のゴーサインを出した張本人がその後宴会の女将として楽しんでいるというおぞましい光景もあるのだが、それはここでは触れない。
このような、とにかく最低極まる下劣な女が国会議員であり、しかも内閣の紅一点(?)の閣僚として存在している。
世界中に日本の恥をさらしていることに気づかないのだろうか。
では他にどんな立派な女性議員が自民党にいるのかというと返答に困るのだが。
この女は案の定すぐに馬脚を現し、口利き疑惑で野党から追及を受けている。
また、政治資金収支報告書未記載の問題が次々発覚し、これが最後といいながら新たに出てくるということを繰り返している。
底なしの最低女だ。
しかしよく考えてみると、安倍政権には似つかわしい閣僚だともいえる。
安倍が「適材適所」「全員野球内閣」といって任命したのだから、これが安倍政権の真実の姿なのだ。
なんという醜悪さだろう。
佐渡ドンデン山シリーズ⑨ ◆ センブリ(リンドウ科センブリ属)◆
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