他にも民政局の憲法草案づくりにはとても興味深いものがあるが、次の段階に移る。
安倍は「たった8日間で」と蔑み、鈴木昭典は「密室の9日間」と題し、わずか1週間という表現も散見されるが、事実は下記のように進んだ。
1946年 | 2月1日 | 毎日新聞が日本政府の憲法改正案をスクープ。 |
| 2月3日 | ホイットニーがマッカーサー三原則を民政局幹部に提示し、憲法草案づくりを指示。 |
| 2月4日 | 民政局員が集められ、組織の発表と草案づくりのスタート。 |
| 2月11日 | 前文と全92条のGHQ案ができあがる。 |
| 2月12日 | ホイットニーが加わって、運営委員会による最終検討と修正。 |
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白洲次郎 |
どこを起点とし、どこを終点とするかによって期間は変わる。
鈴木は2月4日から2月12日までの9日間をとったわけだが、私は2月3日を起点とすべきだと思っている。
つまり「密室の10日間」というわけだが、はっきりいってどうでもいいような気がする。
上記時系列には書いていないが、毎日新聞に憲法改正案をスクープされた日本政府はびっくりし、それは政府案ではないと弁解した。
それではすぐにでも政府案を出しなさいとGHQに言われ、日本政府は2月8日に政府案(スクープされたものと大差のない代物)を提出している。
GHQの方は、政府案が期待できるものではないとわかっていたので、2月8日を待たずに草案づくりを始めたわけだが…。
そして2月13日、民政局の4人(ホイットニー、ケーディス、ハッシー、ラウエル)は、できあがったばかりのGHQ草案をもって、外務大臣官邸に向かった。