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2020年5月10日日曜日

日本国憲法の誕生 ㉑あの鈴木安蔵が憲法改正草案要綱を批判

朝日新聞 1946.3.7付
⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会」と「⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛」からわかるように、在野の憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」が、3月7日に新聞発表された政府の「憲法改正草案要綱」にもっとも親和性がある。

しかし、その憲法研究会の中心メンバーであった鈴木安蔵は発表された政府の「憲法改正草案要綱」にかなり批判的であった。

新聞発表2日後の9日には「読売報知新聞」に3回にわたって長文の批判的見解を発表している。
この読売報知新聞の記事をなんとしても読みたかったのだが、私の調査能力の及ぶところではなかった。
ということで、またまた古関彰一先生の「日本国憲法の誕生」から引用させていただく。
(新聞に連載された鈴木安蔵の見解は)長大な内容となっているが論点をあげればそれは以下のごとくである。
まず第一に天皇の即位について「その都度議会の、国民の承認ないし委任をうくべきものであることを規定」していない。
第二に人権に関し、「民族人種による差別」禁止条項がない、経済的不平等の是正に関する規定がない、勤労者の生存権規程が具体的でない、「女性の解放・向上のためには、憲法上に、さらに徹底的な具体的規定がのぞましい」等、その後40年間の憲法上の重要な争点となった問題を、草案要綱発表の翌日にまとめ上げたことは、ただ脅威としか表現のしようがない。
なかでも戦後30年を経た頃から問題となり出した「外国人の人権」「女性の人権」(しかも当時にあっては「婦人の解放」という言葉はあっても「女性の解放」という言葉はほとんど使われなかったにもかかわらず)を、それをいずれも「日本化」の中で政府が削りとった人権を、ピタリと指摘していることに気付くのである。
晩年の鈴木安蔵
古関が「脅威としか表現のしようがない」と絶賛する鈴木安蔵だが、Wikipediaを見ると、

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

とあるからわからないものだ。

前回ふれた各政党の反応などをふくめ、古関彰一は次のような興味深い結論を出している。
さてこのようなさまざまな反響を図式化すると、つぎのようなことが言えないだろうか。
憲法改正に対してはやくから関心を持ち、明治憲法の大幅あるいは全面的な改正を考えていた団体・個人は政府の草案要綱に対して批判的であり、逆に明治憲法のせいぜい小幅な改正を考えていた団体・個人は政府に草案要綱を支持した、と。
ただいま現在の日本国憲法に対する団体・個人の評価はどうだろう。

明治憲法を懐かしみ、「日本をとりもどそう」「米国に押しつけられた醜い憲法」などと口を極めて現憲法に悪罵を投げつけているのは、あのとき憲法改正草案要綱を支持した流れをくむ安倍一統靖国派。

天皇条項を含めてすべての条文を守ると公言するのは、あのとき憲法改正草案要綱に堂々と反対した共産党。
鈴木安蔵は憲法改悪阻止各界連絡会議(憲法会議)結成に参加し、初代代表委員に就任(1965年)し、護憲運動のリーダーとして活躍(1983年没)。

わからんでもないが、ちょっとえーかげんにせーよとも言いたくなる。

枢密院における幣原首相の憲法草案説明

今回投稿の本題から少しはずれるが、幣原首相は3月6日の憲法改正草案要綱をマスコミに発表した後、3月20日に枢密院においてこの間の経緯を説明している。
本来、このような案件を枢密院にはからずに公表するなどは枢密院に対する重大な背信行為であったので、釈明が必要だったのだ。

国立国会図書館の資料を見れば、4点にわたっての説明要旨が記録されていて、誠に簡潔にして要点を得たものになっている。
そのうちの4項目目を全文紹介する。
*カタカナはひらがなに、一部の漢字はカナに変えるなど、読みやすくするための修正をした。

(四)なお申し添えたきは2月末頃からの国際情勢である。
その後の新聞電報によれば、極東委員会が日本の今回の憲法草案が突如発表されたることに対し不満の意をもらしているようである。
ご承知の通り極東諮問委員会は改組されて極東委員会と対日理事会の2つになったが、極東委員会というのはあたかも国内における国会のごとく極東問題処理に関してはその方針政策を決定する強力なる機関であり実力を有するものであって、これが2月26日ワシントンに開催され、その際日本憲法草案の発表に関する論議があり、マッカーサー司令官の態度を非難するがごとき様子が見えたのではないかと思う。
マッカーサー司令官はそのために急に憲法草案の発表を急ぐことになったもののごとく、マッカーサー司令官はきわめて秘密裡にこの草案の取りまとめが進行し、全く外部にもれることなく成案を発表しうるにいたったことを非常に喜んでいる旨を聞いた。
これらの情勢を考えると、今日かくのごとき草案が成立を見たことは日本のために誠に喜ぶべきことで、もし時期を失した場合にはわが皇室のご安泰の上からもきわめておそるべきものがあったように思はれ、危機一発ともいうべきものであったと思うのである。

このブログのシリーズで参考にした学者やジャーナリストなどの著作では、すべてがマッカーサーが憲法草案作りを急いだ理由として、極東委員会から天皇を守るためとしている。
そのことを当時の首相である幣原自身が枢密院への報告ではっきりと述べているのはたいへん興味深い。

安倍はこのようなことをわかった上で、現憲法をGHQの素人集団が8日間で作った代物だの押しつけられただのみっともないだのといっているのだろうか。



 五島列島シリーズ㉖  ◆ オランダカイウ(サトイモ科オランダカイウ属)◆

オランダカイウ 2018.5.7撮影 福江島奥浦
福江島北東端の奥浦というところに潜伏キリシタンの墓碑群があって、そこに咲いていた。白い花のように見える部分はサトイモ科特有の仏炎苞。その中央にある黄色の柱状のものが花。南アフリカ原産で江戸時代に渡来、野生化も進んでいる。エチオピアの国花らしい。別名カラーともいう。
ここまで書いて、半年前にこのオランダカイウをこのブログで紹介していることがわかった。こっちの方がピントがきちんと合っているので、このまま載せておく。

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