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2021年7月3日土曜日

日本国憲法の誕生 ㉒日本国憲法を日本国民の自由な意思で産み出すための普通選挙<1>

1946年3月6日、各新聞を通じて政府から憲法改正草案要綱が発表されたわけだが、もちろんこれで日本国憲法が誕生したわけではない。

憲法改正草案要綱の憲法前文冒頭は次のようになっている。

日本国民ハ、国会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル代表者ヲ通ジテ行動シ、我等自身及子孫ノ為ニ諸国民トノ平和的協力ノ成果及此ノ国全土ニ及ブ自由ノ福祉ヲ確保シ、且政府ノ行為ニ依リ再ビ戦争ノ惨禍ノ発生スルガ如キコトナカラシメンコトヲ決意ス。乃チ茲ニ国民至高意思ヲ宣言シ、国政ヲ以テ其ノ権威ハ之ヲ国民ニ承ケ、其ノ権力ハ国民ノ代表者之ヲ行使シ、其ノ利益ハ国民之ヲ享有スベキ崇高ナル信託ナリトスル基本的原理ニ則リ此ノ憲法ヲ制定確立シ、・・・
この要綱の憲法前文冒頭は、最終的に同年11月3日に公布された時は次のようになった。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する

2003年7月に衆議院憲法調査会事務局が発行した「日本国憲法前文に関する基礎的資料」という大部の資料がある(本文のみで101ページ)。

この資料によれば、この公布された最終形の憲法前文冒頭の文章は、「日本国民は、…行動し、…確保し、…決意し、…宣言し、この憲法を確定する」という構造であって、すべて「確定する」にかかるということだ。

つまり、日本国民がこの憲法をつくったということ。

この解釈は公布された最終形の文章では自明のような気がするが、最初に発表された草案要綱においてもそのように解するべきだろう。

なお、この基礎的資料では、わざわざ「前文にいう『日本国民』とは?」という見出しを最初にもってきて、

「日本国民」とは「日本人」の全体を指すのではなく、天皇を除いた日本「国民」を指す。

と解説している。
この憲法は天皇を除いた日本国民が作ったんだよということをことさらに強調していて、ちょっとおかしい気もするが、それはポツダム宣言を意識しているからだ。

日本はポツダム宣言を受諾という形で無条件降伏した。
したがって、日本はポツダム宣言に縛られているのだが、それは同時に日本を占領する連合国をも縛っている。

13項目あるそのポツダム宣言の第12項目には次のように書いてある。

前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

つまり、日本人が自由に論議し、その結果平和的で責任ある政府を日本人自身が樹立することをポツダム宣言は日本に要求し、それが達成できれば占領軍はただちに日本より撤収しなければいけないと明確に書いてある(現実はそうなっていないが)。

ところで、日本が無条件降伏したというが、この意味はやや複雑だ。
ふつう、降伏する時に降伏する側が条件をつけないことを無条件降伏というのではないかと思うのだが、あの戦争の場合、降伏する相手、つまり連合国側がポツダム宣言という条件をつけている。
そして、日本側はポツダム宣言を受諾するという条件で降伏したと考えれば、これは無条件降伏ではない。
しかも、そのポツダム宣言とは日本を平和的な民主国家にし、それが達成できれば占領はただちに終了するという条件であって、降伏する側に至れり尽くせりの条件だからおもしろい(近代以後日本が戦争によって得た領土を放棄するという項目は賛否あると思うが)。

話がずれそうになったが、要するに、ポツダム宣言により、日本国憲法は天皇を除く日本国民の自由なる意思のもとに作られなければいけないのだ。
これが連合国の国際公約であり、日本政府の義務でもあるからだ。

したがって、1946年3月6日に公表された憲法改正草案要綱で憲法が誕生したわけではない。
この要綱はGHQの民政局と佐藤達夫法制局部長という1人の日本人の合作であって、日本国民の自由なる意思の結果とはほど遠い。
もちろん、これまでの回で述べたように民政局の作成した原案には自由民権運動以来の日本の質の高い民主的精神が流れ込んでいるし、戦争放棄の第9条は幣原喜重郎の発案ということはあったとしても。

そこでGHQと日本政府がしなければいけなかったことは、普通選挙を行い、国民を代表する国会を開設し、そこでの自由な論議によって憲法を確定していくことだった。

「普通選挙」の定義もあいまいな点があって、ブリタニカでは「身分、財産、納税額、学歴
性別、民族などにかかわらず、国籍を有する成年全員の選挙権、被選挙権を認める選挙制度」とあって、まあこれが一般的な解釈なのだろう。

しかし、日本では1925年(大正14年)に普通選挙法が成立している。
だが、ここでいう普通選挙とは、満25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられたというもので、女性は相変わらず政治から閉め出されていた。
ちなみに、それ以前は一定額以上の税金を収めている25歳以上の男子のみという制限があった。

女性もふくめて20歳以上のすべての国民が参加する完全普通選挙は、GHQの主導により、1945年(昭和20年)12月に改正衆議院議員選挙法(のちの「公職選挙法」)が公布されてからである。

まったくもってマッカーサーの日本民主化への情熱はすさまじかった。

女性に初めて参政権が認められた1946年の総選挙。
投票所の名簿照会に女性有権者が列をなした=大阪市北区

かくして、戦後初の民主的な普通選挙による衆議院選挙が1946年4月10日に行われた。
日本国憲法誕生の最後のステージの始まりだ。



◆ ムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科サギゴケ属)◆

ムラサキサギゴケ 2015.4.12撮影
近くの河原。Wikipediaにはハエドクソウ科とあり、サギゴケ科とあるWEBもあり、図鑑にはゴマノハグサ科とあったりしてよくわからない。どちらにしても鳥のサギを思わせる花がこれほどコケのように一面に広がっている光景は見応えがある。

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