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2017年12月29日金曜日

安倍首相はやはりバカだった


以前「安倍晋三は本当にバカなのか」という投稿をしたが、9日前の次のような赤旗記事を目にして、こいつは本当にバカなんだなと思った。

赤旗2017.12.20付
「トランプ氏は大変信頼できる」と言い切る首脳は世界中で安倍ぐらいのものだろう。
アメリカ史上最悪の大統領といえるトランプを大変信頼できるとし、「半世紀を超える日米同盟の歴史において、首脳同士がここまで濃密に深い絆で結ばれたことはない」と誇るとは、もうあまりにバカすぎて言うべき言葉がない。

日本国憲法の誕生 ⑮民政局の活動<4> ベアテ・シロタと女性の人権


ベアテ・シロタ
日本国憲法草案作成のための民政局組織では、「人権に関する小委員会」として、ピーター・K・ロウスト、ハリー・エマーソン・ワイルズ、ベアテ・シロタの3人がメンバーになっている。
そもそもベアテ・シロタがこの組織に入っていること自体が異色だ。

女性の民政局員としては、運営委員会に所属したルース・エラマンが目を引くが、彼女の役割は草案づくりの頭脳というより、有能な秘書であった。
有能な秘書という言葉では誤解を生じるぐらい有能であった。
彼女がいてこそ当時の民政局の活動は歴史に残ったといってもいいぐらい有能であった。

2017年12月14日木曜日

南京事件80年 笠原十九司に聞く(赤旗から)

今から80年前の1937年は、日中全面戦争のきっかけになった盧溝橋事件(7月7日)、それに続く第2次上海事変(8月13日)、そして南京事件(南京城陥落は12月13日、南京入城は12月17日)と日本が本格的に中国侵略への牙をむいた忘れられない年だ。

今日の赤旗には「南京事件80年」ということで、都留文科大学の笠原十九司名誉教授の長い記事が載った。

以下、全文転載する。
*改行等、WEBで読みやすいように私が編集している。
文中の赤の太字も私が編集した。

 南京事件80年  (赤旗 2017.12.14付 から転載)

日中戦争が全面化し、日本軍が中国の当時の首都・南京で捕虜や一般民衆を大量虐殺した南京事件の発生から80年たちます。
日本では今なおこの事件を否定する言論がふりまかれています。
加害の歴史をどう受け継いでいけばいいのか。
南京事件研究の第一人者、笠原十九司・都留文科大学名誉教授に聞きました。
(聞き手・田中佐知子)

2017年11月4日土曜日

日本国憲法の誕生 ⑭民政局の活動<3> 天皇条項

マッカーサーノート(三原則)の第1項は天皇に関することだった。

マッカーサーノート第1項
天皇は、国の最高位の地位にある。
皇位は世襲される。
天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする。

昭和天皇ヒロヒト
「最高位」は、「ヘッド」の訳であり、従来は「元首」と訳していた。

マッカーサーノートが民政局長のホイットニーから民政局主要メンバーのケーディスら3人に提示されたのが1946年2月3日だったが、それに先立つ同年1月1日、いわゆる天皇の「人間宣言」が行われている。

この詔書の人間宣言にあたる部分は最後の数行であり、以下の通りである。
「新日本建設に関する詔書」(いわゆる「人間宣言」)より抜粋
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

2017年10月18日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑬民政局の活動<2> 戦争放棄

総選挙たけなわである。
一昨日の赤旗に次のような記事が載った。
赤旗2017.10.15付
あの前川喜平が次のように述べている。

憲法9条は人類の知恵の積み重ねのなかで生まれたもので、人類史のなかで燦然と輝いています。人類の憲法と言える9条をいかに大事にしていくかが問われています。

2017年9月22日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑫民政局の活動<1> 憲法前文とハッシー

ケーディスの回想によると、ハッシーは前文をやらせてほしいと自分から申し出たことになっている(鈴木昭典「密室の九日間」)。

草案作成のための組織図を見ると、1人で担当した分野はリゾーの「財政に関する小委員会」とハッシーの「前文」のみだ。

2013年9月3日の「未来ビジョン」(リンクはユーチューブ)という放送で、安倍晋三が、

「日本は戦争に負けましたから、敗戦国は詫び状文を書けと。しかも自分で書いたんじゃないんですよ。これはアメリカの25人のうちの1人がですね、たった1人の人物がこれを書いたんですよ」

と息巻いている「1人」とはハッシーのことだ。

2017年9月17日日曜日

日本国憲法の誕生 ⑪民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<5> 民政局の優秀なメンバーとその組織

2007年のNHKスペシャルから
マッカーサーは1946年2月1日に毎日新聞にスクープされた政府案(松本乙案)を見て、極東委員会の介入が始まる前に、日本国憲法草案を秘密裡にGHQがつくってしまおうと決意する。

マッカーサーの意を受けたホイットニー民政局長は、2月3日、ケーディス、ハッシー、ラウエルを部屋に呼び、憲法草案を民政局がつくるよう指示。
そして、マッカーサー・ノートとよばれる三原則を呈示する。

2017年9月13日水曜日

Jアラートはオスプレイが飛ぶときにこそ発せよ!



2017年8月29日、午前8時半頃、録画しているNHK朝ドラを見ようとDVDレコーダーの録画リストを開くと「ひよっこ」がない!
また何かミスって録画できなかったのかと調べているうちに、NHKの生放送で「朝イチ」の時間帯なのに他の報道番組をしていることに気づいた。
中国新聞 2017.8.30付
どうやら、また北朝鮮がミサイル発射実験をして、それが北海道上空を飛び越え太平洋に落下したらしい。
こんなことで通常番組を打ち切り、さも大災難が起こったかのような報道のばかばかしさに呆れ果てて、昼の朝ドラ再放送を予約してテレビを切る。

2017年9月8日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑩民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<4> 開戦直後から始まったアメリカの戦後対日政策

鈴木昭典
今回はほとんど鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(以下「密室の九日間」)第三章の要約であったり引用である。

国務省・極東班

信じられないようなことだが、ルーズベルトは対日戦が始まると同時に戦後の対日政策立案を国務省に指示している。
1942年8月には、国務省内に極東班という組織が作られた。
目的は日本の戦後処理についていかなる方針で臨むかの研究である。

極東班は9人の極東・日本の専門家で構成されたが、主なメンバー以下の通り。

2017年8月30日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛

鈴木安蔵
鈴木安蔵は、京都大学在学中にマルクス主義にひかれ、1926年(大正15年)京都学連事件で検挙(治安維持法違反第1号)、豊玉刑務所に2年服役している。

服役中に憲法研究に傾倒し、出獄してからも吉野作造に励まされたりして、憲法研究に拍車がかかった。
1933年(昭和8年)、「憲法の歴史的研究」を発表したが、発禁処分となり、学会からは異端児扱いされる。

吉野作造のアドバイスもあり、憲法研究の過程で自由民権運動に大きな関心を持つ。
ETV特集では「国家は人民の自由を守るためにこそある。そのために憲法が必要だと植木は著書で明快に論じていた」とナレーションが入って、鈴木は植木枝盛に強くひかれたとある。

2017年8月25日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会

1945年の暮れから翌年にかけて、政党を含む民間の憲法草案がいくつも世に発表された。
そのどれもが政府の松本蒸治案に比べればすぐれているわけだが、なかでも、憲法研究会のものが抜きんでていたようだ。

ちょうど10年前の2007年、つまり日本国憲法施行60周年の年、NHKは2本のすぐれた憲法特集番組を製作した。
ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」とNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」だ。
2007.2.10放送 ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」
NHKスペシャルの方は時間的にも時代状況的にもやや広い見地から憲法誕生までをまとめたものであるのに対し、ETV特集は「憲法研究会」に焦点をあてて製作している。
この2本の番組を見てさえいれば、安易に「押し付け憲法」論に与することはないだろう。
果たして安倍はこれを見たかどうか。

2017年8月8日火曜日

日本国憲法の誕生 ⑦民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<1> 民間憲法草案

角川ソフィア文庫
極東委員会の発足が2月16日に迫るなかで、マッカーサーが日本政府を見限り、GHQ民政局に憲法草案を作成するよう命じたのが2月3日。
その草案ができあがったのが2月10日という説があって、これが安倍も言っている「たった8日間で…」の根拠なのだが、じっさいには2月11日まで作業は持ち越している。

つまり、9日間で草案はできたのだが、どちらにしても「たった9日間で…」ということで、ひじょうな短期間であることにはちがいない。
*鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(角川ソフィア文庫)では、2月4日から2月12日の9日間としている。

民政局のメンバーが安倍の言うように「全く素人の人たち」ではないにしても、いや、むしろまれに見る優秀なメンバーだったとしても一国の憲法の草案を作り上げるには無理があるのではないか。

もちろん民政局は不眠不休に近い形でこの9日間を草案づくりに没頭した。
それにしても、と誰しも思うが、その背景にはそれを可能にしたいくつかの要因があった。

2017年8月5日土曜日

日本国憲法の誕生 ⑥GHQは憲法草案作りをなぜ急いだか

マッカーサー
マッカーサーが日本政府を見限ってGHQ民政局に憲法改正案作成を命じたのが2月3日。
「玉音放送」(8.15)からもミズーリ号艦上での降伏文書調印(9.2)からも半年もたっていない。
もう少し日本政府を説得して、せめてあと半年ぐらい待てなかったのだろうか。
ポツダム宣言履行のためには、マッカーサーだけでなく、アメリカ本国も日本の憲法改正は日本国民の自由意思によって発議し決定されるべきだと考えていたのに。

そこには、一般的にはあまり知られていない極東委員会の存在があった。

2017年8月3日木曜日

日本国憲法の誕生 ⑤日本政府の改憲草案 その2 松本蒸治

幣原喜重郎
前回の近衛文麿と佐々木惣一の憲法案は、政府案とはいえなかったし、できあがったものも価値のないものであった。
近衛の悲惨な最期をどう考えるかはここでは触れない。

近衛が内大臣府御用掛として憲法改正の作業を始めた日は10月11日で、この日は新しく就任した幣原喜重郎首相がマッカーサーに会見し、そこで「民主化の5大改革」を指令された日でもある。
このとき、マッカーサーは次のような見解を述べている。

「ポツダム宣言を履行するにあたり、日本国民が何世紀もの長きにわたって隷属してきた社会の秩序伝統を矯正する必要があろう。日本憲法の自由主義化の問題も当然この中に含まれるであろう」

2017年7月28日金曜日

日本国憲法の誕生 ④日本政府の改憲草稿 その1 近衛文麿と佐々木惣一

この期に及んでも驚くべき旧態依然の支配層

東久邇宮内閣 1945.8.17~10.9
ポツダム宣言を受諾して無条件降伏(?)したはずの日本ではあるが、その支配層の絶対主義的天皇制に洗脳されきった頭は驚くばかりの頑迷固陋さだった。

そもそも8月15日の天皇による「玉音放送」からにして、「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」と勝手なことを言っている。
同日付の内閣告諭も「今や国民の斉しく向かふべき所は国体の護持」「大御心に帰一し奉り、必ず国威を回復し父祖の遺託に応えむことを期す」だ。

まるっきりポツダム宣言の意味を解していない。
侵略戦争や暗黒政治への反省はみじんもない。

2017年7月24日月曜日

日本国憲法の誕生 ③ポツダム宣言受諾

ブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」から
前回2回まで安倍の低次元の憲法観について述べたが、安倍に限らず、保守的、右翼的改憲論の一番は、現憲法がGHQに押しつけられたものだからという論だろう。
だから彼らにとっては改憲も「日本を取り戻す」の一つになる。
このことが皮肉にも彼らのアキレス腱になっている。
つまり、アメリカ様いいなりの彼らが憲法だけアメリカに押しつけられたという愚かさだ。

以後、このシリーズは、この「押しつけ論」を論破するつもりで書いていきたい。
と私がえらそうなことを言わなくても、すでに多くの先達が論破しつくしているのだが。

2017年7月20日木曜日

日本国憲法の誕生 ②安倍晋三の憲法観 その2

ユーチューブに「政治家と話そう」というチャンネルがあって、2012.12.14に安倍晋三が自民党総裁として出演している。
その31分ちょっとの動画から1分弱を抽出したものが下の動画だ。(ユーチューブで見る


この部分をテキスト化すれば次のようになる。

2017年7月19日水曜日

日本国憲法の誕生 ①安倍晋三の憲法観 その1

2012年総選挙以来の安倍キャッチコピー「日本を取り戻す」は次のように着々と進んでいるようだ。

かつての日本   とりもどしたもの 備 考   
愛国心 教育基本法改定 2006.12.15 第1次安倍内閣で成立
軍機保護法 特定秘密保護法 2013.12.6 成立
大本営 国家安全保障会議(NSC) 2013.12.4 成立
軍需産業 武器輸出原則解禁 2014.4.1 「防衛装備移転三原則」閣議決定
海外での武力行使 戦争法(集団的自衛権行使等) 2016.9.19 成立
教育勅語 教材として容認(条件付き) 2017.3.31 閣議決定
軍事教練 体育武道で銃剣道を採用可 2017.3.31 文科相官報告示
治安維持法 共謀罪(テロ等準備罪) 2017.6.15 成立
「修身」教育 道徳の教科化 小学校2018年度から 中学校2019年度から
*まだあったような。

残るは宿願の憲法改正(改悪)か。

2017年7月5日水曜日

都議選 がんばった共産党 裏切りだらけの民進 自虐の自民 卑劣きわまる公明党

7/2投開票の都議選が終わった。
都民ファースト圧勝、自民惨敗は大方の予想通り。
共産党は2議席増の驚きの大健闘。

というのも、前日に党別の予想獲得議席数をいくつかネットで調べたのだが、共産党はだいたい11~12議席。
マスコミは「都民ファースト vs 自民」のなかで共産は埋没と報道。
現有17議席維持すらできないだろうと私も思っていた。
赤旗 2017.7.5付
私がネット上で見た範囲では、共産党の獲得議席数予測の最大は15±4というもの。
つまり、結果はこの15±4の最大値19となった。

2017年6月27日火曜日

彼我の男子生徒の行動・思考ギャップ 半袖とスカート

2~3日前のテレビニュースを見て驚いた。
イギリスの男子生徒たちがスカートをはいて登校している。
暑い季節なのに半ズボン禁止の校則に抗議してとのことだ。
参考記事

何もこの突拍子もない男生徒たちの行動に驚いたのではない。
元々スコットランドでは男がスカートをはくのは伝統だ。
(この男生徒たちの学校はスコットランドではなく、イギリス南西部のエクスター)

2017年3月11日土曜日

小さき人々の幾千万の「原発さえなかったら」の声が聞こえるか

柳美里
作家の柳美里が月に一度赤旗に「南相馬 柳美里が出会う」というエッセイを書いている。

柳美里といえば、過去に自著「石に泳ぐ魚」のモデルとされた人物からプライバシー侵害で訴えられる事件があったりして、あまりいい印象を持っていない。
作品も芥川賞受賞作「家族シネマ」しか読んだことがなく、それも内容はほとんど覚えていない。

一度抱いた悪印象はなかなか拭えないのだが、それでも東日本大震災、福島原発事故に対して真摯に向き合い、南相馬に転居してまで活動を続ける姿をみていると、ちょっと見直したりもする。

その柳美里の直近のエッセイの一部だ。
赤旗 2017.2.27付 柳美里のエッセイから

2017年3月6日月曜日

映画「この世界の片隅に」とNHK朝ドラ

映画「この世界の片隅に」から
アニメ映画「この世界の片隅に」がキネマ旬報1位になったり、日本アカデミー賞でも最優秀アニメ映画になったりと、この1年間の映画界の話題をさらった観がある。
私も観たが、いい映画だ。
しかし、そんなに大騒ぎするほどのものだろうか(失礼)。

私に映画の鑑賞能力がないといってしまえばそれまでだが、事実、「東京物語」のブログ投稿では、私の感性が試されていると痛烈なご批判をコメントでいただいた。
「東京物語」は、なぜ世界一(しかも映画史上)なのかだけでなく、どうしても好きになれない映画だ。

それに比べれば「この世界の片隅に」はいい映画だと思う(が、2回観ようとは思わない)。

2017年3月1日水曜日

語るに落ちた稲田防衛相、そして自民党の「慰安婦像」は?

稲田朋美防衛相の国会答弁があまりにひどい。
なかでも南スーダン情勢についての次の答弁は最悪。

2017.2.9 赤旗記事の一部 赤線は筆者
稲田防衛相
毎日新聞WEBから
南スーダンで戦闘行為があったことになると、自衛隊の派遣が憲法違反になるから「戦闘」という言葉は使わないと稲田は言っている。
つまり戦闘があったことを言わずもがなに語っている。
これを「語るに落ちる」という。

2017年2月23日木曜日

「ホースフレンド」 馬の幸せ

2016年12月24日に放送されたBS1スペシャル「ホースフレンド 人と馬 ともに歩んだ300日」をみて、馬の幸せについて考えさせられた。

「ホースフレンド 人と馬 ともに歩んだ300日」から
――ここから転載(「もっとNHKドキュメンタリー」から)

競馬レース中の落馬をきっかけに脳や身体に障害を負った元中央競馬の騎手・石山繁さん。今、東京パラリンピックの馬術競技での出場を目標に、北海道の小さな牧場で練習を続ける。石山さんの練習相手はリバイブ。かつては競走馬として期待されていた馬だ。しかし成績が伸びずここに引き取られた。リバイブも石山さんとの練習を通し、乗馬馬として復活を目指す。夏から秋へ…北海道の美しい自然の中で再生の道を歩む人と馬の物語。

転載ここまで――

2017年2月3日金曜日

「ポスト真実」と安倍内閣支持率

安倍内閣の支持率が依然として高い。
下のグラフは昨年のNHKの世論調査で、ほぼ50%前後で推移している。
今年の1月の調査でも「支持する」は55%だ。
局によっては60%を超える結果も出ている。
NHK ONLINE から
あのバカで大ウソつきの安倍がどうしてこのようにいつまでも支持され続けるのか。
支持している人の頭の構造はどうなっているのだろうか。
などと考えていたら、日本共産党、志位委員長の党大会での報告に出会った。