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2017年9月8日金曜日

日本国憲法の誕生 ⑩民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<4> 開戦直後から始まったアメリカの戦後対日政策

鈴木昭典
今回はほとんど鈴木昭典著「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(以下「密室の九日間」)第三章の要約であったり引用である。

国務省・極東班

信じられないようなことだが、ルーズベルトは対日戦が始まると同時に戦後の対日政策立案を国務省に指示している。
1942年8月には、国務省内に極東班という組織が作られた。
目的は日本の戦後処理についていかなる方針で臨むかの研究である。

極東班は9人の極東・日本の専門家で構成されたが、主なメンバー以下の通り。

ジョージ・ブレークスリー・・・クラーク大学教授。リットン調査団のメンバーでもあった。
ヒュー・ボートン・・・東京大学で学んだこともあるコロンビア大学助教授。
ジョン・マスランド・・・スタンフォード大学助教授。
キャボット・コビル・・・在日米大使館員。
ロバート・フィアリー・・・グルー駐日大使の個人秘書だった。

この極東班が1943年の夏までに提出した文書には次のようなものがある。

文書番号 テーマ 日付
対日目的
T357
 日本の戦後処理に適用すべき一般原則
1943.7.28
日本政治、降伏条件
T320
 日本政府の行政と機構
1973.5.22
T315
 日本天皇の地位
1943.5.23
T358
 日本―最近の政治的発展
1943.7.28
T381
 日本―戦後の政治問題
1943.10.6
T230
 日本と1919年のパリ会議における人権平等問題
1943.2.3
T355
 日本の連合国への降伏条件
1942.9.25
T366
 対日降伏条件の政治的・経済的側面
1943.9.27
日本経済
T341
 海外従属地域喪失の日本への経済的影響
1943.6.21
T348
 日本経済  
T349
 日本経済―その要約
1943.6.26
T354
 戦後日本経済の考察
1943.7.21
T392
 戦前および戦後における日米貿易
1943.10.5
T393
 戦後日本経済の再調整
1943.10.9
T470
 日本産業における財閥に対する政策―戦前における構造と力および戦時の発展
1944.3.25
T510
 日本は自立できるか
1944.7.26
T394
 日本―人口構造と動向
1943.6.22
*五十旗頭真著「米国の日本占領政策」から鈴木昭典が「密室の九日間」で作成した表をさらにシンプルにしたもの。

たとえばT357の「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」(1943.7.28)を鈴木昭典はその著書「密室の九日間」で次のように紹介している。

――ここから転載(鈴木昭典「密室の九日間」から)

たとえば、日本が和解するための条件として、軍事占領地の満州はもとより、領土として持っている朝鮮や台湾は、「国家と民族自決の原則」に上に立って独立すべきであるとし、軍事力については、「日本が再び国際平和の障害になることを防ぐ」ことを絶対的な原則に置いている。

そして、その原則の実現のために、「日本の軍備撤廃」や「重工業の抑制」「常設の国際軍事査察組織の設立」などを考慮するべきだと書かれている。

その条件を満たすため、政治・経済については、やむを得ず厳しい立場をとることになるが、「日本国民が繁栄できないような状況に追い込むべきではない」として、日本が平和的である限り、「世界の天然資源の利用や、貿易への平等な参加の機会は与えられるべきである」と、あたたかい気遣いすら感じられる。

それから言論の自由と憲法改正、教育改革にも触れて、文化国家のデザインもほの見える。

そして「究極の目的」は、「国際的な組織による効率的な防衛制度によって守られた、平等な世界のファミリーの一員として復活してほしい」と結ばれている。

この文書は、ブレークスリー博士本人が直接書いたものだが、その卓見には敬服するばかりだ。

転載ここまで――

憲法については、T381「日本―戦後の政治問題」(1943.10.6)で「軍部が二度と優位を奪えぬよう、日本の国内政治は再編成されねばならない」として憲法改正を主張し、その骨格は次のようなものである。

 ①内閣の強化と軍部の抑制
 ②議会の強化
 ③天皇制の存続と改正
 ④報道の自由と権利章典(基本的人権の尊重)

GHQ民政局の書いた草案の原則が、この時点ですでに書かれている。

戦後計画委員会(PWC)

終戦後の日本占領政策をより具体的に作成する必要性が高まってきた1944年2月、国務省には戦後計画委員会(PWC)が設置された。

極東班は極東部、極東局と変わり、そこで作成された文書はTシリーズから「国と地域の諸委員会(CAC)」というクレジットのついた新しいシリーズに変わった。
CAC文書はPWCで討議され、正式文書になっていく。

1944年春、PWCに提出された日本関係文書は以下のようだ。

文書番号
表 題
PWC
CAC
108
116
 米国の対日戦後目的
109
120
 民事に対する軍政は処罰的か、寛大か、あるいは賠償確保を主眼とするべきか
110
109
 占領の範囲
111
80
 占領軍の構成―占領と軍政
112
110
 政府諸権力の停止
113
111
 政党と政治団体
114
123
 悪法の廃止
115
117
 信教の自由
116
93
 天皇制
117
103
 軍政の期間
118
118
 外交官と領事
119
105
 戦争犯罪人
120
126
(日本国民に対する占領目的の)声明
121
125
 南樺太―占領と軍政
122
99
 委任統治諸島―在島日本人の処遇
123
106
 委任統治諸島―軍政の地位
145
 天皇制に関するバランタイン意見書
146
 天皇制に関するグルー意見書
147
 日本天皇の処遇(J.W.プラット論文)
152
185
 軍国主義の排除と民主的過程の強化
153
 日本統治機構の分権化
*五十旗頭真著「米国の日本占領政策」から鈴木昭典が「密室の九日間」で引用した表。

鈴木が注目したのは、CAC116「米国の対日戦後目的」だ。
先述のT357が姿を変えたものだが、ポツダム宣言の重要な条項がほとんど網羅されている。
全文引用する。

文書CAC116=PWC108 米国の対日戦後目的」 1944年3月14日

 1、領土的目的  日本は、満州、委任統治諸島および軍事占領下の全地域より撤収する。
朝鮮、台湾のおよび第一次大戦の開始後に獲得した全諸島を日本は奪われる。

 2 軍事的目的  日本が米国および他の太平洋諸国に対する脅威となることを阻止する。
この目的達成のため、武装解除、軍事的監視、経済活動の統制、および連合国が安全保障のため不可欠とみなす特定産業の長期的制限、などの措置をとる必要がある。

 3、経済的・財政的目的  国際的安全保障上必要な制限の枠内で、また賠償問題を考慮しつつ、日本は被差別の原則にもとづく世界経済の発展に与ることを許され、徐々により高度な生活水準に向かうことができる。

 4、政治的目的  他国の権利と国際的義務を尊重する政府を日本に樹立することが、アメリカの利益にかなう。
それは、軍部支配からの自由であり、平和の維持を望む文民によって支配される政府でなければならない。
そのため、
(1)陸海軍から政治的特権を剥奪すること、
(2)新聞とラジオを通して、民主主義諸国との間にコミュニケーションの自由を確立すること、
(3)日本の穏健派政治勢力を強化する措置をとること、
が必要である。

 5、最終的目的  太平洋地域における平和と安全の条件を高めるため、諸国民の家族の中での、完全にして平等なる一員として、友好的な日本を復興することが、米国の終局的な目的である。
米国は、日本を含む世界の諸国民が、国内的・国際的生活において、平和と協調と繁栄に向かうことを願うものである。

引用ここまで――

これらPWC文書群には、「憲法改正」の文字は発見できないが、表題を見るだけで憲法に関係ある文書がいくつもあることが推測される。
とくにPWC152「軍国主義の排除と民主的過程の強化」はGHQ憲法草案の原型を発見するようで興味深いが、これ以上深入りは避けることにする。

国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC スウィンク)

このようにアメリカ政府は戦後の対日政策の研究を続けてきて、最終的に1944年12月、国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)を発足させる。

SWNCCはポツダム宣言を含む終戦までの政策立案から、初期対日占領政策までさまざまな文書を作成し、実行機関に指示を出している。

そして、日本国憲法草案の指針として文書SWNCCー228が1946年1月11日にマッカーサーに送付された。

この文書はたいへん長いもので、「密室の九日間」では巻末に資料として全文載っている。
たいへん長いものではあるが、このシリーズとしてはやはり全文転載すべきだと考えた。

SWNCC〔国務・陸軍・海軍三省調整委員会〕ー228
「日本の統治体制の改革」
1946年1月7日、SWNCCにより承認
同1月11日、合衆国太平洋軍総司令官に「情報」として送附

結論

(a) 最高司令官は、日本政府当局に対し、日本の統治体制が次のような一般的な目的を達成するように改革さるべきことについて、注意を喚起しなければならない。

 1. 選挙権を広い範囲で認め、選挙民に対し責任を負う政府を樹立すること
 2. 政府の行政府の権威は、選挙民に由来するものとし、行政府は、選挙民または国民を完全に代表する立法府に対し責任を負うものとすること
 3. 立法府は、選挙民を完全に代表するものであり、予算のどの項目についても、これを減額し、増額し、もしくは削除し、または新項目を提案する権限を、完全な形で有するものであること
 4. 予算は、立法府の明示的な同意がなければ成立しないものとすること
 5. 日本臣民および日本の統治権の及ぶ範囲内にあるすべての人に対し、基本的人権を保障すること
 6. 都道府県の職員は、できる限り多数を、民選するかまたはその地方庁で任命するものとすること
 7. 日本国民が、その自由意思を表明しうる方法で、憲法改正または憲法を起草し、採択すること

(b) 日本における最終的な政治形態は、日本国民が自由に表明した意思によって決定さるべきものであるが、天皇制を現在の形態で維持することは、前述の一般的な目的に合致しないと考えられる。

(c) 日本国民が天皇制は維持されるべきでないと決定したときは、憲法上この制度〔の弊害〕に対する安全装置を設ける必要がないことは明らかだが、〔その場合にも〕最高司令官は、日本政府に対し、憲法が上記(a)に列記された目的に合致し、かつ次のような規定を含むものに改正されるべきことについて、注意を喚起しなければならない。

 1. 国民を代表する立法府の承認した立法措置――憲法改正を含む――に関しては、政府の他のいかなる機関も、暫定的拒否権を有するにすぎないとすること、また立法府は財政上の措置に関し、専権を有するものとすること
 2. 国務大臣ないし閣僚は、いかなる場合にも文民でなければならないものとすること
 3. 立法府は、その欲するときに会議を開きうるものとすること

(d) 日本人が、天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを、奨励支持しなければならない。
しかし、日本人が天皇制を維持すると決定したときは、最高司令官は、日本政府当局に対し、前記の(a)および(c)で列挙したもののほか、次に掲げる安全装置が必要なことについても、注意を喚起しなければならない。

 1. 国民を代表する立法府の助言と同意に基づいて選任される国務大臣が、立法府に対し連帯して責任を負う内閣を構成すること
 2. 内閣は、国民を代表する立法府の信任を失ったときは、辞職するか選挙民に訴えるかのいずれかをとらなければならないこと
 3. 天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること
 4. 天皇は、憲法第1章中の第11条、第12条、第13条および第14条に規定されているような、軍事に関する権能を、すべて剥奪されること
 5. 内閣は、天皇に助言を与え、天皇を補佐するものとすること
 6. 一切の皇室収入は、国庫に繰り入れられ、皇室費は、毎年の予算の中で、立法府によって承認されるべきものとすること

最高司令官がさきに列挙した諸改革の実施を日本政府に命令するのは、最後の手段としての場合に限られなければならない。
というのは、前記諸改革が連合国によって強要されたものであることを日本国民が知れば、日本国民が将来ともそれらを受け容れ、支持する可能性は著しくうすれるであろうからである。

日本における軍部支配の復活を防止するために行なう政治的改革の効果は、この計画の全体を日本国民が受け容れるか否かによって、大きく左右されるのである。
日本政府の改革に関する連合国の政策を実施する場合、連合国最高司令官は、前記の諸改革による日本における代表民主制の強化が永続することを確保するために、日本国民がこの変革を受け容れ易いようにする方法を考慮するとともに、変革の順序と時期の問題をも考慮しなければならない。

本文書は、公表されてはならない。
日本政府の改革に関する連合国の政策について声明を発表する場合には、日本側自体における前記諸改革の完遂を妨げぬよう、連合国最高司令官との連絡協議がなされなければならない。

問題点に対する考察



ポツダム宣言は、「平和的傾向を有し且つ責任ある政府」が樹立されるまで、占領軍は日本から撤収されないと明記している。
国際連合のこれまでにおける諸々の宣言、および日本を他の諸国家にとって危険な存在たらしめた同国の慣行および制度を永久に除去しようとする、連合国の明確なる意図は、この規定が、単に、撤収する以前に連合国の承認する特定の日本政府についてのみ述べたものではなく、日本の統治機構の本質についても述べたものであることを、明白に示している。
「日本国の最終的な政治形態」は、「日本国国民の自由に表明せる意思」によって決定さるべきものであるが、連合国は、前記の規定に従い、かつ日本の非軍国主義化のための綜合政策の一環として、日本の基本法が、その政府が実際に国民に対し責任を負うこと、また政府の文官部門は軍部に優越することを規定するよう、改正さるべきことを主張しうる権限を完全に与えられている。



日本の現行統治体制は、憲法、皇室典範、憲法を補充する基本的な法律および勅令、並びに事実上法律と同様に遵守されている慣習および慣行にもとづいているが、主として以下に述べる欠陥のために、平和的な慣行および政策の発達に適さないことを、露呈した。

3 国民に対する政府の責任を確保しうる制度の欠如

(a) この〔国民に対する政府の〕責任を実現しうる方法は、もちろん、いくつかある。
合衆国においては、行政府が大統領に対し直接責任を負い、大統領自身は国民によって選挙され、かつ、裁判所によって強行される憲法により、司法部および連邦議会の権限を侵害しないよう制約されている。
英国においては、行政府は、名目上は世襲の君主に対して責任を負うが、実際上は庶民院に対して責任を負い、この庶民院は国民によって選挙される。
議会の権限は、理論上は絶対であるが、実際には、議会は、裁判所の独立、および行政府の権限中の若干のものは、〔侵すべからざるものと〕認めている。

(b) 日本の現行憲法は、一方においては、国民の側の代議制への要求をなだめるという目的、他方においては、明治の指導者である憲法制定者達が、近代の世界の中で日本が存続し発展するために必要であると信じた、中央集権的、独裁的統治機構を、強化し永続させんとする目的、という二重の目的をもって書かれたのである。
この後者の目的に合致するため、国家権力は、天皇の周囲にいる数少ない個人的助言者達の手に握られ、選挙によって選ばれた、国会における国民の代表者には、立法に対し限られた範囲で監督的権限が与えられただけであった。
内閣が瓦壊すると、新しい総理大臣は、下院の多数党の領袖から自動的に任命されるのではなく、上述のような助言者――元来は元老がその任にあたっていたが、最近では元の総理大臣の協議会――の推薦にもとづき、天皇によって任命されるのである。
そして、この総理大臣が、自分の内閣〔の閣僚〕を選ぶのである。
その結果、新しい政府の性格およびその構成は、下院の多数者の意見によってではなく、天皇の周囲にある勢力の均衡によって、決せられた。

(c) 内閣が下院に対し責任を負わないというこのことは、また、予算に関する議会の権限が限られていたことの結果でもある。
憲法は、予算が議会によって否決されたときには、前年度の予算が自動的に効力を発生すると規定している(第71条)。
その結果、総理大臣は、たとえ下院で信任投票をかちうることができなくとも、少なくとも現年度と同一の予算が確保されるということを、念頭においていたのである。

(d) 国家の国内事項に関する一般法の制定は、議会の権限内のこととされてはいるが、実際上、大部分の法案は閣僚によって提出される。
しかも国会は閣僚の選考に関与していない。
戦争を宣言し、講和をなし、条約を締結する権限は、天皇の大権であり、これに関しては、議会は、極めて間接的に影響を与えうるにとどまる。
というのは、議会は、内閣および内大臣、宮内大臣、その他天皇の側近にある者と共にこれらの事項について天皇に助言を与える枢密院を、コントロールすることができないからである。
議会は、宮務に関しては権限を有せず、憲法改正を発議することができず、自ら会議を召集することができず、かつ、総理大臣の助言にもとづき、天皇により、15日間までの期間の停会を1会期中何回でも命ぜられることがありうる。

(e) 議会はその見解を政府にはっきりと知らせる間接的な手段を有しており、それは、実際には、予算その他の面で議会の手に与えられている直接的なコントロールよりはるかに有効であったが、このような間接的な手段ですら、その価値は限られていた。
議会は、天皇に上奏し、または政府に対して建議する権能をもっているが、それは、実際にはあまり意味をもたない。
何故ならば、天皇も政府も、国会の建議に対し答えることを義務づけられていないからである。
議会は、国政のいかなる事項に関しても調査委員会を設置しうる権能をもっているが、それは、証人の出頭を強制しえないということによって、制約されている。
議場での質疑と質問とによって、内閣を困惑せしめることは可能であり、これらは議会の有する最も効果的な武器となっていたが、大臣は、要点を外した答弁をしたり、「軍事上の秘密」もしくは「外交上の秘密」を理由に、または、「公益に反する」として、全く答弁を拒否したりすることができる。
両院共に、慣行によって、その権限内の事項につき決議を行なう権能を認められており、1931年までは、下院の不信任決議によって、しばしば、内閣または大臣が辞職に追いこまれたが、かかる決議は、また、しばしば下院の解散と総選挙とをもたらし、しかもその総選挙によって政府に反対する下院の方が支持されても、政府がそれによって総辞職するということはなかった。
にもかかわらず、過去15年間においては、議場での質問または上奏決議もしくは建議決議による政府批判は、実際上、議員が政策に影響を及ぼすことを希望できる唯一の方法であったのである。

4 軍部が政府および議会から独立して行動することを可能にした日本国統治の二元性

(a) 陸海軍の統帥権、および平時の常備軍の大きさを決定する権能は、天皇の大権に属する、と憲法に定められている。
この規定は、陸海軍により、陸海軍は天皇に対してのみ責任を負い、軍に関する事項については、内閣からも国会からも独立して行動しうることを意味すると、解釈された。
軍は、天皇の承認を求めなければならないのは、特に重要な事項のみであると考え、しかも天皇の承認がえられると、しばしばそれを軍自身の目的に適合するように解釈し、拡張した。
参謀総長および軍令部長並びに陸海軍大臣が有している直接天皇に助言しうる権利は、総理大臣は有するが他の閣僚は有していない特権であり、軍の行動の独立にとり不可欠の条件となっていた。

(b) 軍は、自己に割り当てられた責任の範囲内および範囲外にわたって、政府の政策に影響を与える力をもっていたが、それは、陸軍大臣および海軍大臣は、それぞれ、現役にある陸軍大将または陸軍中将、海軍大将、または海軍中将でなければならないという、1898年の勅令による定めにより、一層強められた。
軍は、この規定を幾度となく用いて、陸軍大臣または海軍大臣の辞職を要求することにより内閣を打倒し、あるいは資格ある将官をこれらの地位に任命することに対する許可を拒否することにより新内閣の成立を妨害した。
日本の政府においては、責任が軍当局と文官当局との間に分割されているため、政策決定において軍に不当の力が与えられていることのほか、自発的には誠実に行動したかもしれない文官政府が、その国際的公約を履行することを妨げられたこともたびたびある。

5 貴族院および枢密院の過大な権限

(a) 財政に関する法案は下院において先議されなければならないということ、および、下院は何時たりとも天皇がその解散を命じうるのに対し、上院は停会されることがあるだけであるということを除けば、上下両院の立法権は同一である。
貴族院は、大体、2分の1が貴族、4分の1が高額納税者の互選による者、4分の1が天皇の任命する者によって構成されているのであって、貴族院が民選の下院と同等の権限をもつことは、日本における有産階級および保守的な階級の代表者に、立法に関して不当な影響力を与えるものである。

(b) 枢密院は、議長1名、副議長1名、天皇の任命する終身の顧問官24名および職務上当然に参加する閣僚で構成され、天皇に対する最高の助言機関としての役目を果たす。
1890年に公布された、その権限を規定する勅令は、大まかにいえば、憲法問題、条約および国際協定に関し、並びに緊急勅令の発布に先き立ってのみ、天皇の諮問を受ける旨を規定していた。
しかし、枢密院は、次第にその活動を拡大し、かつその権限を増大し、ついに最近の何十年かは、外交問題および国内問題のいずれにおいても、行政府に対し広汎な監督的権限をもち、「第三院」に類似するに至った。
同院は、しばしば政策問題に関し内閣に反対し、若干の場合においては、議会の信任をえている内閣の瓦壊を強要した。
その活動について議会または国民に対し政治的責任を負わず、しかも国務の全般にわたって重大なる影響力を及ぼしている、現在の姿での枢密院が、健全な議院内閣制の発達に対する重大な障害となることは、すでに明らかになっている。

6 人権保護の規定が不十分なこと

(a) 日本の国民は、特に過去15年間においては、事実上、憲法が彼らに保障している人権の多くのものを奪われていた。
憲法上の保障に、「法律に定めたる場合を除き」、あるいは「法律によるに非ずして」という文言による制約が設けられていたために、これらの権利の大幅な侵害を含む法律の制定が可能になった。同時に、日本の裁判所が、仮に直接的な政府の圧力にではないとしても、社会的圧力に屈従し、公平なる裁判を行ないえなかったことも、はっきりしている。


(b) このような状態を改善するため、マッカーサー元帥は、1945年10月4日、言論、思想および信教の自由を制限する一切の措置を廃止し、日本政府に対して、1945年10月15日までに人権を国民に対し保障するためにとった一切の措置を彼に報告するよう、命令した。

(c) 別の一面においても、日本の憲法は、基本的諸権利の保障について、他の諸憲法に及ばない。
それは、これらの権利をすべての人に対して認める代りに、それらは日本臣民に対してのみ適用すると規定し、日本にいる他の人はその保護をうけられないままにしているという点である。



日本の統治体制における欠陥を是正するのに必要な憲法的ならびに行政的改革が、永続的な価値を有し、したがって最も効果的であるためには、それらは、日本政府が、現在のような事態を日本にもたらすもとになった国家機構上の諸要素を除去し、かつポツダム宣言の諸規定に従うことを望んで、自ら発議し、実施したものでなければならない。
日本人が自発的にこのようなことを行なわないときは、最高司令官は、わが政府が占領軍撤収の条件としての「平和的傾向を有し且つ責任ある政府」が日本に樹立されたと判断するための前提として必要と考える諸改革について、注意を喚起しなければならない。
しかし、実施さるべき改革を詳細に明示した公式の指示を日本国政府に発するのは、最後の手段とさるべきである。



憲法に次のような新しい諸条項を加えれば、それらが一体となって、国民に責任を負う真の代議政治の発達が保障されるであろう。
このような諸条項とは、次のようなものである。

(1)選挙権を広い範囲で認め、政府は選挙民に対し責任を負うものとすること、
(2)政府の行政府の権威は、選挙民に由来するものとし、行政府は、選挙民または国民を完全に代表する立法府に対し責任を負うものとすること、
(3)内閣は、国民を代表する立法府の信任を失ったときは、辞職するか選挙民に訴えるかのいずれかをとらなければならないとすること。

このように国民に対し政府が直接責任を負うというたてまえは、予算に関する完全なる権限を、国民を代表する立法府に与えることによって、一段と強化されるであろう。
政府は、国民を代表する立法府の信任を失ったときは、財源がないため、会計年度の終りに辞職を余儀なくされることになろう。



日本臣民および日本の統治権の及ぶ範囲内にいるすべての人の双方に対して基本的な人権を保障する旨を、憲法の明文で規定することは、民主主義的理念の発達のための健全な条件を作り出し、また日本にいる外国人に、彼らがこれまで〔日本国内で〕有していなかった程度の〔高い〕保護を与えるであろう。
国民を代表する立法府の地位は、国会に対しその欲するときに会議を開く権利を与えることにより、また立法府の承認した立法措置――憲法改正を含む――に関しては、政府の他のいかなる機関も暫定的拒否権を有するにすぎないとすることにより、一段と強化されるであろう。
都道府県の職員は、できる限り多数を、民選するかまたはその地方庁で任命するものとすれば、内務大臣が都道府県知事の任命を行なう結果として従来保持していた政治権力を、弱めることになるであろう。
同時に、それは、地方における真の代議政の発達を、一段と助長することにもなろう。

10

日本の統治機構の中における軍部の権威と影響力は、日本軍隊の廃止と共に、恐らく消滅するであろうが、国務大臣ないし閣僚は、いかなる場合にも文民でなければならないということを要件とし、軍部を永久に文官政府に従属させるための正式の措置をとることが、望ましいであろう。

11

わが政府は、日本人が、天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを、奨励支持したいと願うのであるが、天皇制維持の問題は、日本人自身の決定に委ねられなければなるまい。
天皇制が維持されたときも、上に勧告した改革中数多くのもの、例えば、予算に関するすべての権限を国民を代表する立法府に与えることにより、政府が国民に対し直接責任を負うことを定めた規定、およびいかなる場合にも国務大臣ないし閣僚に就任しうるのは文民に限るとの要件を定めた規定などが、天皇制のもつ権力と影響力とを、著しく弱めることになろう。
その上さらに、日本における〔軍と民の〕「二重政治」の復活を阻止し、かつまた国家主義的軍国主義的団体が太平洋における将来の安全を脅かすために天皇を用いることを阻止するための安全装置が、設けられなければならない。
これらの安全装置には、

(1)天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること、
(2)天皇は、憲法第1章中の第11条、第12条、第13条および第14条に規定されているような、軍事に関する権能をすべて剥奪されること、
(3)内閣は、天皇に助言を与え、天皇を補佐するものとすること、
(4)一切の皇室収入は国庫に繰り入れられ、皇室費は、毎年の予算の中で、立法府によって承認さるべきものとすること、

などの諸規定が含まれなければならない。

12

日本の統治体制には、結論で明示されたものの他に、改革の望ましいものが数多く存する。
例えば、都道府県議会および市町村議会の強化、不正な選挙慣行を排除するための選挙法の改正等が、それである。
なお、地方議会を強化する措置および選挙制度の全面的改革をもたらす措置は、この文書において詳細に述べられた諸改革によって樹立されることが確保されている、真に国民を代表する東京の中央政府に、これを委ねても心配ないし、またその方がよりよいと信ずる。
占領期間中の選挙については、恐らく、占領軍を通して充分な監督を行なうことができるであろう。

本問題に関係する事実



ポツダム宣言は、次のように規定する。
「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、並びに基本的人権の尊重は、確立せられるべし。」
・・・・・・・・・・・・・・・
「〔ポツダム宣言に述べられた〕諸目的が達成せられ、且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。」



日本国政府に対する8月11日附連合国の回答は、次のように述べている。
「日本国の最終的な政治形態は、ポツダム宣言に従ひ、日本国国民の自由に表明せる意思により決定さるべきものとする。」



「降伏後における合衆国の初期対日政策」において、日本に対する合衆国の究極の目的の1つは、次のようなものであると述べられている。
「他の諸国家の権利を尊重し、国際連合憲章の理想と原則に示されている合衆国の目的を支持する、平和的かつ責任ある政府を最終的に樹立すること。
合衆国は、このような政府が民主主義的自治の原則にできうるかぎり合致することを希望するが、自由に表明された国民の意思によって支持されない政府形態を日本に強要することは、連合国の責任ではない。」

*田中英夫訳「日本国憲法制定の過程」より。赤の下線はブログ筆者(太陽)。

転載ここまで――

アメリカは、ポツダム宣言第12項「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は、直ちに撤収せらるべし」の「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ」にやけにこだわりをみせている。

日本もここに頼って国体護持はできると判断し、ポツダム宣言を受諾した。

憲法改正においてもこの部分のこだわりを上記SWNCCー228に見ることができる。
GHQも「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ」憲法は改正されるべきと追求した。
ではそうなったのか。
ことはそう単純ではないことが今までのシリーズからおわかりだろう。

今回の最後は、やはり「密室の九日間」第三章の最後の部分の鈴木のことばを引用して終わりにする。

――ここから引用(鈴木昭典「密室の九日間」から)

歴史には、派手な表舞台があれば、その裏には滔々と流れる伏流水もある。
日本の戦後史を形成している占領政策は、終戦という区切りで伏流水が地表に現れたものといえよう。
民政局の憲法草案作成作業は、その地下の水が短時間に吹き出た噴水のような現象ではなかったろうか?
もちろん、憲法草案作成作業は、他にいくつもの知的な流れを巻き込んで豊かな水脈の上で進んでいく。




◆ チュウシャクシギ(チドリ目シギ科ダイシャクシギ属)◆
チュウシャクシギ 2017.5.9撮影 犬吠埼
漢字で中杓鴫と書き、大きく下にそったクチバシからその名がついた。ダイシャクシギという鳥もいて、当然それよりも一回り小さい。

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