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2021年5月8日土曜日

「熱源」川越宗一著 壮大なスケールで「民族」とは「生きる」とは何かを考える

2週間前に図書館から予約していた本が届いたと連絡があった。
何の本だろうと取りに行くと、「熱源」というけっこうな厚さの本だった(426ページ)。

と書くと、前回の投稿とうり2つになってしまう。
赤旗の記事などで読みたいと思ったらすぐ図書館に予約し、忘れた頃に本が届くといういつものパターンだ。

今回は昨年の2月に予約を入れたもので、1年以上経ってやっと順番が回ってきた。
赤旗の切り抜きを調べて見ると、昨年の直木賞を受賞した作品で、どうりで1年以上もかかったわけだ。
赤旗 2020.2.9付 レイアウトは変えた
今回の「熱源」は前回の「チーム・オベリベリ」の次に届いた本で、まったく偶然なのだが、両者ともアイヌという先住民族が主要テーマになっていて、これまたうり2つとはいわないが、類似性がある。

直木賞作品は、毎回読んでいるわけではないが、読んだものに裏切られた記憶はない。
今回もたっぷり楽しませてもらった。

物語の主な舞台である樺太(サハリン)は、千島列島とセットで幕末以来その所属をめぐっていくつかの変遷をしてきた。

 ①無主の地(日ロ雑居)
 ②ロシア領土(樺太・千島交換条約)
 ③北半分がロシア、南半分が日本領土(日露戦争の結果)
 ④ソ連領土(サンフランシスコ条約)
ピウスツキが撮影した樺太アイヌ(Wikipedia)

といった具合だが、それで翻弄されたのが先住民族であるアイヌだ(他にウィルタ、ニブフ)。
さらに、ロシア、ポーランド、リトアニアにおける民族闘争が絡み、物語は壮大なスケールで展開していく。

驚くのは赤旗記事にも南陀楼綾繁が書いているが、主人公たちは実在する人物であり、物語もほぼ実話なのだ。
ブロニスワフ・ピウスツキ
例えば主人公の1人であるブロニスワフ・ピウスツキはWikipediaにも載っている著名な文化人類学者(元流刑囚)であり、小説にも登場する彼の弟はポーランド第二共和国初代国家元首となったユゼフ・ピウスツキだ。

ピウスツキが収集し残した数々の樺太先住民族の文化遺産は大変貴重なものだ。
小説ではアイヌの琴(トンコリ)と歌(ユーカラ)をピウスツキが蝋管録音機で録音し、そのときトンコリを弾いたイペカラという少女が40年後にその録音を大学で聴いたというソ連の女性兵士とサハリンの戦場で出会うという奇跡のような展開で物語は終焉に向かう。

このソ連女性兵士は物語の冒頭に登場し、すぐに消え去った後、最後の場面で再登場して物語を締めくくる。
川越宗一という小説家の絶妙な創作だ。

前回「チーム・オベリベリ」にならって、印象に残った一節を引用する。
大隈重信とブロニスワフ・ピウスツキの対話だ。

 「我が国は、わが国内で罪を犯した欧州人を裁けなかった。欧州人が持ち込む物品に関税もかけられなかった。欧州人を裁けないのは、我らが文明を知らぬ野蛮人だったからだそうだ。関税の自主権を失ったのは、我らに力がなかったからだ」
 伯爵は、微笑を絶やさない。まるで白人種のブロニスワフを試しているようだ。
 「イシンと呼ぶ革命のあと、我らはかかる不平等の是正に心血を注いだ。夜な夜な西洋式の宴会に興じてみせるなどという、馬鹿げたこともした。わたしは外務大臣の時に右足を失った。日本の臣民は関税を補う重税に喘ぎ、沈没船から救われず溺死し、検疫を拒否した外国人が持ち込む疫病に怯えた。そうやって我が国は、二度の対外戦争に勝利した」
 風がそよぎ、草の擦れる音がした。
 「学者として人類の真理を探究するピウスツキ氏に問いたい。我々は劣っているのかね。白人種以外は根絶されてしかるべきかね。人間によく似た別の種族なのかね」
 ブロニスワフは首を振る。人種の優劣を見出そうとする世界であがいてきた日本が、哀れにも健気にも思った。だが、続いた伯爵の言葉は予想外だった。
 「わたしは、どちらでもよいと思っている」
 伯爵は、もう笑っていなかった。
 「幸いなのは、この世界が弱肉強食であるということだ。強ければよいのだからな。白人諸君が強者を自任し、食らいたい弱者がそうである証拠なんぞを真面目くさって論じている間に、我らはより強くなる。いずれ欧州の列強も凌駕する」
 「なぜ、その話を私におっしゃるのです」
 尋ねてから、ブロニスワフは喉が渇いていることに気付いた。
 「力が足りぬから、あなたは故郷を失った。そう言っている。これは無くなるかもしれなかった極東の小国で、四十年近く政界をうろついていた老人からの助言だ」
 伯爵は挑戦するようにサテ、ビウスツキサンと身を乗り出した。
 「弱肉強食の摂理の中で、我らは勝った。あなたたちはどうする」
 「私たちは、いや私は――」
 俯き、考え込む。サハリンの妻子と友人たちの顔が浮かぶ。やがて気付き、顔を上げる
 「その摂理と戦います」
 伯爵は量るように目を眇める。ブロニスワフは続けた。
 「弱きは食われる。競争のみが生存の手段である。そのような摂理こそが人を滅ぼすのです。だから私は人として、摂理と戦います。人の世界の摂理であれば、人が変えられる。人知を超えた先の摂理なら、文明が我らの手をそこまでは伸ばしてくれるでしょう。私は、人には終わりも滅びもないと考えます。だが終わらさねばならぬことがある」
 あの島の人々に分けてもらった熱が、ブロニスワフに言葉と決意を与えている。彼ら彼女らが食われる世界、熱が途絶えてしまう世界を、自分は望まない。
 今度は伯爵が考え込んだ。やがて破顔し、磊落に笑った。
 「我らは摂理の中で戦う。あなたは摂理そのものと戦う。結構けっこう」
 大熊伯は立ち上がり、跳ねるような足取りで去って行った。

弱肉強食の摂理の中で戦ってきた20世紀前半が終わり、その摂理と戦う時代が20世紀後半から始まったのではないだろうか。
そのための最大の武器の一つが日本国憲法ではないか。

最後に話は「熱源」からそれるが、私のお薦めの作品を紹介しておこう。

20年ぐらい前に船戸与一の小説を読みふけった時があった。
そのなかで異彩を放っていた作品が「蝦夷地別件」だ。
新潮文庫全3巻で、各巻が600ページ前後という大部なものだ。
蝦夷地最大のアイヌの蜂起「国後・目梨の乱」を題材に、
ヨーロッパ、ロシア、北海道、国後、江戸を舞台にした「熱源」に負けないような壮大なスケールの冒険小説になっている。
エンターテインメントという点ではこちらの方が勝っているような気がする。
作品総体としてどちらがどうだということは私も即断できないが。


◆ オオマツユキソウ(ヒガンバナ科スノーフレーク属)◆

オオマツユキソウ 2015.4.1撮影 近所の民家の庭
園芸種にはあまり関心がないのだが、我ながらきれいに撮れている写真だなと思い載せた。ネットで調べてみると、オオマツユキソウとかスズランスイセンという和名がついていた。愛好家の中ではスノーフレークという名の方が通りがいいのかもしれない。花びらの先に付く緑の斑点がなんともかわいらしい。

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