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2020年5月30日土曜日

「蜜蜂と遠雷」恩田陸 映画のはるか上を行く音楽小説

幻冬舎
4月中旬に区の図書館から予約の本が用意できたとメールが来る。
いくつも予約しているので、何の本かは見当もつかない。
リンクを開けばわかるのだが、それも面倒で、取りに行けばわかることだし、今読んでいる本を読み終えて返却するときに借りようと思い、1週間後に図書館へ行く。

それで図書館へ行ったところ、コロナ禍で長期閉館。
それまでは受付窓口だけ開いていて、予約した本は借り出せていたのだが。

けっきょく1カ月ほど待って、ようやくまた受付のみ開館されたので取りに行ってみると、それは恩田陸の「蜜蜂と遠雷」だった。

確か1年以上前に予約し、100人以上の待ち人数があってようやく今届いたんだとわかる。

2020年5月22日金曜日

黒川東京高検検事長、賭け麻雀で辞任 「鯛は頭から腐る」

赤旗 2020.5.22付 レイアウトと赤線は編集

黒川弘務東京高検検事長
人の一生の中でも一度あるかないかのパンデミックで世界中が苦しんでいるさなか、安倍政権は自己保身のために検察庁法改定案を今国会で採決可決しようとしていた。

安倍は国会などで「本法案により恣意的な人事が行われることは全くない」などと繰り返し言った。
そもそも事の発端である1月31日の閣議決定によって、黒川氏を恣意的な法の解釈変更により定年延長させておいて、どの口がそのようなことを言うか。

2020年5月12日火曜日

ドイツ降伏75年式典 大統領演説から見える彼我のちがい

現シュタインマイヤー大統領 ドイツ総領事館HPから













ドイツの戦争責任の取り方は徹底している。
日本とは対極であり、ことあるごとに比較される。

1985年にドイツ連邦議会でヴァイツゼッカー大統領が演説した「荒れ野の40年」の中の

過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる
赤旗 2018.9.24付

という一節はあまりに有名だ。

2020年5月10日日曜日

日本国憲法の誕生 ㉑あの鈴木安蔵が憲法改正草案要綱を批判

朝日新聞 1946.3.7付
⑧民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<2> 憲法研究会」と「⑨民政局はなぜ短期間で草案をつくることができたのか<3> 鈴木安蔵と植木枝盛」からわかるように、在野の憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」が、3月7日に新聞発表された政府の「憲法改正草案要綱」にもっとも親和性がある。

しかし、その憲法研究会の中心メンバーであった鈴木安蔵は発表された政府の「憲法改正草案要綱」にかなり批判的であった。

新聞発表2日後の9日には「読売報知新聞」に3回にわたって長文の批判的見解を発表している。
この読売報知新聞の記事をなんとしても読みたかったのだが、私の調査能力の及ぶところではなかった。

2020年5月6日水曜日

日本国憲法の誕生 ⑳憲法改正草案要綱 ついに国民の前に現る

入江俊郎
翌日(3月6日)のマスコミ発表のために、憲法改正草案の要綱を徹夜で作ったのは入江俊郎法制局次長たち。
入江俊郎といえば、後年最高裁裁判官としてあの有名な砂川裁判の最高裁判決を書いた人だ。
ちょっと幻滅。

その要綱だが、鈴木昭典の「日本国憲法を生んだ密室の九日間」には、「いちおう条文の形になっている草案から要綱にする作業が残っていた」とあるから、要綱という言葉からしても、私はてっきり草案(全文)を要約したようなものだと思い込んでいた。

ところが今回その要綱全文を国立国会図書館HPで調べてみて、それは要約ではなく、文体がやや簡素化されているだけで、ほぼ草案そのものだということを知った。
Windowsアクセサリーソフトのメモ帳で比較したら、要綱は182行、4月17日に正式に発表される口語訳草稿は194行で12行少ないだけだ。

2020年5月3日日曜日

日本国憲法の誕生 ⑲3月4日から憲法改正草案要綱発表までのすさまじい3日間

All About から
1946年3月4日午前10時に始まり、翌5日の午後4時頃終わった30時間の「日米案翻訳戦争」について前回書いた(1年以上も前だが)。

佐藤達夫がGHQ民政局で悪戦苦闘している3月5日、日本政府は朝から閣議が開かれ、そこに民政局で確定した憲法条項草案が次々と送られてくる。
その草案を閣議で審議するのだが、いろいろ問題や不満があってもそれをすぐにGHQ側に差し戻す力は日本政府にはなかった。
おまけに、GHQはこの日のうちに草案を発表したいといってくる。
いくら何でもそれは無理なので、なんとか明日に延ばせないかと申し入れ、6日発表が決定する。