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2013年6月27日木曜日

サヘル・ローズの母 フローラにみる希有の愛

番組「旅のチカラ」から
NHK・BSプレミアムで「旅のチカラ」という番組があって、よく観ている。
6/5は「失われた故郷の記憶を求めて~サヘル・ローズ イラン~」というテーマで、何かひかれるものがあり録画しておいた。

サヘル・ローズという女優は初めて見ると思っていたのだが、番組を観ているうちにこれは前にどこかで見たことを思いだした。
NHKの番組であったことはまちがいないと思うが、何の番組であったかは思い出せない。
が、彼女の数奇な運命の物語が一気によみがえってきた。

サヘル・ローズという女優はとても美しく魅力的だ。
今回の「旅のチカラ」も興味深く観た。
しかし、私が彼女のことをはっきりと思い出したのは、彼女の母・フローラの生き方が衝撃だったからだ。

サヘルは3歳の頃イラン・イラク戦争時の空爆によって瓦礫の下に埋もれた。
それを救ったのが当時大学生で救助ボランティアをしていたフローラだ。
そのときサヘルの両親と10人の兄姉はすべて死んだ。

サヘルはテヘランの病院で回復したあと孤児院へ送られる。
病院でも付き添い、孤児院にも何度か面会に来たフローラは、ある日、サヘルを引き取る。
このときフローラは20歳ぐらいだった。
サヘルとフローラ
20歳そこそこの女性が孤児を養子にするなんてことはどこの世界でも普通にはあり得ないこと。
ましてイランでは考えられないことで、フローラの両親は猛反対した。
その親に抗してサヘルを養子にしたフローラは、親からの経済的援助を打ち切られる。
フローラは裕福な家庭で生まれ育ち、恵まれた生活をしていたのだが、このときから生活環境が一変する。
そんな犠牲を払ってまでなぜフローラはサヘルの母親になろうとしたのか。

イランで生活ができなくなったフローラとサヘルは日本にいたフィアンセを頼って来日する。
そのフィアンセもサヘルに虐待をはじめ、フローラはサヘルを連れて男と別れて公園でホームレスの生活をはじめる。
このときサヘルは日本の小学校へ通っていたのだが、その小学校の給食調理員に救われることになる。

こうしてフローラは自分の青春のすべてを犠牲にしてサヘルのためだけに生きていく。

このような人間をどのように理解したらいいのだろうか。

マリア・テレサとかペシャワール会の中村哲とかの偉大な魂はそれなりに理解できる。
彼女・彼の生涯は貧しい人たちに捧げられている。
が、フローラはサヘルのためだけ。

「そんな犠牲を払ってまでなぜフローラはサヘルの母親になろうとしたのか」という素朴な私の問いは、番組「旅のチカラ」の中でも発せられるのだが、その答えは最後までない。

番組のなかでサヘルの著書「戦場から女優へ」が紹介されていたので、フローラのことをもっと知りたくて、図書館で借りて読んだ。

残念ながらこの本を読んでもフローラのことはよくわからない。

フローラとその両親との関係がどうもわかりにくい。

サヘル・ローズのサヘルという名はフローラの母親がつけたことがわかった。
サヘルを養子にしたことがフローラとその親とを決定的に断ち切ったのではないのだ。
フローラの親もフローラの強情さに負けてサヘルのことを認めていた。
しかし、フローラには婚約者がいるにもかかわらず、仕事仲間だった男性を何度もフローラのアパートに入れており、そこに恋愛関係はなかったにもかかわらずサヘルの言葉によって親は誤解し、それが許せないといって絶縁状態になったとサヘルは本に書いている。

しかし、実の娘がこのような貧窮状態にあっても手をさしのべないということがあるだろうか。

ネットでいろいろ見ているうち、L-Cruiseというサイトに「女優 サヘル・ローズに聞く」という記事があった。
そのなかで、サヘルが次のように語っているところを目にした。

「母は、日本に来てから4年ほど経ってから、両親との関係を修復しました。それ以来、毎年1度はイランに帰るようにしています。私と一緒に。だいたい1カ月ほど滞在します。祖父母も、いまでは本当の孫として接してくれますし、とても優しいですよ」

このような重要な事実はこのサイトを見るまでは知らなかったわけで、「旅のチカラ」でも「戦場から女優へ」でも語られていない。

日本に来てから4年といえば、サヘルが小学6年ぐらいだが、それ以後も母子の困窮は続いており、その中で毎年1回イランに里帰りなどということは理解に苦しむ。
旅費はフローラの親が負担したのであろう。
両親との関係が修復した時点でイランにもどるという選択肢はなかったのか。

新しい事実がわかるとともに新しい疑問も生まれる。

サヘル・ローズについては魅力的で立派な女性だと思うし、何よりフローラのためにも成功してほしいと願う。
しかし、フローラについてはサヘルとは次元のちがうとてつもない謎と魅力がある。
「そんな犠牲を払ってまでなぜフローラはサヘルの母親になろうとしたのか」の答えを知りたい。

フローラは今現在40代半ばだと思われる。
青春まっただ中とは言い難いが、女盛りではないか。
フローラの人生は今までどうだったのか、今はどうなのか、これからどうなるのか。
いずれ本になったり映画化されたりするかも知れない。
そのときはサヘル・ローズではなくフローラの物語であることを願う。

*冒頭、「前にどこかで見た」番組とあるのは、NHK2009年放送の「サヘルとフローラ*東京物語」ではなかっただろうかということが「写真でイスラーム」というブログでわかった。

 追記(2020.5.26) 
出典

昨年の11月、NHK教育の「こころの時代 砂浜に咲く薔薇のように」を見て、サヘルの生い立ちの新事実を知った。
「戦場から女優へ」を出版した4年後、サヘルがテレビ番組のロケ(本文の「旅のチカラ」)でイランを訪れたさい、かつて自分が暮らした施設に残っていた資料からわかったことで、その新事実を公の場で話したのはこの「心の時代」の番組が初めてとのこと。
その新事実とは要約すると以下のようだ。

家族12人がすべて空爆で死んだという話は作り話だった。
父は子どもたちをすべて捨てた。
一度は戻されたものの再び捨てた。
サヘルのみ父の元に戻され、他の兄弟姉妹はバラバラに施設などにあずけられた。
母親は薬物で刑務所にいた。
父が言うには、サヘルは父の兄弟が母に産ませた子で、好きになれない。
このような事実を施設側は子どものサヘルに伝えるわけにはいかず、すべて空爆で死んだということにした。

つまり、サヘルの家族の何人かは確実にイランに生き残っているだろうということ。
この事実を知っていたらサヘルは「戦場から女優へ」は書かなかったという。
フローラは、サヘルが家族をさがしたかったらイランへ行きなさいと言った。

フローラは2年前にがんを宣告されている。

サヘルが子どもたちの力になるために世界を旅していることなど、いろいろ新しいことを教えてくれた番組だったが、とにかく生い立ちの新事実については、このブログを訪れてくれる人のためにも早くこの追記を書いておかねばと思いつつ今日まで来てしまった。
申し訳ない。


◆ キンポウゲ(キンポウゲ科キンポウゲ属) ◆
キンポウゲ 2013.5.6撮影
根生葉が馬の蹄に似ていることからウマノアシガタとも呼ばれるが、実際には似ていない。花弁がテカテカしているのが特徴。高原や草原ではありふれた野草だが、街中で見ることはほとんどない。写真は自宅前の河原にほんの数株咲いていた。

3 件のコメント:

  1. はじめまして、
    先日はコメントをおありがとうございました。
    サヘルとフローラ、時々取り上げられるたびに反響が大きいですね。
    細かな事情は分からないですが、サヘルが生まれ変わってもこの母の下にうまれたい言ったのが印象的でした。

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  2. フローラさんの生き方は、すごすぎて言葉がないですね。もっと、詳しく取り上げられたらいいのにと思います。

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  3. 1年近く前にいただいたshigeさんのコメントに今頃気づきました。
    無視したようになってしまってすみませんでした。
    フローラの人生はいまだに映画化の話がないみたいですね。

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