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2022年12月27日火曜日

映画「ラーゲリより愛を込めて」 「旧ソ連の暴虐」は確かにひどかったが、旧日本の暴虐はどうなのか

日本映画「ラーゲリより愛を込めて」が上映中だ。

11月4日付の赤旗日曜版に「旧ソ連の暴虐に抵抗」「主人公が伝えた希望」などの見出しがついて、1ページ全面にわたって、映画の主人公の息子さんが「父を語る」記事が掲載されていた。

つまり、実話だ。

辺見じゅんという作家が書いた「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」が原作で、この作品は講談社ノンフィクション賞(1989年)と大宅壮一ノンフィクション賞(1990年)をダブル受賞している。
1993年にはテレビドラマにもなったそうで(マンガにもなっている)、私は何も知らなかった。
北川景子はあまり好きではないが、二宮和也はクリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」以来気に入っていた役者(嵐とかいうグループの一員なんてことは知らなかったけれど)だし、テーマも惹かれるものがあるので見に行こうかどうしょうかと迷っていた。

1カ月後、今度は12月5日付の赤旗日刊紙にこの映画が紹介された。

赤旗 2022.12.5付 写真はネットから同じ写真をカラーに差し替えた

鑑賞を迷っていた最大の要因がこの解説の最後に書かれている。

つまり、戦争被害を継承する真摯さが、加害にも目を向ける契機になればと願う と。

戦争を背景とした日本映画と言えば、ほんのわずかの例外を除いて、戦争を美化するものか、日本がどれだけ戦争によって被害を被ったかの2つにおおよそ絞られる。

「旧ソ連の暴虐」については、今さら映画から学ぶべきものはない。
おおよそ次のようなものだった。

ソ連はヨーロッパでのドイツを中心とする枢軸国との戦争(独ソ戦)に集中するために、後顧の憂いをなくしておこうと1941年に日ソ中立条約を結ぶ。

ヤルタ会談に臨む
チャーチル、ルーズベルト、スターリン
ヨーロッパ戦線の帰趨が見えてきた1945年2月、連合国の主要3国(アメリカ・イギリス・ソ連)はクリミアのヤルタで戦後処理について会談を行った(ヤルタ会談)。

この会談は主にヨーロッパにおける戦後処理をどうするかという目的ではあったが、このとき、併行してルーズベルトとスターリンの間で結ばれたのがヤルタ秘密協定だ(後にチャーチルも了承)。

ヤルタ秘密協定は次のようなものだった(一部)。

①ヨーロッパ戦線終結後(つまりドイツ敗戦後)、ソ連は2~3カ月を経て日本に参戦する。
②千島列島はソ連に引き渡される。
③樺太南部はソ連に返還される。

南樺太は日露戦争によって日本が得たものだからソ連に返還されることは理解できる。
しかし、千島列島は日露戦争前の1875年に千島・樺太交換条約で平和的に日本の領土として確定していたものだ。

さらには、日本の降伏を促した1945年7月のアメリカ・イギリス・中華民国3国によるポツダム宣言では、その8項で「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく」とあって、そのカイロ宣言(同じくアメリカ・イギリス・中華民国の3国により1943年12月に発表)には次のような項目がある。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス

ただ、ソ連は、カイロ宣言にわが国は関わっていないぞ、ポツダム会談には参加したが、アメリカ・イギリス・中華民国3国によるポツダム宣言には後で追認こそしたが署名はしていないぞ、というかもしれない。

まあとにかく、ルーズベルトは自国の人的被害を減らしたいという、ソ連は領土拡大の野望を果たしたいという両者の利害が一致し、後ろ暗いヤルタ秘密協定が結ばれた。
秘密協定と名付けられているゆえんだ。

ところで、日ソ中立条約の有効期限は5年だ(廃棄通告がなければ自動的に5年延長)。
1946年4月までは有効なのだ。

破棄する場合には1年前までに相手国に通告することになっている。
ソ連はヤルタ秘密協定のこともあって、1945年4月、日本に中立条約の破棄を通告したのだが、それでも1946年4月までは条約の有効性に変わりはない(ソ連側も認めている)。

日本はその解釈で、1945年6月頃からソ連に日米戦争の停戦仲介を工作している(ヤルタ秘密協定の秘密は日本には漏れなかった)。

1945年5月7日に独ソ戦が終了し、ヤルタ協定に従って2カ月後では7月7日、3カ月後では8月7日頃にソ連は日本に参戦することになる(2~3カ月後というのはソ連の兵力を欧州から極東へ移動させるため)。

1945年4月にルーズベルトが死去し、副大統領のトルーマンが大統領に就任したが、彼でさえホワイトハウスの金庫を開けるまで協定の存在を知らなかったという。

トルーマンはソ連に参戦して欲しくなかった。
戦後のソ連の極東での影響力を危惧したのだが、同時にソ連参戦によって終戦が早まると、完成間近の原子爆弾を使用するチャンスをなくしてしまう(なんという邪悪な思惑)。

ポツダム会談に臨む
チャーチル、トルーマン、スターリン
1945年7月17日から始まったポツダム会談の途中で、トルーマンは原爆の実験成功を知らされる。
これは何としてもソ連の参戦前に原爆を日本に落とし、できればソ連の参戦前に戦争を終わらせたかった。
また、日本には原爆を落とす前に降伏などして欲しくなかった(それこそ鬼畜)。

日本はといえば、ソ連に和平仲介を工作していたのみならず、アメリカに2発も原爆を落とされても降伏せず、結局ソ連の参戦まで許してしまう。

ここから映画「ラーゲリより愛を込めて」は始まる。

いきなりのソ連の参戦、満洲への空爆・侵攻、日本人の逃避行、シベリア抑留へと日本人の苦難は続く。
そして「旧ソ連の暴虐に抵抗」し、主人公は希望を伝える。

まあそれにしてもソ連の暴虐とはその通りで、日ソ中立条約の下での日本参戦は言うまでもなく、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した8月14日以降もお構いなく一方的な攻撃を続け(それでもソ連は日本が降伏文書に調印したのは9月2日だというかも)、略奪、処刑、強姦など悪逆の限りを尽くしている。

きわめつけはシベリア抑留だ。
ポツダム宣言の9項には

日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

とある。

抑留生存者が全員帰国したのは1956年だから、実に11年もソ連は不当で過酷な奴隷労働を強いた。
約60万人の抑留者のうち6万人が死亡したと言われている。

実はこの数字を初めて知ったとき、私は意外に思った。
シベリア極寒下での奴隷労働はあまりにも過酷だったので、抑留者の死者は全体の半数を超えていたように考えていたからだ。

シベリア抑留のみならず、満洲在留日本人の逃避行、それに続くソ連管理による収容生活などの悲惨さは多くの体験談や小説、ドラマなどで広く知られている。
残留孤児・婦人などの戦後長く続く悲しい歴史も知っての通りだ。

しかし、あまり知られてはいないことがある。

8月15日以降、満洲に多くの日本人(民間人軍人ともに)が残ったのは、日本政府の意思もはあったこと。
つまり、戦後の経済が破綻した日本本土にいっせいに大陸から多数の日本人が帰国したのでは困るので、政府としては帰国を抑制する政策をとった。

シベリア抑留に至っては、ソ連にどうぞ日本人を強制労働にお使いくださいと日本政府から要請している。

棄民政策そのものなのだ。
信じられるだろうか(例えば「シベリア抑留国賠訴訟 現代につづく国の棄民政策を問う」など参照)。

まあ日本政府の責任は大きいとしても、ソ連の極悪非道は今年のウクライナ侵略までスターリン以後一貫しているといってもいいだろう(レーニンにもその一面があったことは否めない)。

ということで、「ソ連の暴虐」は今さらだとは思ったが、「極限下 希望広げる勇気」を二宮がどのように演じるのだろうかと期待し、広島市では何年ぶりかの大雪の中、何とか映画館までたどり着いた。

主人公、山本幡男の寛容、誠実、勇気、人間愛などを二宮はみごとに演じ、最後には私も涙腺がゆるんだ。
タイトルに込められた真実も胸を打つ。

ということで、とてもいい映画だということになるが、鑑賞前に抱いていた違和感は最後まで拭えなかった。

つまり、ソ連の暴虐はその通りだが、日本はどうだったのかということだ。

相沢軍曹の回想で、彼が中国人捕虜を上官の命令で刺殺する場面がある。

日本軍が中国でなにをしたのかのほんの一コマが挟まれただけで、全編にわたってソ連の暴虐をはるかに上回る日本の極悪非道は描かれることはない。

シベリア抑留で日本人6万の死者が出たが、 日本人は南京事件だけでも20万とも言われる中国人を虐殺している。
大陸での日本による強制労働では、それこそ数百万の無辜の中国人が死んだ(万人坑)。
その他、731部隊による悪魔の所業、「焼きつくし、奪いつくし、殺しつくす」三光作戦など、日本が中国大陸で行った鬼のような暴虐はソ連の暴虐の比ではないのだ。

そんなことのあれこれの歴史をまじめに勉強した者(自慢しているわけではない)からすると、この映画を手放しでほめる気にはなれない。
この映画が責を負うものでないことはわかるが、日本の映画界のだらしなさに憤慨してしまう。

「人間の條件」(小林正樹監督)を超えるような、少なくとも同等の映画は作れないのか。

今年は南京事件85周年ということで、日中友好新聞に次の記事が掲載されていた
日中友好新聞 2022.12.15付

最後にもう一度赤旗解説にもどる。

戦争被害を継承する真摯さが、加害にも目を向ける契機になればと願う


◆ ネムノキ(マメ科ネムノキ属)◆

ネムノキ 2018.6.13撮影 近くの川土手
「和名のネムノキは、夜になると葉が合わさって閉じて(就眠運動)眠るように見えることに由来する。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものである」とWikipediaにある。

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