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2019年10月22日火曜日

安倍政権の「歴史に対する無知と傲慢と無反省が現れた」所信表明演説

2019.10.4 安倍首相の所信表明演説
賞味期限の切れそうな話題になるが、現在開かれている臨時国会の冒頭に安倍首相が行った所信表明演説(10月4日)において、最後の部分で安倍首相は次のような驚くべき、まさに開いた口がふさがらないようなことを述べた。

――ここから引用(安倍の所信表明演説の「おわり」の部分)
「提案の進展を、全米千二百万の有色の人々が注目している」。
百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。
一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争を経て、どういう世界を創っていくのか。
新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は「人種平等」を掲げました。
世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされました。
しかし、決して怯むことはなかった。
各国の代表団を前に、日本全権代表の牧野伸顕は、毅然として、こう述べました。
「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない」。
日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。
引用ここまで――

パリ講和会議というのは、第一次世界大戦の戦後処理のために開かれた国際会議(1919年1月~)で、日本は戦勝国の一員として参加している。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典には、パリ講和会について次のように解説している(部分)。

「日本は中国の山東にドイツが持っていた利権の継承,赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治などを認められたが、日本に利害関係のある問題以外は意思表示をせず「沈黙のパートナー」と呼ばれ、日本外交のあり方、日本外交官の養成の方法に反省が迫られた」

その他ネットのコトバンクに出ている「デジタル大辞泉」「大辞林 第三版」「日本大百科全書」「精選版 日本国語事典」「世界大百科事典」でのパリ会議の解説には、安倍が言っているようなことはぜんぜん触れられていない。

しかし、さすがというか、Wikipediaには「パリ講和会議」について、A4で印刷してみると31枚になるほどくわしく載っており(脚注などをふくめて)、「主要国家の姿勢と対応」という項では、ブリタニカと同様に次にように書かれている。

牧野伸顕 大久保利通の次男
体制順応を基本方針としていた日本代表は、直接利害が関係しない案件では発言数が少なく、国際協調に消極的な『サイレント・パートナー』と揶揄され、他国の新聞では『張り子の虎』や単に『薄気味悪い』と報道された」

ひどい評価だ。

とはいえ、安倍が述べていることは「人種差別撤廃案」という小見出しでA4用紙1枚以上にわたってくわしくふれられている。
また、「人種的差別撤廃条約案」という独立したテーマを立て、そこでは脚注などをのぞく本文だけでA4用紙6枚にわたる解説を載せている。

つまり、日本代表がパリ講和会議で「人種的差別撤廃」を提案したことは事実であり、しかも、「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初」(Wikipedia)なのである。

私のような一般人が世界のこと、歴史のこと、まして世界史について知っていることはほんとにごくごくわずかであり、今回のパリ会議での日本の「人種的差別撤廃」提案についても初めて知った。

第28代アメリカ大統領 ウィルソン
調べて見ると、いろいろおもしろいもので、例えばアメリカでは差別を受けていた黒人が日本の提案へ大きな期待をしていたのに、パリ会議で賛成多数であったにもかかわらず、自国のアメリカ大統領ウィルソンの議長裁定により全会一致でないとの理由で否決に導いた結果、アメリカの多くの都市で人種暴動が勃発したりしている。

ウィルソン自身は「14カ条の平和原則」を打ち出した時期であり、日本の提案に賛成であったようだが、自国の議会や友好国との関係などで、反対の立場に立たざるを得なかった。
彼自身はこの年(1919年)のノーベル平和賞を受賞している。

知らないことばかりで書き出したら切りがないぐらいだが、このような事実をまったく知らなかった私でも、冒頭述べたように安倍の所信表明演説を聞いたときには驚きあきれ、開いた口がふさがらなかった。
ついでにいうと、このような恥知らずでバカな総理大臣がかつていただろうかとまた思ったしだいだ。

それは、私が日本がパリ会議で「人種的差別撤廃」を提案した事実は知らなかったにしても、普通に勉強していれば中学生でも知っているような歴史的事実は知っているからだ。

簡単に言えば、1991年の時点で日本がパリ会議で言っていることと実際にやっていることが180度真逆ということ。

そして、「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています」と臆面もなく述べる安倍の厚かましさはどうだろう。

さっそく日本共産党の志位委員長は次のようなコメントを表明した。
赤旗 2019.10.5付
日清戦争により台湾と澎湖列島を植民化し(1895年)、日露戦争により南満州鉄道の利権や遼東半島南端の租借権をロシアから得るなど、満州に進出し(1905年)、両戦争を通じて朝鮮を保護国化、最後には韓国併合(1910年)と称して完全に植民地化した。
さらに日本は中国を植民地化する野望を隠そうともせず、21カ条の要求を突きつける(1915年)。

以上のような歴史は中学校の教科書にすべて載っていることだろう。

そしてパリ会議自体、戦後処理の一環として、戦勝国としてのぞんだ日本はドイツが極東に持っていた中国山東省の権益やドイツ領だった太平洋の南洋諸島の委任統治権などを日本が受け継ぐ(実質植民地化)ことを決めたものだった。

このように、自らが植民地の拡大をめざしていた日本が人種差別撤廃などという提案をなぜ行えたのか。
ましてパリ会議の開かれた1919年といえば、朝鮮半島全域に3・1独立運動が燎原の火のように広がった年である。
日本は朝鮮人を下等民族と決めつけ、独立運動は大弾圧で押さえつけ、武断政治により過酷な植民地経営を続けていきながら、同時にパリ会議で人種差別反対などと主張できたのはなぜか。

以後は柳条湖事件(1931年)、盧溝橋事件(1937年)と謀略をくりかえし、中国侵略を本格化していった。
中国人は人間以下のチャンコロであり、南京大虐殺、731部隊による生体実験など、いくら殺してもかまわないといった徹底した人種差別を行ってきた。

くどいようだが、そのような日本がなぜパリ会議で「人種差別撤廃案」などいうものを主張できたのか。

いくつかネットで検索していると、鈴村祐輔という人が研究ブログというものを書いていて、安倍の所信表明演説の翌日に「不正確な歴史への理解で所信表明演説を行った安倍晋三首相に求められる『後世の検証に堪える演説』の実現」という題目で投稿をアップしているのを見つけた。

鈴村祐輔という人はまったく知らない人だったが、Wikipediaには「野球史研究家、名城大学外国語学部准教授、博士(学術)」とある。
私が最近は平気で安倍首相を呼び捨てにし、不遜にもバカ呼ばわりまでし、志位委員長でさえ「厚顔無恥」だなどと悪罵を投げつけているのに比べ、研究者というものはかくあるべきかと思うほど冷静で客観的かつ説得力ある文章を書いている。

その鈴村博士のブログの一部を引用する。

――ここから引用(鈴村祐輔ブログから)
朝鮮、台湾、満州において、現地民を隷属的な地位に置いていた当時の日本が人種差別撤廃案を提出するのは、一見すると不可思議な行動であり、矛盾をはらんでいるように思われますし、「各国の強い反対」の理由の一端もこの点にありました。

これまでの研究から、当時の日本が、一方で差別的行動を取りながら、他方でその対極にある人種差別撤廃を提案し、そこに矛盾を感じなかったのは、「状況が遅れている」者、「認識が遅れている」者に対する否定の論理があるためということが明らかになっています。

すなわち、状況を認識できず、対応できない者は、否定されるべき者となるのであり、植民地の現地民はより遅れた者として隷属的な立場に置かれるのは当然のこととなるのです。しかしながら、東洋の盟主をもって自ら認める日本は、第一次世界大戦の戦勝国となり、世界の強国の一角を占めることで、より進んだ者の一員となりました。

そして、より進んだ者としての日本の在外居留民が現地で差別的な扱いを受けるのは同じ立場にある者同士が互いに差別することは許されないため、不当な取り扱いは禁止されてしかるべきであり、禁止こそが文明国の責務となります。

人種的差別撤廃案を巡る日本の態度は、このような理論的な枠組みに依存していたのです。
引用ここまで――

なるほどと納得したしだいである。

神功皇后の三韓征伐
古事記にある三韓征伐に見るように、古代から日本は朝鮮を下に見ていて、それで豊臣秀吉も朝鮮出兵などというばかげたことをやったりしてきたのだが(秀吉の場合、中国の皇帝にまでなろうとしていた桁外れの大馬鹿者だが)、明治維新以後は、富国強兵のスローガンのもと脱亜入欧を国是としてきた(西郷隆盛の征韓論もある)。

脱亜入欧とは、日本は遅れたアジアの一員から脱して、先進国である欧州の一員になろうということであり、かの福沢諭吉の唱えた説だ。

1万円札の福沢諭吉
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で有名な福沢諭吉だが、すでにこの時点で、パリ会議で見る日本政府と同様の矛盾を見ることができる。
また、今でも多くの日本人の潜在的意識に広く存在するアジアへの蔑視観、欧米に対する卑屈な憧憬は、この福沢諭吉の「脱亜入欧」を出発点として形成されたきたといってもいいのではないか。
などとまたまたただの一般人の私が研究者のようなえらそうなことを述べてしまった。

明治維新後、日本は日清日露と勝ち続け、おまけに西洋の尻馬に乗って第1次世界大戦の戦勝国の一員ともなった。
日本としては、ついに「脱亜入欧」は達成し、今は欧米と肩を並べる大国になった。
事実、パリ会議には5大国のひとつとして参加しているのだ。

そのような日本がなぜ今もってアメリカ、カナダ、オーストラリアなどでは移民排斥の対象になるなど蔑視されなくてはいけないのか。
日本人が黄色人種というだけで欧米から差別されることはがまんができない。

ということで、パリ会議での「人種的差別撤廃提案」になったのだ。
このとき、人種的差別撤廃の対象にはアジア諸国は入っていない。
日本政府の頭にあるのは、先進国の仲間入りをした日本だけであり、日本人を差別するなということだけを主張しているのだ。

このことを鈴村祐輔は「『状況が遅れている』者、『認識が遅れている』者に対する否定の論理」と書いている。
つまり、日本政府の頭には、日本以外のアジア諸国は「状況が遅れている」者であり、「認識が遅れている者」なので、そういう国は否定、言い換えれば差別されて当然ということになる。
日本政府が自分たちが言っていることとやっていることの矛盾に気づかないのではなく、それはまったく矛盾などではなく、世界の常識であった。

20世紀初頭にいたっても、「『状況が遅れている』者、『認識が遅れている』者に対する否定の論理」は世界の常識だったのだ。
欧米がアジアやアフリカ、中南米になど、世界中に植民地を持っていた時代だ。
欧米人にとって、そこに住む人は自分たちと同じ人間とは思っていないのだ。

差別という意識は同じ人間どうしの中に存在するものだから、植民地に生きている原住民は人間ではなく虫のようなものなので、それに対する差別という概念そのものが生まれようがない。

戦時中、西洋の国の捕虜になった日本兵が、自分たちの目の前で平気で裸になって入浴する西洋婦人がいた、といった証言がいくつかある。
その西洋婦人が日本兵を人間とみていないからそのような行動ができるのだ。

晴れて西洋の仲間入りをしたと思っていた日本だが、残念ながら西洋からみるとやはり日本はアジアの一国であり、黄色人種であり、「否定の論理」の対象なので、その日本人が同じアジア諸国を差別しながら同時に差別撤廃を主張するのは笑止千万だったであろう。

このパリ会議での一件を、さも日本が世界に誇りうる出来事であり、そのことが正しかったからこそ現在の国際社会の基本原則として実を結んだとして臆面もなく胸を張って国会で演説する安倍という男は、いったいどこまでもバカなのだろうか。

ここで考えてしまうのは、鈴村祐輔がブログ後半で述べている「本欄は、これまでも安倍首相に所信表明演説の代作者の交代を勧めてきました」と書いていることだ。
安倍の所信表明演説は確かに安倍自身が書いているわけではないだろう。
安倍にそのような文章力があるとは思えない。
よく調べてはいないのだが、側近や官僚のエリート集団が文案を練り、最終的には内閣官房や閣議で決定されるものと思われる。

であれば、日本の中枢である閣僚集団の頭は、1919年のときからまったく進歩していないことになる。
日本は劣ったアジアの国々から脱して、いまや日米同盟に象徴されるように欧米と同格の一流国であり、自分たちが差別されるのは許せないが、アジア諸国は差別されて当然という意識だ。
そのことが、たとえば日韓関係を悪化させる最大の要因になっている。


 五島列島シリーズ⑯  ◆ オランダカイウサトイモ科オランダカイウ属)◆

オランダカイウ 2018.5.6撮影 福江島
福江島の西端にある「伊持浦ルルド 水の聖母堂」敷地内にある水場に咲いていた。サトイモ科の花であろうとは思うが、それ以上のことは調べないとわからない。先日、グーグル検索の中で、自分の手持ちの画像をアップして画像検索ができることを知った。この写真をアップすればグーグルが調べてくれるのだ。さっそく使ってみると一発でオランダカイウという聞いたこともない名前の花がヒットした。園芸種である。

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