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2013年12月29日日曜日

高校生に勧めるべきか「チボー家の人々」

赤旗日刊紙の連載小説は、今は非正規労働者のたたかいを描いた「時の行路」(田島一)というのをやっているが、その前は「校庭に東風吹いて」(柴垣文子)だった。

場面緘黙症の児童を担任した小学校教員が主人公なのだが、その娘ユリが高校生である。
1990年の湾岸戦争が始まりそうな時代状況で、生徒会長になったユリは自分たちに何ができるであろうかと模索。
自校の生徒たちに「チボー家の人々」を勧めるという地味な取り組みを始めることになった。

赤旗2013.10.13付 挿絵はカットした
「チボー家の人々」
有名な小説で題名は知っているが、読んだことがないので内容はさっぱりわからない。
「校庭に東風吹いて」でも内容についてはまったく触れていない。
それで読んでみようと思った。

図書館のホームページで検索してみると。白水社が新書サイズで全13巻を出版していた。
なかみさえ良ければ長編であることはいっこう気にならないので、さっそく5巻まで借りて読み始めた。

「灰色のノート」「少年園」「美しい季節」「診察」「ラ・ソレリーナ」「父の死」と読み続けて(ここまで新書版で7巻)、作者マルタン・デュ・ガールの筆力に圧倒され、ジャックの孤高の精神に魅力を感じつつも、なぜ生徒会長ユリが戦争反対のためにこの本を高校生に勧めたのかわからない。

「一九一四年夏」の巻に入って、ようやく第一次世界大戦前夜の状況が克明に描写されていくのだが、これがくわしすぎる。
くわしすぎて普通の高校生がこれを読み切れるのだろうかと疑念を抱く。

マルタン・デュ・ガールはこの「一九一四年夏」(新書版で8~11巻)でノーベル文学賞を取ったらしいので、それは価値のある内容なのだろう。
だが、この巻にいたるまでの筋を考えると、まるで別の小説を読んでいるようだ。

なぜ戦争にいたったのか、なぜ人々は戦争を止められなかったのか、戦争とはどのようにして始まるのか、といったデュ・ガールの主張はとてもよく理解できる。
こういったことを高校生にしっかりわかってほしいという生徒会長ユリの思いも理解できる。
とくに今の日本で安倍政権が戦争に向けて邁進している状況下では。

それにしても、この小説は長すぎて難解だと思う。
「校庭に東風吹いて」の作者、柴垣文子(そしてその娘)の実体験かもしれないが、この本を高校生一般に勧めることには違和感を感ぜずにはおれない。

前回のブログでサンデーモーニングでの河野洋平の次のような言葉を紹介した。

外国でもっともいやな話ですが、国民を戦争に駆り立てるのは簡単だと。
敵が攻めてくると言えばいい。
それでも立ち上がらない国民に対しては、愛国心が足らないと言えばそれですむという話がある。

せんじ詰めれば、小説「チボー家の人々」が言っていることもこれとほとんど同じだ。
まさに安倍政権は国民を戦争に駆り立てようとしている。

――ここから転載(「チボー家の人々 一九一四年夏Ⅲ 山内義雄 訳」から)

 ところがぼくは、個人は、国家同士がそれをふりかざして戦争をする国家的主張なんていうものにたいして、ぜんぜん無関心でいてもいいと思うんだ。たとい理由はどうであっても、ぼくは、国家が人間の良心を蹂躙する権利を否定する。……ぼくとしては、こんな大げさな言葉を使うのは大きらいだ。だが、まさにそれにちがいないんだ。ぼくにあっては、あらゆる日和見的な理屈などより、ぼくの良心の声の方がずっと大きい。それにまた、法律なんかより、良心の声の方がずっと大きいんだ……暴力によって世界の運命を蹂躙させないたった一つの方法は、自分自身、あらゆる暴力を肯定しないことにある! 人を殺すことを拒絶すること、ぼくは、これこそ尊敬さるべき高貴な精神の一場合だと信じている。もし法典や裁判官にしてこれを尊重しなかったら、まさにあわれむべきものといわなければならない。おそかれ早かれ、思い知らされるにちがいないんだ……

(同「エピローグⅠ」から)

 ニコルは、夕刊を持ってきていた。それには、長距離砲によるパリ砲撃のことが取りあげられていた。第六区、七区のいろいろな建物が、最近そのためにやられていた。死者五名。内三名は婦人で、ひとりはほんの乳飲み子だった。この乳飲み子がやられたことについて、連合国側の新聞は、いっせいにドイツ軍の野蛮行為にはげしい非難をあびせていた。
 ニコルはそうした残虐行為のなされていることにいきり立っていた。
 「ボッシュ(ドイツ軍に対する侮蔑的呼称)のやつ!」と、彼女は叫んだ。「やつらの戦争のしかたといったら、まるで野蛮人そっくりだわ! これまでだって、やれ火炎放射器、やれ毒ガス、それに潜水艦戦術! でも、罪もない非戦闘員を殺すなんて、まったく言語道断な、悪逆無道なふるまいだわ! 道徳的観念や、人間的感情をすっかり忘れたふるまいだわ!」
 「では、罪のない非戦闘員を殺すことが、若い兵隊たちを第一線に駆り立てるより、ずっと非人道的で、ずっと、不道徳で、ずっと言語道断だとでも思ってるのかね?」と、思うところあるらしくアントワーヌがたずねた。
 ニコルとジゼールは、あっけにとられたように彼を見つめた。
 ダニエルはフォークを下においていた。彼は、目を伏せて黙っていた。
 「気をつけなければいけないな……」と、アントワーヌは言葉をつづけた。「戦争に法則をあたえること、戦争を限定すること、戦争に組織をあたえること(ばかばかしくも《戦争の人道化》と呼んでいるところのこと)、つまり《これは野蛮である!》《これは不道徳である!》と、きめつけること――それはつまり、戦争に別のやり方のあるということをみとめることにほかならないんだ……つまり、完全に文明的なやり方……完全に道徳的なやり方とでもいったようなものがあるかのようにね……」
 彼は、ちょっと言葉を切ってから、ジェンニーの眼差しを求めていた。だが、彼女は、ちょうどジャン・ポールに飲み物をのませようと、その上にうつ向きこんでいた。
 「言語道断というのは」と、彼はつづけた。「それははたして、多少残酷さにちがいこそあれ、殺し方のことを言うのだろうか? そして、それによって乙が殺されるかわりに甲が殺されるということをさすのだろうか?……」
 ジェンニーは、はっと手を止めた。そして、金属製のコップを手荒く下においたので、あやうくひっくりかえすところだった。
 「言語道断なのは」と、ジェンニーは歯を食いしばりながらいった。「それは、各国民がだまって認めていることにあるんですわ! 彼らは、多数です! 彼らは力です! あらゆる戦争は、彼らがそれを承認するか拒絶するかにかかっていますわ! いったい彼らは、何をぐずぐずしているんでしょう? 《やめろ》というだけでじゅうぶんなのに。そうしたら、彼らすべての求める平和が、たちまち現実のものになるのに!」
ダニエルはまぶたをあげた。そして、ちらりと、なぞのような一瞥を妹に投げた。
 しばらくのあいだ沈黙がつづいた。
 アントワーヌは落ちつきはらって結論をくだした。
 「言語道断なのは、これでもなければあれでもないんだ。一言にしていえば、それは戦争自身にほかならないんだ!」
 しばらくのあいだ、誰ひとり言葉を発しようとしなかった。


◆ タカサゴユリ(ユリ科ユリ属) ◆
タカサゴユリ 2013.8.22撮影
名前でわかるように、大正時代に台湾から観賞用に輸入したものが野生化したらしい。10年ぐらい前は市街地の緑地にかなり繁殖していたものだが、最近は少し数が減ったように思う。テッポウユリに似ていて、とても野草とは思えない。

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