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2013年12月11日水曜日

12/13は南京陥落の日 忘れてはならない南京大虐殺

昨年の8月に「第2次世界大戦の死者数」という投稿をした。
ネットで見つけたデータなどをもとにして、私の雑感をつづったものに過ぎない。

ところが、それから1年たった今年の8月頃から、私のこの記事への異常とも思えるアクセスが続いている(今も)。

もちろん超弱小ブログであるから、異常とはいっても日に10数件レベルのものではあるが、私の投稿の中では3番目か4番目に多いのだ。

思うに、8月に初コメントがあり、それへの返信、その返信に対しての再コメントがあったのだが、どうもそれが理由ではないだろうか。

最後のコメントに対して私がどのように反応するかチェックしている?

記事の中で私が日本軍が中国で行った蛮行(南京虐殺など)についてふれているので、それが許せないのだろうな。

最後にコメント(といっても2件だが)をくれた匿名さんは「南京大虐殺大ウソ」論を展開している。
渡部昇一などが振りまいた恥ずべき暴論を信じ切っているのだろう。

本多勝一が「中国の旅」を朝日新聞に連載した1971年、そして鈴木明が「『南京大虐殺』のまぼろし」を出版した1973年、それ以後続いていた論争は、少なくとも虐殺があったという事実だけは1990年代に決着がついていると思っていた。

ところが一般にはまったく同じ状況なのだ。
どころか、ネット上ではまぼろし論ばかりといったぐあい。

久しぶりに笠原十九司の「南京難民区の百日」や洞富雄の「南京大虐殺の証明」を読み直してみた。
鈴木明の「『南京大虐殺』のまぼろし」も読み直してみようかなと思ったら、とっくの昔に捨てていた。
(本多勝一の「中国の旅」や「南京への道」は大切においてある)

「南京難民区の百日」を読んでいると、日本軍のあまりの極悪非道さに気分が悪くなってくる。
今年後半はそれでなくてもいろいろ体調を崩しているのに、さらに心の底まで冷え冷えとして実際寝込んでしまった。

健康体を取り戻すため、長年ストレスから遠ざかろうと努力しているのだが、日本軍の侵略戦争の事実を再確認したり、それをなかったものにしようとする勢力と対峙しなければいけないのかと思うだけで大きなストレスになる。

生命を消耗するだけの不毛な論争はしたくないと思って放っておいたのだが、今日の赤旗に南京事件の記事が載った。
お手軽ではあるが、とりあえずはこの記事の転載でけりをつけたい。

なお、今後「南京大虐殺はまぼろし」論側からのコメントは公開しない。

――ここから転載(赤旗2013.12.11)
南京事件が問う安倍首相の侵略否定発言
史実は詭弁を許さない

12月は忘れてはならない戦争の記憶として太平洋戦争開戦(8日)だけでなく、13日があります。

 1937年7月7日、盧溝橋事件に端を発した日中両軍の衝突は、その後、中国名地に飛び火し、8月9日には上海での大規模な衝突へ発展しました。この第2次上海事変で勝った日本軍は敗走する中国軍を追って、当時の中華民国の首都・南京を目指して進撃し、ついに12月13日、陥落させました。

 南京への迫撃戦の過程、南京陥落後の掃討戦で日本軍は、後に南京大虐殺(南京事件)として知られる軍民に対する大規模な国際法違反行為を繰り返しました。今年は南京事件から76年です。

 「嘘」との主張 見事な破たん

 私が南京事件の史実を広めていく活動を始めた2005年頃、インターネットでは「南東事件は嘘」という言論がたくさん出ており、日本中がそんな人たちばかりであるかのような錯覚を覚えました。

 そのような中でも、何人もの南京事件の被害者が日本に来て被害を証言しています。

 夏淑琴(シャー・スー・チン)さんもその1人です。事件当時、夏さんは南京城内に家族を含めた13人と住んでいましたが、その内の11人が日本軍に殺され、白身も銃剣で3カ所も刺されながら一命を取り留めました。83歳になる夏さんは亡くなった方を代弁する気持ちもあり、つらい証言を続けてきました。何十年たっても戦争の傷は癒えていません。

 夏さんに対し〝虚偽の証言をしている″という学者が現れ、夏さんは名誉棄損訴訟を起こします。東京地裁判決は夏さんの請求を認め、その学者の研究手法について異例ともいえる強い批判を加えました。

 「被告の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」

 その後、高裁・最高裁と争われ、09年、最高裁で夏さんの完全勝訴が確定しました。「南京事件は嘘」という言論の見事な破たんです。

 思惑を覆した参戦者の証言

 南京事件に関して、旧陸軍の親睦団体である偕行社は、1984年4月から翌85年2月までに機関誌『偕行』で「証言による南京戦史」を連載しました。この連載は南京事件の「真相を知る参戦者の体験を主軸としてまとめあげた『戦史』」(第1回)と銘打ったものですが、その実、南京事件を否定する目的があったと言われています。

 ところが、連載では南京で虐殺を実行したとの証言がたくさん集まり、執筆責任者であった加登川幸太郎氏は最終回に「その総括的考察」として、「旧日本軍の縁(えにし)につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。」と書くに至りました。当初の思惑とは逆に、南京で虐殺があったことが明らかになり編者も認めざるを得なかったのです。

 今年の4月23日、安倍晋三首相は「村山談話を見直す」「侵略の定義は定まっていない」などと参院予算委員会で答弁しました。日本の侵略行為を認めない態度は国内だけでなく、世界から批判を受けました。

 既に1974年の国連総会で侵略の定義が規定され、2010年には国際刑事裁判所でより明確な侵略の罪が定義されました。いずれも日本が参加し、採択に合意しています。

 旧陸軍親睦団体による南京事件を否定するたくらみが史実を前に潰(つい)えたのと同様に、侵略戦争を否定する安倍首相の詭弁もまた同様の行く末を迎えることでしょう。

 安倍首相を筆頭に保守派は「プライド」という言葉を好んで使いますが、南京事件や日本の侵略を否定する言動こそ、本当の意味での「プライド」=「誇り」を傷つけるものです。私たちのプライドは憲法の中にこそ宿るものであり、その中核である第9条を守り抜くことが、私たちの責任なのだと思います。
(荒川芙智代 南京への道・史実を守る会)

◆ ノアザミ(キク科アザミ属) ◆
ノアザミ 2013.6.1撮影
どこにでも咲いていそうなノアザミだが、市街地で見ることはほとんどない。広島市北部の山中にあるグランドで行われた息子のサッカーの試合を見に行って、そこでたくさん咲いているのを見つけた。

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